ひめちゃんたちの晩ご飯は、秋刀魚(さんま)ご飯のトッピングがつきました
いつものように刻んだキャベツとドッグフードに、塩なしで焼いた秋刀魚をほぐしてごはんに混ぜた、秋刀魚ご飯がつきました。
1尾を6名で山分けです。
みんな大好きです
今年は、塩を振ってない生秋刀魚がなかなか手にはいりません。
きょうは、クチバシがオレンジの新鮮な秋刀魚と逢えました。
「親鸞聖人ゆかりの旅」のツアーのなかで、佐貫の宝福寺(群馬県板倉町)が「自力本願から他力本願へ回心の転機となった地」であると知りました
佐貫庄(さぬきのしょう)は群馬県です。
ちょっと遠いけど、行ける範囲です。
行ってみよう
国道50号線から太田市内で南下し、国道354号線でひたすら東に向かいます。
ナビの指示通りで、ちゃんと到着です
向こうに見えるのは、板倉高校の体育館ですね。
かつての宝福寺は、広大な境内を持っていましたけど、板倉高校に敷地を譲渡し、現在は八分の一の広さになってしまったということです。
山門を入って左側に駐車場と墓地があります。
石造物がいっぱいです
左の石柱には、「親鸞聖人直作阿弥陀如来像 聖徳太子尊像 玉日宮像 性信上人(しょうしんしょうにん)古蹟」とあります。
横を見ると、寄進者は江戸日本橋の人です
案内板というか、説明板というかでしょうか?
江戸時代には、親鸞聖人ゆかりの寺、また、東上州観音霊場第一番の寺として、多くの人が訪れた事でしょう
隣のお地蔵様は、穏やかなお顔なのに、ちょっとおいたわしい
そばにある大きなお地蔵様はご無事のようです
さて、堂宇の方に行ってみましょう。
あれ、開いてる
いつもはしっかり閉まっているという話ですけど、開いています
本堂で法事があるようです。
境内を散策させていただきまーす
門を入って左側に、性信上人坐像のあるお堂です。
たぶん耐火建造物なのでしょう。
性信上人は、親鸞二十四八からのうち第一高弟となります。浄土真宗の開祖親鸞が流罪を解かれ、新潟より関東へ入る際、性信が、道案内を務めたとされています。親鸞が四十二歳、建保二年(1214)のことです。そして親鸞は法福寺(現宝福寺)において、「浄土三部経」を千回唱えようとしますが、読み始めて数日で止め、常陸国(現茨城県)に赴いたということです。
横にも説明板があります。
太子堂です。
そういえば、宝福寺の開基は聖徳太子だそうです
隣に同じような建物があります。
「本尊佛如意輪観音像」とあります。
そういえば、ここは東上州観音霊場の一番札所でした
鐘楼堂です。
シンプルイズベストです
門の付近に石造物がいくつかあります。
その中でこの方が目立ちました
やさしそうな青面金剛です。
踏み有蹴られている邪鬼も丸顔でかわいい
見ざる、聞かざる、言わざるもはっきりわかります
法事が終わって、墓地の方に移動するようです。
和尚さんも出てきました
「あのう、御朱印はいただけますか?」
「今は用意がしてないので、向こうの寺まで 来てください。」
「はい、うかがいます。」
実は宝福寺は現在無住で、近くの実相寺で兼務しているそうです。
後ほど実相寺でいただいた御朱印です。
閉まっていると思っていた境内が、開いていて、散策できました
現在兼務している実相寺も、親鸞聖人ゆかりの寺になりますね
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