黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

日光裏街道・今村城丑寅の守護神(今村神社)

2021-02-28 14:49:47 | 日光裏街道

ひめちゃんと獅子丸は、東の牧場にお散歩です。

ヤギさん、どうしたかな?

ああ、やっぱりヤギパパと1名のボクだけです

ちょっと寂しけれど、写真1枚ね

あれ、カードが入ってませんですって

残念

またね、食べ物には気を付けてね。

「エサをあげないでください」、悲しい掲示です

 

プロローグの写真がないのも寂しいので、最近ひめちゃんちに咲いた椿です

 

今一番きれいです。

残念ながら、品種まちがいで来たので、お名前知れずです。

でも、来てくれてよかったよ

かなりの大輪です。

秋にも咲いてくれました。

最近、少し復活です。

やっと咲きました、玉の浦

地植えのクリスマスローズも咲き始めています。

セミダブルです。

きれいに咲いてくれました

 

 

 

今村城丑寅の方角、つまり鬼門にある14番・今村神社です。

石の鳥居が、3つ有ります。

 

二の鳥居の奥に、仁王門です。

愛宕山とあります。

仁王門右に説明板です。

今村神社旧大鏡院仁王門は、寛政期(1789-1800)に建立されたと推測される、伊勢崎地域の修験寺院唯一の門以降で、市内に現存する建築の中でも比較的古い時期に属するものである。~(中略)~今村神社はかつて愛宕神社といい、明治40年(1907)に、大字内の諸社を合祀し今村神社と改称した。

 

200歳超えの仁王様ですね。

右の仁王様です。

迫力ありますね

左の方は、少し紳士的に見えます。

何ごとも受け止めてくれそうな、大きな手です

こんな手の持ち主に廻り合いたいなあ。

奥に神社の由来がありますけど、よく見えません

ここは天台宗の修験寺院、愛宕山大鏡院で、修験者伊藤家が神社の別当も兼ねていた。

明治5年、修験禁止令以降、氏子の管理になった。

こんなことらしいです

 

社殿で参拝です。

ここにも、由来記があります。

「鎮座地 伊勢崎市稲荷町字往還(あざおうかん)」とあります。

街道沿いということですね。

日光裏街道沿いです

当社は往時愛宕堂(宮)といい、伝承に寄れば延応元年(1239)今から748年前領主那波政茂が領内に飯玉・三嶋・愛宕などの社殿を創建寄進し、愛宕堂は後の今村城の丑寅の守護神として、崇敬したといわれる。その後裔の那波顕宗が天正18年(1590)に出羽国で戦没するまで、那波家代々の守護を受けていたといわれるが、近世初めには天台宗聖護院門跡末(本山流)大鏡院(山伏)が別当として祭祀を継承していた。

今村城の丑寅の守護神の守護神だったのですね

 

コロナ対策ですね。

賽銭箱手前で参拝です

 

脇に廻ると、真っ赤な本殿がみえます

 

本殿は真っ赤赤の世界です。

神社って、赤の世界なんですね

 

拝殿脇は、石造物の山です。

道標もあります。

字往還、日光裏街道沿いですものね

 

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