黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

絹市の記憶・山上の蚕影山神社(やまがみのこかげさんじんじゃ)

2021-11-06 15:02:54 | 群馬県・旧勢多郡

ひめちゃんと獅子丸は、おとうさんと朝散歩に出ようとしました。

獅子丸が変です

ひめちゃんの後ろに回って、クンクン

ひめちゃんは、恋の季節に突入したようです

急遽、獅子丸はタバサねーちゃんと組んでお散歩にでます。

ひめちゃんは、おかあさんと後を追います。

諏訪神社の前を、南に下ります。

振り返って、諏訪の森です。

田んぼに設置された危険な電気柵は、まだそのままです

 

突き当たりを左折、山上城の方に下ります。

今日は山上城趾公園ではなく、山上城南郭の蚕影山神社に寄ります。

 

元町集会所→を入ります。

ここは、かつては山上城の南郭だったといいます。

集会所の隣に、小高い空間があります。

この上に蚕影山神社があります。

先にひめちゃんとおかあさんが、急な狭い階段を登ります

登り切ると、遠くまで見渡せます

登ってきたよ

タバサねーちゃんと獅子丸も、やって来ました。

ひっそりと蚕影山神社です。

『新里村誌』によると、2間四方の茅葺きの御堂があったけれど、終戦後老朽化が進み取り壊されたといいます。

村誌には、山上の絹市について、何の記述もありません。

 

でも、大間々歴史博物館(コノドント館)には、大間々の絹市発展のパネルの1枚に、「元禄15年 大間々市(おおままいち)に山上市(やまがみいち)を合併する」とあります。

元禄15年(1702)まで、山上で絹市が開かれていたのです

山上の養蚕の神様・蚕影山神社の境内に、絹市が立って人々が行き交い、多くの産業も栄えた時代があったのです

山上に通じる道があったのです

山上は、産業のない寒村ではなく、豊かな元気な村だった時代があったのです

 

 

上りより、十分気を付けて降ります。

ああ、大変だったね

ご褒美をもらいましょう。

集会所の周りには、市を開くのに十分な空間があります

山上の絹市は、ここだったのです

 

 

さて、東の方から降りられそうです。

階段ではなく、スロープになってます

手すりもあります

ちょっと急坂ですけど。

なんとか、平地まで降りてきました

 

あれ、道の端に鬼瓦?

でも、神社のではありませんね。

確か、左のお宅は瓦屋さんでした。

 

あれ、ここは幟が立ちます

まだ現役かも

この坂道は、蚕影山神社の参道だったのです

この前の道は、何度も通っていますけど、初めて気づきました。

ひめちゃんたちと降りてきて、初めて気づきました

参道は急坂なので、荷物は脇の道から出し入れしたかも知れません。

 

ここは字元町(もとまち)、城下町の萌芽が見られるという人もいますけど、絹市で栄えた町です

絹関連のいろいろな職種の人々が集まったことでしょう。

 

 

蕨沢川にかかる助衛門橋(すけえもんはし)を渡って、帰ります。

助衛門さん、絹市で活躍した人かな?

 

 

天神田(字天神の田んぼ)を通って帰ります。

大分気温が上がってきました。

小次郎パパが待ってるから、急いで帰りましょう

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