黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

七海ママのふるさと6・天明地蔵(夜泣き地蔵)

2020-12-25 20:42:20 | 群馬県・中毛

ひめちゃんと獅子丸は、岩神沼に到着です。

今朝は二人とも、沼を背景の「はいポーズ」をしてくれません

ひめちゃんのめったにしない表情です。

思慮深そう

赤城山には、横雲が懸かっていました。

沼にも、横雲がはっきりと映っています

今度は、かわゆく撮れました

こちらも、思慮深そうだよ

獅子丸は、ちょっと不満そうです。

だれもいないと思った沼の奥に、黒いカモさんの姿があります。

近づくと潜ってしまったのか、姿が映ってません。

 

 

 

日光例幣使街道・柴宿本陣跡の隣、柴町住民センターにあった案内板です。

あれ、天明地蔵がある

天明3年(1783)、浅間山の大噴火の天明泥流によって、およそ700体もの遺体が流れ着いたというあたりですね。

七海ママのふるさと・名和(那波)にあったのでした

何年か前にお参りしましたけど、また行ってみましょう

 

前回どういうふうに行ったか記憶にありません。

何カ所か曲がりますけど、基本的にほぼ南です。

ナビに伊勢崎市戸谷塚町409を入れて出発です。

今回は、北側から到着です。

墓地があってお堂があります

前回は全く気になりませんでした。

天明地蔵(夜泣き地蔵)だけに関心が行っていたのでしょう。

現在は無住のようですけど、ちゃんとしたお寺の一角にあるお地蔵様だったのです

 

こんにちは

お久しぶりです

今日も真っ赤な帽子とオガケですね

周囲の風景と違和感なくなじんでいます。

とりあえず、合掌

 

そばに説明板があります。

案内図では天明地蔵でしたけど、浅間山大噴火の供養塔(夜泣き地蔵)とあります。

『1783天明泥流の記録』(みやま文庫)によると、

伊勢崎市戸谷塚町409番地にある子安観音堂境内に建立されている。天明泥流によって、戸谷塚付近の利根川岸には700体を超す遺体が流れ着いたともいわれる。この地蔵尊は、天明四年に戸谷塚村中の手で建立された供養地蔵。左足を立て膝の丸彫り地蔵菩薩坐像で、大正2年(1913)に行われた耕地整理により、埋もれた七分川の字絹園地内から350m離れた現在地に移された。

 

ここに来て100年以上になるのです。

周囲の景色に馴染んでいます

大きな宝篋印塔、如意輪観音もあります。

僧形の墓石もいくつかあります。

巨大な松もいい感じです

紅葉もまだまだきれいです

 

お地蔵様の正面に戻ります。

 

ちょっと横からの景色です。

 

正面からです。

赤い紅葉がいい雰囲気を演出しています

さようなら、又来ますね

 

『1783天明泥流の記録』(みやま文庫)には、

天明3年(1783)の浅間山噴火に関する供養費は、数十基に及ぶ。そのほとんどが群馬県内の吾妻川・利根川沿いにあるが、泥流が流れ下った埼玉県や千葉県銚子市の利根川流域のほか、利根川から分流し、江戸湾に流れ込んでいた東京都内の江戸川流域にも所在している。これらの多くは、泥流に流され、川岸に打ち上げられた人や愛馬を弔うためのものである。

付近の供養塔もいくつかあげられています

そのうちに訪問しましょう

 

道の反対側に、何故かこの2名様が

こちらも供養塔とあります

お二方の脇を通って、諏訪神社にも参拝しましょう

 

 

 

 

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