ひめちゃんは獅子丸を迎えに行きました。
獅子丸は赤ちゃんの時から持ってるぬいぐるみをくわえて、ウエルカムダンスダンスです。
このぬいぐるみはひめちゃんも持っていたはずですけど、とっくの昔に解体新書されています。


左に放り出されたカバのぬいぐるみです。
よくぞ今日迄生きながらえたものです
ひめちゃんも同じものを持っていたはずです。
でもとっくの昔に解体新書してしまいました
リードに付け替えた途端、獅子丸が走り出しました。
その素早いこと、あっという間に去りました
姿はないけど、ひめちゃんの行く方角に追いかけます。
しばらく行くと、田んぼ道にいます。
どうも、実家を目指しているようです
田んぼの縁で用を足しているところで、御用となりました
実家に少し寄って、ひめちゃんのよく行く高縄の摩崖仏を回って帰ります。

岩神沼です。
今朝はカモもサギもまったくいません。
右奥の木々のあたりに、摩崖仏があります
赤城山もいい感じです
5月6日、深谷の日本煉瓦株式会社跡を訪ねました。




渋沢栄一が創業に関わっていたとは、知りませんでした
指示の通り建物の裏に駐車したので、裏からの写真です。

煉瓦の建物、変電所跡です。

あの煙突は、ホフマン輪窯6号窯です。
修理中とかで、現在は公開していないということです。

たしか事務所の方ではなく、あちらの方(ホフマン輪窯6号窯付近)で売っていたような気がします。
実は約10年前、ここにはよく通ったのです
友人から「廃業する煉瓦会社がレンガをセールしている」という情報を得て、はるばると新上武大橋を渡って、せっせと買い出しにいったのです
その日にどんなレンガがセール出るかわかりませんけど、だいたい一個10円から20円くらいでした
何度も何度も新上武大橋を渡って通いました。
当時はガーデニングブームで、薔薇の園を夢見ていたのです
夢ははかなく、丈夫な原種系とか丈夫なフレンチローズ&イングリッシュローズが少し生き延びています
でも、あのとき運んだレンガは、マイガーデンでまだたくさんその姿をとどめています
帰りは上武大橋経由で帰ります。
ナビに従って行くと、特大の石造物があります

馬頭尊いわゆる馬頭観音ですね。
横にある文字が、「上毛・・・・・毛呂真謹書」のように見えました。
もしかしてあの毛呂権蔵さんの家族?
毛呂さんちは、上武大橋を渡った世良田にあります。
そういえば、世良田東照宮の助郷の村として血洗島とか下手計などの利根川の南の村々の名前もありました。
利根川が間を流れているけれど、世良田と深谷は関係が深いのです
獅子丸は赤ちゃんの時から持ってるぬいぐるみをくわえて、ウエルカムダンスダンスです。
このぬいぐるみはひめちゃんも持っていたはずですけど、とっくの昔に解体新書されています。


左に放り出されたカバのぬいぐるみです。
よくぞ今日迄生きながらえたものです

ひめちゃんも同じものを持っていたはずです。
でもとっくの昔に解体新書してしまいました

リードに付け替えた途端、獅子丸が走り出しました。
その素早いこと、あっという間に去りました

姿はないけど、ひめちゃんの行く方角に追いかけます。
しばらく行くと、田んぼ道にいます。
どうも、実家を目指しているようです

田んぼの縁で用を足しているところで、御用となりました

実家に少し寄って、ひめちゃんのよく行く高縄の摩崖仏を回って帰ります。

岩神沼です。
今朝はカモもサギもまったくいません。
右奥の木々のあたりに、摩崖仏があります

赤城山もいい感じです

5月6日、深谷の日本煉瓦株式会社跡を訪ねました。




渋沢栄一が創業に関わっていたとは、知りませんでした

指示の通り建物の裏に駐車したので、裏からの写真です。

煉瓦の建物、変電所跡です。

あの煙突は、ホフマン輪窯6号窯です。
修理中とかで、現在は公開していないということです。

たしか事務所の方ではなく、あちらの方(ホフマン輪窯6号窯付近)で売っていたような気がします。
実は約10年前、ここにはよく通ったのです

友人から「廃業する煉瓦会社がレンガをセールしている」という情報を得て、はるばると新上武大橋を渡って、せっせと買い出しにいったのです

その日にどんなレンガがセール出るかわかりませんけど、だいたい一個10円から20円くらいでした

何度も何度も新上武大橋を渡って通いました。
当時はガーデニングブームで、薔薇の園を夢見ていたのです

夢ははかなく、丈夫な原種系とか丈夫なフレンチローズ&イングリッシュローズが少し生き延びています

でも、あのとき運んだレンガは、マイガーデンでまだたくさんその姿をとどめています

帰りは上武大橋経由で帰ります。
ナビに従って行くと、特大の石造物があります


馬頭尊いわゆる馬頭観音ですね。
横にある文字が、「上毛・・・・・毛呂真謹書」のように見えました。
もしかしてあの毛呂権蔵さんの家族?
毛呂さんちは、上武大橋を渡った世良田にあります。
そういえば、世良田東照宮の助郷の村として血洗島とか下手計などの利根川の南の村々の名前もありました。
利根川が間を流れているけれど、世良田と深谷は関係が深いのです

※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます