今にも泣き出しそうな空でした。
ひめちゃんは、獅子丸とお散歩から帰ってきました。
もうすぐおうちというところで、ミックス犬のクロベイと遭遇してしまいました
トラブルを避けている時に、ひめちゃんの後ろ左足はおかあさんに踏まれてしまいました
大変、ひめちゃんは足が地面につけません
抱っこされて帰宅、おうちの中に入れてもらいました。
おうちの中で、元気に朝ご飯です。
よかった
明るく絞り咲の椿が咲き出しました。
桃井塚・桃井城から、鬼ヶ橋の信号に戻り、県道15号線をひたすら行きます。
そのうちに水沢うどんの文字を見るようになりました。
山門(仁王門)を脇に見て、奥の駐車場に入ります。
付近に万葉歌碑があるようです。
まず、万葉歌碑の確認です。
水沢山を背にして、歌碑があります。
あの山の向こうが、二ッ岳です。
1500年前の大噴火の火砕流で、鎧を着た古墳人を飲み込んだのでした
い香保ろの 八坂の堰塞 立つ虹の 顕ろまでも さ寝をさ寝てば
(いかほろの やさかのいで たつぬじの あらわろまでも さねをさねてば)
伊香保の山裾にある八尺もある大きな水門(堰塞)からほとばしる水しぶきに朝日が当たって虹がはっきりと見えるようになるまで、おまえと一緒に寝ていられたらどんなに楽しいだろう。是非そうしたいものだな、お前・・・
そうか、万葉の時代は庶民も通い婚で、男は夜明け前に帰らなければならなかったのか
近くにもう1枚説明板がありました。
厳秀(いかほ)の 八坂の堰塞にあざやかな朝虹が立つ その虹にようにはっきりと二人の仲が知れ渡ってしまってもかまわない それまでも共寝をしたならばどんなによかだろう さあ寝よう 寝ましょう
こちらの解釈の方は、ずいぶんと歯切れがいい
上野国境野村(現在桐生市内)出身の国学者・橋本直香が安政年間に調査に来たのですね
桐生市境野出身の国学者・橋本直香、知りませんでした
安政年間といえば、世良田の毛呂権蔵が上野を歩いて、『上野国志』を著したころですね
採取された民謡だとあります
『万葉集』巻14は東歌で、3402番から3423番まで22首が、上野の国の歌です。
その中で、伊香保の歌はダントツに多いです
ついでだから、伊香保の歌に目を通しちゃいましょう
テキストは、講談社文庫『万葉集三』(中西進2012)です。
3409 伊香保ろに 雨雲い継ぎ かのまづく 人とおたはふ いざ寝しめとら
(いかほろに あまぐもいつぎ かのまづく ひととおたはふ いざねしめとら)
3410 伊香保ろの 岨の榛原 ねもころに 奥をな兼ねそ 現在しよければ
(いかほろの そひのはりはら おくをなかねそ まさかよければ)
3414 い香保ろの 八坂の堰塞 立つ虹の 顕ろまでも さ寝をさ寝てば
(いかほろの やさかのいで たつぬじの あらわろまでも さねをさねてば)
3415 上野 伊香保の沼に 植ゑ子水葱 かく恋ひむとや 種求めけむ
(かみつけ いかほのぬまに うえこなぎ かくこひむと たねもとめけむ)
3419 伊香保せよ 奈可中次下 思ひとろ 隈こそしつと 忘れせなふ
(いかほせよ なか??? おもひとろ くまこそしつと わすれせなふ)
3421 伊香保嶺に 雷な鳴りそね わが上には 故は無けれど 児らによりてそ
(いかほねに かみななりそね はがへには ゆゑはなけれど こらによりてそ)
3422 伊香保風 吹く日吹かぬ日 ありといへど 吾が恋のみ 時無かりけり
(いかほかぜ ふくひふかぬひ ありといえど あがこいのみ ときなかりけり)
3423 上野 伊香保の嶺ろに 降ろ雪の 行き過ぎかてぬ 妹が家のあたり
(かみつけ いかほのねろに ふるゆきの ゆきすぎかてぬ いもがいえのあたり)
22首中8首が伊香保の歌です
どうしてこんなに多いのでしょう?
確かに、採取された民謡かなという感じの歌も、いくつもあります
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