ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出て、朝のお散歩です。
帰り道、蕨沢川上流の「たくみはし」にさしかかりました。
むむ、何か見える
橋のたもとにある石には、ふだんは何も見えません。
何か刻んであったはずですけど。
如意輪観音?
やっぱ、何か見えます
光の加減で、削り取られてしまった仏が姿を現したのです
たぶん明治の廃仏毀釈の時に、削り取られてしまったのでしょう
今朝は、お会いできて良かった、合掌
「たくみはし」付近から見た、今朝の赤城山です。
東の峰は雪ですね。
赤城小沼があるので、どうしても雲が懸かり雪が降りやすいのでしょう。
あの峰の東の麓に、小中の大蒼院や医光寺があります
さて、さっきスルーしてしまった神社に参拝です。
大蒼院で聞きましたけど、特に関係はないということです。
階段の脇にも、なにやら注連縄(しめなわ)があります。
どうも井戸というか、泉というか?
少し前まで確かに大切なものでした。
さてさて、階段を登って参拝です
きれいに掃き清められています
神社名とかはありません。
とにかく、今年の多幸を祈ります
境内から隣の大蒼院が見えます
もうロウバイが咲き始めていました
帰宅後地図を確認すると、鳥海神社ということです。
みどり市HPによると、ここ鳥海神社は、小中の獅子舞が奉納されるということです。
ことの起こりは定かではないが、奥州の豪族・阿部貞任は朝廷に逆らい、源頼義率いる大軍に討ちとられた〔前9年の役(1062年)〕。弟宗任は捕虜となり、京に送られる際、宗任を慕った一部の家来たちは当地まで同道したが、朝廷の命により京に上ることを許されず、やむなく当地に土着したという。後、宗任を慕った家来たちは宗任を祀り、鳥海神社と名付け、村の鎮守とした。それに伴い、京より伝わった「ささらすり」獅子舞が村の安全・疫病除け・豊年を祈願して舞われたと伝えられている。室町時代の前期、京都から来た師匠が、冬季を利用し、村の各家庭を継承していく子どもたちに獅子舞を教え、毎年旧暦の6月15日と9月19日には村にある鳥海(ちょうかい)神社に獅子舞を奉納したのが始まりとされる。
そうだったのですか
宗任を祀っているんですね
黒川衆・阿久沢氏や松嶋氏の出自については、別の説もあるようです。
でも、阿部宗任伝説は深く根を下ろしているようです。