日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

スペインの旅 その2

2005-05-19 07:22:16 | 私の雑感あれこれ
ヨーロッパ旅行は立派な教会が目白押し。スペインのある教会(まあ、なんといういい加減な表現)、ステンドグラスや聖母子像の彫像や壁画やらが、正面側面を飾っている。装飾は溢れんばかりである。
中世の特徴で教会は高く高く空に向かっており、それを支えている石柱は太くたくましい。

話題1 ガイドさんからひとつ質問
「この石ブロックの柱は当時どのように積み上げられたと思いますか」
そうか、いまどきのクレーンもないから…。
「周りを土で埋めて、その登りの坂道を石ブロックを運び、更に土を盛って石を運び、という方法だそうです。そして石柱が高く積みあがった時、回りの土を退かすんです」
なんと、この教会の建築中はここらは運び込まれた土だらけだったのか、そしててこを使っていただろう沢山の職人が肩をぶつけ合うように作業していたのか、と私の頭の中は当時の現場の風景。

話題2 見事な装飾技術の中に
聖画や回りの装飾彫り物が溢れんばかりの中、聖歌隊の位置するところの辺りに肘掛に彫刻を施した椅子が10脚、20脚と並んでいた。
-「あ、この肘掛の彫り物ぐらいなら、私にも出来るかな」と、そっと摩ってみる-
キリスト像やらマリア様は当時最高の力量の絵師、彫師の作だろうけれど、この椅子に彫り物している若い自分を想像したりして、ちょっと右左違うではないの、などどひとり語りしている私がいる。
ブルューゲルの描く農民の絵のように、ヨーロッパでも殆どが農夫・農婦だったであろう時代に、こんな仕事をしたいと名乗り出るのはどうしたらいいのだろう。生活していけるだけの給金もらえるかな。
と考えている私。
-でも、きっと女性はダメなんだろうな-と思ったら、その想像の物語は終わってしまった。

産業革命以前は軍隊に入るか聖職者になるのが栄誉ある身の立て方であった時代。
ジュリアンソレルやヘルマン・ヘッセの主人公のように聖職者の道は思いも浮かばず(笑い)、教会の肘掛け椅子の彫り物をする人にはなれるかな、と思った自分がおかしくて、これがその旅行で思った事柄なので、私のスペインの旅その2です。

(スペイン旅行と称しておきながら、話は勝手に国境を超え、時代200~300年程はひとっとびの四方山話になってしまいました。相済みません)
コメント
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