日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

実は、賭けをしていた。

2011-11-28 12:25:35 | 社会問題
27日の選挙結果を予想して。
私の負け。
週刊誌が、候補者の身辺を書きまくっていた。
週刊朝日とサンデー毎日は目にした。
橋下氏は、新潮と週刊文春を罵倒しているから、きっと、そちらはさらにシツコク話題を提供していたのだろう。

選挙民って付和雷同的要素があるから、この手の話題は、イエローカードとするひとが多いのではないか、と読んだ私の負け。
橋下氏が、カッカきているのだから、さぞ面白おかしく掻き立てたのだろうけれど、それに市民が影響を受けなかった、というわけ。

橋下氏の訴えている、二重行政の無駄論が勝ったのだ。
大阪都構想には、地方自治法の改正とか、国がシバリをかけていて、そんな地方だけではなしえない難関が立ちはだかっている。
百も承知なのだろう。
幕藩体制から移行した今の自治体の形。
都道府県の長は、選挙はあっても、往々にして国(自治省キャリア)から天下るのが長く実態であった。百数十年経って選挙民は充分判断能力を備えています。

二重行政の解消実現の時がどういう形でくるのか、地元ではないので、横町のご隠居気分で眺めているだけですが、興味深いです。

国としてみると道州制の問題につながってくるのでしょうね。
そういえば、先日のミニ同窓会で、某地方紙の社長夫人「道州制になると、今、地方の県民をターゲットにして発行している新聞社にも影響が出てくるから、・・・」という話題を思い出しました。

なにも変わらず、今のポジションがいい、という人(大阪市職員)には、寝耳に水でしょう。

何を賭けたか、って?
ランチ目的でドライブにいく某所のフランス料理ディナー。
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朝ドラ「カーネーション」を見ている。

2011-11-27 09:58:40 | 映画・テレビドラマ・音楽
但し、朝ドラをいつも見る習慣がないもので、時々見忘れるけけど。
時代は昭和初期。主人公小原糸子は4人姉妹の長女で、生年からすると、多分自分の母(大正5年生)は、糸子の妹ぐらいにあたるだろうか、と思いながら、その時代を教えてもらっている。
「艱難を乗り越えてこそ主人公なのだ」といつか脚本家ジェームズ三木さんの言葉を読んだことがあるが、そのとおり、というか、ツボ抑えていて共感できる。
次々に現れる課題を糸子は逃げない。なにくそ!と歯を食いしばり、解決する方法を模索する。「ひとなみ」ということばがない。「自分のしたいこと」を手放そうとはしない強さが、がんばりにつながっていく。
まだ序盤。母親となった糸子は、どう母親と仕事を抱えていくのか、興味深い。
生きておられたら、100歳にもなっておられるだろう先人女性パイオニアのドラマ、私にはキラリと光ります。

昭和30年代の田舎町の記憶があります。
そんな私の育った町にも「テーラー○○」と看板を掲げた背広を作るお店がありました。
小学校までの道すがら通る商店街には、何軒もの「洋装店」がありました。
そんな洋装店のひとつで、大学の入学時にスタイルブックからデザインを選んで、布地を選んで2着のスーツを新調してもらいました。そもそも制服以外には普段着しかもっていなかったので、初めてのヨソユキでした。
今は昔。
世の中すっかり変わって既製服が溢れ、仕立ててもらうことはなくなりました。帰省すると、かつての洋装店があった商店街は、シャッター通りになっています。
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新東名ミニウォーキングに参加

2011-11-24 07:12:44 | 旅行・休養
勤労感謝の日、旅行会社主催の新東名高速道路(第2東名)の開通前の3キロを歩く企画に、夫婦で参加した。
集まったバスは100台以上。参加者は12000人超とのこと!
観光バスの延々たる数珠繋ぎには圧倒されます。

天候もなんとか持ちこたえ、富士山を眺めながらのウォーキングをはじめた。
新品のトレッキングシューズの履き心地もよく、サクサクと3キロゴールへ。
本日のウォーキングコースは、3キロと12キロの2種類です。3キロコースの人は、そこでシャトルパスに乗って、12キロの終点まで向かう段取りです。
3キロゴール地点で、ロードコーンとバーによって、ふた手に分かれるのです。
ちょっと歩き足りない!12キロコースに自主変更しようか。という気分がムクムク。

私たちは3キロコースシャトルバス利用ですから、帰りのバスの集合時間も、はじめから12キロコースのバスの人とは違います。
帰宅バス時間まで2時間20分であと9キロ。
    ・
    ・

躊躇していたところ、旅行会社のお兄さんに、バス出発時間と9キロ、どうでしょう、と一声かけたら、
(間に合う)行けるのじゃないですか、と。

さぁ、ゴー!です。
時間に追われたくないから、前半は速めに歩こう、と。
で、最初の1キロ8分。
大丈夫だ、12キロコースにして良かった、と思いながら、反対車線を行くシャトルバスを何台も見送る。
次、9分、次の1キロ13分。など、1キロごとにタイムを気にしながらのウォーキング。
まるで、マラソン選手の感覚です。
6キロで半分、これからは残りの距離が少ないわけです。
ペースを上げようと思えば、ラクに追い抜ける、という発想は甘い、甘い。皆さん12キロを歩く目的のメンバーですから、高齢者であっても、足はしっかりしています。
はじめから12キロの人たちは、集合時間も1時間ほど遅いわけですから、歩調を合わせて歩いていればいい、というものでもないのです。
ちょっと、ヒヤヒヤ。1キロのタイムのペースが便りです。

後9キロのところに、「ゴールはもう直ぐです」と電光掲示板。まだ3キロあるじゃないか、と苦笑ですが、そういう一言も、励みに思えるくらい、疲れも出てきました。
あと3キロは、いつものウォーキングよりも少ない長さ。これからいつものコースを歩くと思えばOKなわけで、想像はつきます。了解、了解、とこころしながら歩を運ぶだけですが、10キロ過ぎから、右足の指裏に嫌な感触に気づく。
きっと、水ぶくれで、ふやけてきているのでしょう。我慢です。そして、自分の重みで足の裏から苦情が来たことを、ふがいない!と。・・・ま、こんなものでしょうけれど。

どうにか、ゴール。
ゴールだと思うと急に、足が重くなりました。
トイレに速攻です。
6キロ、9キロ地点にもトイレがあったのですが、その行列の凄さ!30分以上のロスになるので、ゴールまで我慢、でもありました。

到着は、出発時間までに30ほどの余裕でしたが、トイレのために費やされ、ゴール地点のイベント会場を散策する余裕はありませんでした。

勝手に変更しての12キロコースでしたが、3キロでイベント会場を回っているよりも充実していたと思える1日でした。


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臨月のカマキリを描く

2011-11-18 13:51:26 | 絵画・マイギャラリー
じゃなくてー、山茶花を描こうと思って、花の開いた小枝を切って眺めると・・・。
オヤ、カマキリ!ではないですか。
カマキリは鳴かない。ただ黙って、微塵も動かない。
カマキリが「ピンチだ!」と考えているのは、その「動かなさ」から理解できる。

毎年、この季節になると描こうとしても、いつも満足に描いたためしのない山茶花。
主役がもうひとつ増えるのも面白い、と思って、カマキリから描き出した。
頼んでもいないのに、じっと頭を下にしたまま動かない。枝に添って逆立ちの状態なのに、モデル慣れしているかのように「動かない」。
虫など、自分では描いたことがないから、ああなっていて、こうなって、とじっと見る。
保護色で、葉っぱに同化したい意図がアリアリ。間近に覗くと、お腹の線がイヤに膨らんでいる。
あー、産卵がちかいのだろう、と想像できる。
無事の出産場所を探していたところの災難だったわけです。
あの、泡ぶくのようなカマキリの卵が近日中に小枝にできるわけだったのでしょう。
ちょっと待ってね、大丈夫だから、外に返してあげるから、そう会話しながら、モデルをしてもらいました。
三角の顔、わずかに動かしましたね。こちらをにらみつけるため?
でも、なんとその目の小さいこと!
黒い点は芥子粒ほどと例えてみても、芥子粒が大きすぎるような気さえします。
でも、その目で、生まれてくる赤ちゃんの危機をなんとか回避しようと、枝を室内に持ち込んだワタシをニラみたいのでしょ。
ハイハイ、わかりました。

怖がりの癖に、カマキリには怖くないワタシ。
描き終わって、小枝を元の山茶花の枝にさしかけて来ました。
どうぞ、好きなところに移動していいですよ、と。

そして、スケッチ。
またまた、イマイチですが、スキャンの調子が悪くて、うまく取り込めません。
そのうちに、UPしたいと思います。
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朱儒の言葉の「朱儒」って・・・知らなかった!

2011-11-17 12:53:57 | 私の雑感あれこれ
先日洋画を見ていたら、字幕に「朱儒」とあり、(意味のわかる訓読みの)読み仮名がふってあった。
知らなかった!
芥川龍之介の「朱儒の言葉」は、高校時代に確か読んでいる。
勿論「しゅじゅのことば」と発音して。
読書習慣のスタートが高1だったこともあり、長編は苦手で、比較的短い日本の作家の本ばかり読んでいた。

そのとき「『朱儒』の意味も知らなかったのか」と夫にはなじられたけれど、私は、この歳で知れたことが嬉しかった。

そういうことだったのか・・・と。
で、芥川龍之介の「朱儒の言葉」をネットで検索。
何十年ぶりの「芥川」でした。
で、その中に、二宮尊徳の項がありました。―後記に引用あり―

これって、私が、先日ブログに書いた『幸福の王子』に似ていない?
私的には、一緒ジャン!と。

きっと、芥川の執筆は、私の半分の歳でしょう。苦笑
でも、そんなの些細。

「ものごと斜(ハス)に見る癖でしょ」といわれそうですが、
なんだか、共通項を見つけたようで、書きとめておきます。

その洋画鑑賞は途中でチャンネルを変えてしまって、ストーリも把握していないのですが、私にこんな出会いを与えてくれました、とさ、のお話です。

因みに、芥川の作品でも、「しゅじゅ」と仮名がついていました。
洋画の読み仮名は「こびと」でした。
「こびとの言葉」という意なのですね。
私の文章は、「かかしの文」です。アッハハ



以下、芥川龍之介の「朱儒の言葉」抜粋

二宮尊徳

 わたしは小学校の読本の中に二宮尊徳の少年時代の大書してあったのを覚えている。貧家に人となった尊徳は昼は農作の手伝いをしたり、夜は草鞋(わらじ)を造ったり、大人のように働きながら、健気(けなげ)にも独学をつづけて行ったらしい。これはあらゆる立志譚(りっしたん)のように――と云うのはあらゆる通俗小説のように、感激を与え易い物語である。実際又十五歳に足らぬわたしは尊徳の意気に感激すると同時に、尊徳ほど貧家に生まれなかったことを不仕合せの一つにさえ考えていた。……
 けれどもこの立志譚は尊徳に名誉を与える代りに、当然尊徳の両親には不名誉を与える物語である。彼等は尊徳の教育に寸毫(すんごう)の便宜をも与えなかった。いや、寧(むし)ろ与えたものは障碍(しょうがい)ばかりだった位である。これは両親たる責任上、明らかに恥辱と云わなければならぬ。しかし我々の両親や教師は無邪気にもこの事実を忘れている。尊徳の両親は酒飲みでも或は又博奕(ばくち)打ちでも好い。問題は唯尊徳である。どう云う艱難辛苦(かんなんしんく)をしても独学を廃さなかった尊徳である。我我少年は尊徳のように勇猛の志を養わなければならぬ。
 わたしは彼等の利己主義に驚嘆に近いものを感じている。成程彼等には尊徳のように下男をも兼ねる少年は都合の好い息子に違いない。のみならず後年声誉を博し、大いに父母の名を顕(あら)わしたりするのは好都合の上にも好都合である。しかし十五歳に足らぬわたしは尊徳の意気に感激すると同時に、尊徳ほど貧家に生まれなかったことを不仕合せの一つにさえ考えていた。丁度鎖に繋(つな)がれた奴隷のもっと太い鎖を欲しがるように。
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小春日和 サフラン咲く

2011-11-15 12:23:44 | 私の雑感あれこれ
生垣の山茶花が枯れてしまって、日当たりが良くなったので、サフランが咲いています。まだ、山茶花が小さかった頃に植えたものが、山茶花の葉陰になって目立たなくなり、これまで地味な存在でした。
10日ほど前から、細くて長い葉の叢に隠れるかのように、薄めではあるが古代紫と言いたげな色合いの花弁をつけています。
なのに、私、チャッカリとオシベを拝借して、陰干し。
酷いなと、ちょっとは思いながら、
「パエリアを作るときに、自家製サフランで」の魂胆なのであります。

あの有名なスペインの風車の中の売店で買ったものよ、と思い出しながら、
楚々とした花弁を覗き込んで、一応自家受粉させてから、真っ赤なシベを頂いています。

そして、今日、チューリップの球根を埋めました。
まだ、マリーゴールドが元気な花壇はいじれないので、プランター二つと、ラベンダーの横のスペースに。
計画性のない植え方ですが、彩がないよりはいいかな、と思って。
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「ローマ人の物語」文庫7巻 を読み中。

2011-11-15 07:23:35 | 
1、教師 ギリシャ語や弁論術をローマの良家の子弟に教える家庭教師
2、熟練技術者 医者、建築家、彫刻家、画家
3、上級技術者 交易に従事したり、農園の経営を担当したり、主人の秘書も出来る頭脳の持ち主
4、一般の職人 店のマネージャー、職人、芸人、剣闘士
5、舞踏や奏楽の技能をもつ、女奴隷
6、家事労働に従事する、男女の奴隷
7、非熟練労働者
8、子供の奴隷

ざっと、列記してみました。
1~8、みんな奴隷。

ちなみに、ローマ人による奴隷の定義は、自分で自分の運命を決めることが許されない人、であった。(文庫7巻、110ページ)

「最高の奴隷と最低の奴隷の価格差は100対1にもなった」ともある。
このころ、ローマ市民権をゆうする成年男子数 90万人
女子供、老人を含めた自由民の総数 600万~700万人
奴隷、200万~300万人


世界観が違ってくる。

奴隷についての話題に入る前に、彼女は、こうも書いている。

 はじめに断っておかねばならないが、イエス・キリストは、人間は「神」の前には平等であると言ったが、彼とは「神」を共有しない人間でも平等であるとは言ってくれていない。それゆえ、従来の歴史観では、古代よりも進歩しているはずの中世からはじまるキリスト教文明も、奴隷制度の全廃はしていない。だから、ユダヤ教信者を強制収用所に閉じ込めるのは、人道的には非でも、キリスト教的には完全に非である、と言い切ることは出来ない。略

 キリスト教を信じようが信じまいが、人間には「人権」というものがあるとしたのは、十八世紀の啓蒙思想からである。ゆえに、奴隷制度の廃止を謳った法律は、1772年のイギリスからはじまって1888年のブラジルにいたる、1世紀間に集中している。とはいえ、法律はできても人間の心の中から、他者の隷属化に無神経な精神までが、完全に取り除かれたわけではないのである。


紀元前1世紀まで来た。
スペルタクスの反乱まできた。
カークダグラス主演で映画された話題の中で、拳闘場の元老院席に、ユリウス・カエサルがいたのは、正確な年齢からするとおかしい、と塩野さんの指摘。歴史書ではなく物語として話が運ばれていくから読みやすい。

2000年前の史実がどこまで正確に書きとめられているものかはわからないけれど、塩野さんが参考資料として、末尾に載せていらっしゃる本の多さに圧倒される。
2000年以上前の歴史書が長年に渡って研究出版されていて、西欧人の教養の一部にもなっているのだろう。
ふとした縁で、塩野さんの書物の端っこを齧れることは幸いです。

そして次巻はユリウス・カエサルの巻。
たのしみです。
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またまた下呂温泉!

2011-11-14 07:04:25 | 旅行・休養
今年4回目の下呂温泉!
なんと消費で経済活性化に協力していることでしょう。
今回は、弟夫婦に母を連れて下呂まで来てもらって、リゾートホテルで合流しての1泊でした。
去年、同じように粟原温泉で合流して一泊、シベリア記念館訪問をしてから丁度1年です。
あの後、びっくりするようなことがありました。
あの芦原温泉の一晩中、咳き込んでいた弟の病気が風邪や喘息でなく、「悪性リンパ腫」でした。
昨日聞いた話では、「あと2、3日遅れると、呼吸が出来なくなって命が危なかった」といわれたほど、腫瘍が気道の周りを圧迫していたのです。
レントゲンでは腫瘍が映らず、苦しくて喘いでいる患者に「しばらく様子を見ましょう」と、一旦は言われた、と愚痴っていました。そのごCT検査結果で、とんでもない大きな腫瘍状のものが呼吸圧迫の原因だと判明。即日抗がん剤投与、となったそうです。

で、1年後の今。元気になりました。
あっという間に、10キロ以上の体重減だったのが、顔色もよく体重も、おおいに復活してきています。
髪の毛も戻りました。

病棟のフロアは、白血病、悪性リンパ腫、血液内科、の患者の入院病棟だったので、幾人もの人の死を目の当たりにしたようです。
「自分が『悪性リンパ腫』だとしたら、涙を流して喜ぶよ」と、語っていた人も、亡くなったそうです。
元気な生活を送っていると、それが当たり前のように思ってしまいますが、病気の一進一退に一喜一憂している人たちのいること、それにしても旅行まで出来るようになったこと、そんな話題が行き交う一晩でした。
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半時のぬか喜び。アッハハ

2011-11-12 08:46:56 | 私の雑感あれこれ
早く職場を出て、デパートのチャリティー展を覗いた。
昨夕テレビニュースで報道していたこともあり、以前通っていた絵画教室の先生も出品なさっているとは聞いてはいたものの、初めてでした。
殆どが小品なので、事務所の壁面に架ける一枚でもいいのがあるかな、という思いもないわけじゃあ、ありません。

さて、会場入り口に着く。
目に入った一枚の絵。「山ぶどう」の水彩画。
画面の余白は塗りこんでないぞ。
こんなのでも、いいんだ、ありなんだ。
100分の35と書いてあるから、100枚複写したうちの35枚目、ということ。
とすると、この作家さんは、結構人気の絵描きさんなのだー、
なんて、思いながら、ためつすがめつ、見入り、一人の世界に入っているワタシ。
・・・無言なんだから、迷惑をかけているわけじゃあありません。

その後、ざっと、歩を進めながら、見て回る。
ちらっ、チラッ、と遠目からも、「山ぶどう」を振り返りながら。

・・・沢山の絵の中では、淡い水彩は弱いかなー。
でも、これらの作品群の中では、自分の好きな絵って、アレだなー、なんて、自分との会話は続く。

一回りして、会場にいた係りと思われる5、60代の男性に声を描ける。
これって、原画ではないですよね。100枚も複製なさって値段がついているって、有名な方なのですか、と。

有名な、絵本作家(絵本の絵を描くひとをこう書いていいのか)とのこと。

そこから、です。
絵が好きなのですねー、から始まって、少し話をした。
あなたは、普通のひととは違った。普通は皆さん順番に絵を見て回られるのに、あなたは入り口からまっすぐ、この絵に向かって進まれましたね。
いやー、水彩を描いていて、いつも余白を描かないで残すもので、・・・と個人的事情もつい話題に。

そして、
今度は、あなたも出品してください、
と、名刺を渡されました。
そ、そんな、素人ですよ、とおおいに恐縮。
私はこのチャリティー展の主催者側の責任者です。
大丈夫、来年は是非持ってきてください。展示しますから。あなたの名前もこの案内はがきに書き込まれますよ、と懇切丁寧、なのです。

ひとりで、チョコチョコっと描くだけのワタシ。
ふんわか、と嬉しくなって、でも、そんな、それほどではない、と辞して帰った。

思えば、最近は、褒められ欠乏症だった。
こんなオバサンでも、ひょっとして絵描きさん?とも訊かれて、否定しながら、イヤじゃない誤解だったのだ!

帰宅して、夫に報告。
話の始まりは、所詮、チャリティー展の話、なのです。
夫曰く「それじゃー、ボクがキミの絵を買うことになるってことだね」と。
・・・
・・・
なーんだ、そういうことか、
です。

絵が売れればいいのですから、素人の絵でも、売れなければ可哀想、と身内縁者が買ってくれることもあるでしょう。
出品してるよ、と近親縁者にアナウンスするかも知れません。
なーんだ、主催者の営業戦略のひとつだったのかーーー。

納得、です。
ワタシのようなオバサンを参加させれば、夫は気の毒に思って、チャリティーに協力するでしょう。

アッハハの話でした。
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「ローマ人の物語」文庫6巻 読了。

2011-11-09 07:33:29 | 
前回の「読み中」に追加してもいいのだけれど、新たに書き足しにします。

戦乱が一段落しても、小競り合いなどはある。
そして、今日の法はローマ法が根源だど言われるというけれど、農地改革法とか、市民権改革法、とか、現代と見まがうような法律が産声を上げ始めているのです。
まだ紀元前の話なのです。

また、塩野さんの文章を書き留めておきます。

 人間とは、食べていけなくなるや必ず、食べていけそうに思える地に移動するものである。これは古今東西変わらない現象である。この種の民族移動を、古代では蛮族の侵入と呼び、現代ならば難民の発生という。古代ローマも、この種の民族移動を、ローマが存続している限り忘れることは許されなかった。

以上抜き出し

以前、寒冷地、寒風を避ける物陰もない土地でトナカイの群れが夜通し集団で塊になって回っているのをテレビ番組で見たことがある。厳冬の寒冷地でトナカイを眠らせると、凍死してしまうから、飼主側が交代でトナカイを24時間休ませないようにしているのだという。なんということか。トナカイたちは、自分の知恵の働かせようもなく、ただ足が動いているだけの状況なのでしょう。トナカイを自然界に放してやると自分で寒風を避けるところを探して移動するはずだ。そんな生き延びる知恵があるものが生き残っていくのだ、などとテレビ画面を見ながら話していたことを思い出した。
人も同じ。
某国では、飢餓で命を落とす人が多いと聞く。もし国境というものがなかったら、そこまでの飢餓に陥る前に、必死になるから、命を落とすことはないだろうに。移動を妨げられていることが、飢餓死を増大させているという面がある、のだろう。
国という制度を作って、弱い人を助けもするが、生きていく力を踏みにじりもするのだと、つくづく思う。

もう一つ書きとめておきます。

 外国人流入に反対する日本の鎖国論者を、頑迷な旧守派と思ってはならない。彼らは、国家の構成員全員は平等な権利をもたねばならないと信じている、純情な主権在民主義者であるのだから。

以上抜き出し

 ああ、そういう捉え方もあるのか、と思いました。
私たち日本人は、異人種とともに生活するという体験に乏しく、階級社会にも慣れていません。アテネは、両親ともにアテネ人でないとアテネ人とは認めなかった。ローマは寛大でドンドンローマ人を増やしていったけれど、資産による階級が生まれ、戦闘で敗者となった国から多くの奴隷をつれてきた。時代が下ると、親が奴隷であっても平民資格が得られるように枠を広げて行ったけれど、階級は存在した。またローマ人を増やすことは、兵士を増やす、軍を強くする、の意図の下で実施された制度です。
長年、国力増大のための人口増という策をとってきた西欧の歴史の源流でもあるのでしょう。対して、私たちの国はそんな経験をほとんど持ち合わせていません。日本という国の事情のちがいを言い当てているような気がして、文章を追う目が留まりました。
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