日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

降りた幕の隙間から。

2006-03-26 08:17:28 | 私の雑感あれこれ
幕が下りてからの訪問数が最高数を記録するとはびっくりです。
勝手な案山子のおしゃべり文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

「帰りなん いざ 田園はまさに荒れんとす」 ―帰去来の辞― 陶淵明(抜粋)

しばらくは荒れ果て加減の「スケッチ畑」を耕そうと思っています。
お時間がありましたら、本ブログのブックマークの「私のスケッチ帖」で一休みしていただけたらとも思いますが・・・。。
なにせ、ここ半年ぐらいは間遠になって荒れ果てていました。
よって、「帰りなん いざ」です。「キザ!」(苦笑)ですね。まったく。

「街中の案山子」を読んで下さる方があったことから、どれほど喜びを貰ったことかと振り返って思います。
重ねてお礼を申し上げます。

                                街中の案山子



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すっかり春です。

2006-03-23 12:15:44 | 私の雑感あれこれ
案山子のいる職場は街中のなので、今の季節は就職活動のスーツ姿が目に付きます。

振り返ってみると、ブログを始めたのが去年の3月。あっという間の1年間。
今、手元の計算機で足してみると投稿数は250を超えていました。

コメントは少なかったけれど、途切れることなく訪ねてくださる方がいると思うと、勝手なおしゃべりも楽しかったです。ありがとうございました。

この案山子の一人舞台、しばらく幕を下ろします。
多分、おしゃべりがしたくなって、また開幕、開幕と拍子木を叩きたくなるかもしれません。
しばらく休憩します。

ブログって素敵な媒体ですね。こんな媒体があることに感謝です。
それでは。

                                街中の案山子






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「親の経済力 夢を左右」 「塾へ私立へ 競い投資」

2006-03-23 07:58:02 | 私の雑感あれこれ
朝日新聞の「分裂にっぽん」の記事は今、子供の教育の特集です。
タイトルにしたのはその記事の2回分の見出しです。

日本の現状として記者さんが書きたいことは検討がつきます。
1回目の記事に
公立中学に通うある子供に、将来の夢を尋ねたら「コンビニのアルバイトです」と。
2回目の記事に
「お金のある家の子は落ちても私立に行けるから、危なくても希望の都立に挑戦できるでしょ。お金がないと行きたい高校も受けられないんだよ。先生これって差別だよね」と、涙をためて話す生徒に教師はかけることばも見つからなかった、と。

公立学校の先生にがんばって欲しいな。
お金をかけないと勉強が出来ないなんて、悲しいじゃないですか。
教育の根幹は子供から自立した人間へと人を育てることだと思います。
時に経済的な豊かさが必要なときもあるかもしれないけれど、経済力がないと夢の実現が困難だなんて、子供に思い込ませたくは無いものです。

公立志向が根強い東海地方でも、少しずつ私立中学進学者が増加しているとのこと。
ここで踏ん張って欲しいものです。
「何々特区」っていうのがありましたね。各地域でお国柄を売り物にする「特区」。
失業率の低さでも優等生だった愛知県、ここでひとつ「公立高校特区」なんていって、低負担で充分に自分に力をつけられる憧れの県にならないかなー。
だって、教科書や参考書は高額ではないし、高校にはそれぞれの先生がいらっしゃるのだし、あと、どう勉強するかは自分だから、「塾いく行かないはどうぞご自由に」と、口を揃えていうような、そんな県になったらいいのになぁ。

小学校時代から、選抜されることに汲々として、よく似た価値観の家庭出身者ばかりの環境で育つひとも、それはそれでいいのだけれど、そう言う人たちばかりがリーダー層を占めると、深みにかけるような気がしてしまうのは、余計な心配でしょうか。

担当の新聞記者さんの家庭でも、やっぱり中学から私学進学なのでしょうかね。
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こんな話聞きました。

2006-03-20 07:43:09 | 私の雑感あれこれ
昨日の話の流れに少しつながるかしら。
1年間の中国留学で娘が友人になったラオス人の学生(※)が卒業後ドイツの大学院へ進学することになったとのこと(数年前に聞いた話です)。

娘の話「2年間のドイツで留学生活の資金は、アメリカ人でNASAを定年退職した人が出してくれるのだって」と。
そのアメリカ人は自分の資産を途上国の若者の教育に充てていらっしゃるのでしょう。
財団の規模がどれだけかは知りません。ひとり卒業するとまたひとりなのかも知れません。高校卒業の段階で学ぶために出国し、5年後にまた次の学ぶために手を差し伸べてくれる人に出会ったというエピソード。
だから彼がどう育つかは彼次第なのですけれど。

きっと、多くの人がどこかで、自分に出来る範囲のこんな方法、あんな方法で、なさっていらっしゃるのでしょうね。

(※)ラオスで高校を卒業後中国で1年間中国語を学び、その後4年間中国で大学生活を送っている。この間の生活費は中国側の奨学金です。
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-たったひとりのあなたにー(雑誌の小文から)

2006-03-19 14:47:52 | 私の雑感あれこれ
活字を読んでいて、波長が合ったためか「ふっ」と身体が浮いたように感じる瞬間がある。
活字を読んでいて、わたしの中のどの琴線に触れたのか「ぐっ」とくる時もある。

日曜の朝、宅配の週刊誌の付録としてついていた、冊子の数ページが気になって、嬉しい。
コラムの題名は『誉めて、与える(giving)というアート』文 木下玲子さん

「諸君、わたしはカネを儲けた。今度はキミたちが使い道を考えてくれ」と巨万の富を残したマッカーサー夫妻が遺言で残した財団の四半世紀にわたる運営姿勢の話です。
財団が資金提供し、支援したい人々とは「無名ゆえにあたら才能を無駄にしている、素晴らしいクリエイティビティを持った人々。 以下略 」
そして財団は、才能を豊かに開花させられるように自由な発想をして欲しい、ということを基本にして才能への支援を続けているとのこと。

この財団を紹介する文章の中で、木下さんの文章は次のように続きます。

「素晴らしい機会」は個人のあらゆる条件を考慮する前にだれにでも公平に与えられるべきだ、と考える発想があったほうがステキだと思います。
 そしてもし、わたしたちひとりひとりが心からそう発想出来るようになったら、その社会に生きる人々は限りなく夢や希望を膨らませることが出来るでしょう。 以下略

再引用 

つまり、‘ギビング ――相手を対等の個人として認め、自分に出来る協力を惜しまずに与えること――゛という精神がわたしたちの生きている社会の基本に流れているかどうかが大きな意味を持つような気がしてならないのです。社会に「ギビングの精神」が流れていれば、そこには簡単に失われない強さがあるようにも思えるのです。
「機会は誰にでも公平にある」、
「優れた才能は自分達が協力して世に出そう」、

中略

「ほめてあたえる」というギビング精神が素晴らしく輝くのは、わたしたち無名のひとりひとりが無名の市民を認めて励ませるところにあるのですから。

気まぐれに手にした冊子なのに、大ヒットの出会いです。
小さな文字の小さな題字。題名(たったひとりのあなたへ)までもが遠慮がちです。縦書き雑誌の左側ページから3ページの割り振りで、目にとめる人が少なそうだけれど、丁寧に読ませてもらいました。
社会に「自分ができることでかかわれる(あたえられる)」って、喜びのはずですから。
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伊坂幸太郎「死神の精度」を読む

2006-03-19 12:40:46 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
「魔王」に続き2冊目の本です。
今度は死神として人間と交流を持つ話が6つ。但し命じられた調査期間が常に1週間だから交流は1週間。
あるときは当世風若者。あるときは中年おっさん。あるときは…。
調査対象によって、死神は対応する人物になりすます。
誰でもが死ぬことを知っているのに、それがいつやってくるかわからない。わからないという前提で生活することに慣れきっている。
読みながら、ふと思った。
「この死神って、例えばガン細胞のようなものではないだろうか」と。
深い眠りについているもの。目覚めようかと眠りが浅くなっているもの。活発に動き回っているもの。
わたし達は死神のようながん細胞を内にもってるのではないかと。
相当の時間深い眠りにあるのが本来なのだけれど、何かの事情があって目を覚ます。
それはガン細胞の調査期間が、人を選んで、その人がそこで命を終えるべく意義をガン細胞なりに調査しているような気もしてくる。
調査の結果、死神調査員が「見送り」と報告すると命が永らえる。
逃れようもない死を、こちら側からでなく、あちら側から、淡々と。
人を嘆かせるガン細胞も、静かに眠っているのかもしれない。
「ガン細胞ってバカだよね。だって、増殖してその人の命まで奪ったら、自分も破滅なのに」
と、そんな風に思ったりしたことありませんか。
だから、本当は深く眠っているのが、得策なんです。
上司に仕事をしろと命じられて、律儀に動き出す奴に当ると悲しみがやってくる。本を読みながら、それに似ているよう気がしました。

書中に「天使は図書館が好き、だから図書館に行けば天使に会える」とか。
そして出てくる死神はミュージックが好き。だから死神は死神はCDショップに集まると(これは本の中での話です)。
さっぱりとした言い回しが面白い。

この本も「本屋さん大賞」のにノミネートされているようです。
今人気なのですね。アマゾンで購入するようになって、本屋さんへ行く回数がめっきり減りました。

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道路工事の年度末です。

2006-03-19 08:43:53 | 私の雑感あれこれ
ようやく私たちの地域の下水道工事の順番がまわってきて、ここ数ヶ月近所のあちこちが工事中になっていました。
待ちに待った下水道普及ですから交通の不自由はみんな暗黙の了解です。
だけれど、昨日の一方通行になっていた近所の道路の工事は、アスファルトのリニューアルです。確か深く掘ってはいませんでした。
おかしいなと思います。下水道工事区域なのに、だから今後1、2年のうちに道路が掘り返されるのが確かなのに、何で今の時期にアスファルトのリニューアルをする必要があるのだろう。
下水道工事が完了してからキレイにすればと、考えるのが自然ではありませんか。
町は赤字行政だといっているのに、何で?と情けなく思ってしまいました。
この工事で喜ぶのは受注した業者なのでしょう。
下水道工事も長い期間にわたって、指定業者が町の工事を請け負っているし、住民税も一旦町に入ってしまえば行政の力は絶大で、口出しする機会って選挙しかないのですから、隔靴掻痒です。
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日本人の文化度。

2006-03-19 08:26:39 | 私の雑感あれこれ
「日本人の…」なんて大きくいってはいけないのかもしれませんが、ちょっとここに。
昨日は枝垂れ梅見物に行ってきました。
この土日が梅祭りの最終日ということもあり、案の定梅林のある農業センターへの直近の四つ角は渋滞です。
いつもの方面から向かったので、梅林方向へは右折路線です。信号機は20~30台ほど先で進まなくなりました。「あぁ、しまった。せめて反対方向から左折路線のほうか良かった…」と、ぼやきながら、待つこと暫し。
あと1~2台になると交差点をいかに右折するか気になります。
いくべき梅林への道路は既に渋滞であり、信号が青でも入れません。一台分余地ができるごとに、信号待ちの最前車が一台進むという按配です。
見ていると左折車が入り、右折者が入り、一台分の余地があるところに半分回り加減の次の左折車が入りません。何で?と思っていると直進車を待っていたのでした。
あー、三方向から1台ずつって暗黙の了解なのでしょうか。
混雑するとわかっているのに、何でおまわりさん来ないの?とは一瞬思いましたが、なんら諍いもなく、ルールに則って、交互に前進していく、これってささやかなことだけれど、日本人の文化度の高さだと思った次第です(大げさかしら)。

枝垂れ梅は満開で見ごろでした。
桜と違って梅見物は肌寒さがつきものですが、風がなくて例年より少し遅めだったこととから、満足な一時を楽しみました。
何度も訪れる近場の梅林です。
すべて枝垂れ梅。その枝振りがこうもり傘の骨のようにピンとしていて、花笠って感じです。枝垂れ梅風にゆれてという微妙な風情ではないのです。
見事に満開で沢山の素人カメラマンの被写体になっていました。
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水ぬるむ頃なのでしょうか。

2006-03-17 08:05:34 | その他
育つた地方は日本アルプスの扇状地の端っこだったから、雪が解けて小川にさらさらと水音がというあの感じを実感できたのですが、あいにく今暮らしているところには、小川がありません。
「水ぬるむ頃」の筈ですよね。
ようやく寒さを気にせず庭で土いじりできる頃になりました。
雨があがった今朝の日差しに小鳥のさえずりが聞こえます。お隣の梅にうぐいすが…という年もありましたが、今日はうぐいすではありません。
暖かさに背筋ものびる季節です。
今日一日を丁寧に使いたい。
さぁ、それでは。

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昨日観た映画「グローリー」

2006-03-15 21:59:28 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
連日NHKBSでアカデミー賞受賞作品画放映されているものだから、つい観てしまう。
1989年のアメリカ映画。
時代は1860年代の南北戦争の最中。
調べてみるとリンカーンが大統領に就任したのは1860年とのこと。そういえば、ゲティスバーグって言葉も映画の中てで耳にしました。
あの時代です。
北部ボストンの裕福な家庭に育った23歳の若者ロバートが大佐に昇進。但し率いるのは史上初めて結成された黒人部隊。
奴隷解放前夜のこと、奴隷労働でなく軍人として募集に黒人達は意気込んで参集。しかし差別がなくなるわけではない。軍人としての装備支給は後回しにされるし、白人兵の略奪行為の尻拭い役が回ってきたりして、誇り高い軍人を育てているはずの若い大佐ロバートは歯軋りする。
そんな中、戦況困難と伝え聞いた若き大佐は、先陣には自分の部隊をと申し出て白兵戦に挑む。
銃を構えた歩兵が幅いっぱいに広がり前進する。
遠目にはフランスデモ風であるけれど、手にしているのは銃。そして前方からも大砲が飛んでくる。近づくと銃弾に倒れるもの、大砲に吹き飛ばされるもの。それでも隊列は崩れず前進していく。
えっ、こんな戦が史実?と思ってしまう。弾をよける術もなく前進する戦法が、この時代の戦争ってこんなに容易く命が失われていったのかと。
大佐ロバートも騎馬を辞め、黒人歩兵らと共に軍旗を掲げて前進する。多くの死者がでる。ロバートも倒れる。こんなにも命が軽く扱われるのに奴隷労働ではなく戦士となろうと参集した黒人兵たちが粗野で汗臭いけれど切実です。
南北戦争はアメリカでは内戦。
1860年代を描いたこの映画、実際に残されていた若き白人の大佐の親元に書き送った手紙を元にしたものだからか、部隊を規律正しく育てようとする23歳の目線です。
奴隷労働から解き放たれようとしている時代が描かれていて、私としてはよい映画だったと思う。この国にも命を惜しむことよりも、誇りを求めた人達の時代があったということを示してしれているようです。
命は惜しいはずなのに、虐げられた時代が積み重なっていたためにそう行動させた部分もあるのでしょう。
これは北部側。
同じ時代、南部に暮らしていたのは「あの風と共に去りぬ」のスカーレットやレッドバトラーたち、そんなことも思いながら観た映画だった。


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