日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

健康がなにより

2005-05-31 16:24:09 | その他
週一回の運動の疲れが後を引いて、昨日月曜は右肩が上らなくなった。
一週間前からちょっと肩関節に違和感があったのに、我慢したのがいけなかった。
パソコンのキーボードのところまで、左手が右手を誘導しないと、右手自身では前に出ない状態。ひらがな入力なので、テンキーは右側の数字を打つのだけれど、左手でやったほうが速い始末。
身体全体で痛みを我慢していたのだろうか、夕方に整骨院で診てもらっている途中で、意識を失ってしまった(多分短時間だろうけど、額に冷たいタオルが当てられて気付いた)。
歳をとると疲れは翌々日にやってくるので、今日火曜日はさらに大変かなと用心していたら、昨日よりは快方に向かっている。やれやれだ。
今度の日曜には、町の大会があるのだけれど、ペアの相方に迷惑かけるし、早めに欠場の連絡をしたほうがいいのだけれど、自分自身で治り方の加速度を測りながら、明日まで待ってみようかなとも思っている。
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バラの季節です。

2005-05-28 17:54:45 | その他
バラの季節です。
今日は岐阜県可児市でやっている「花フェスタ岐阜」に行ってきました。昨日のニュースでたくさんのバラが見事だという映像が流れていたので、混み合うことを覚悟して9時頃出発。
開催期間3月から6月とのこと。まったく見事に植えられたバラ園や西洋風花壇、そして小花が咲き乱れている土手がずっっと続く風景に満足して帰ってきました。でもまだ木が若くて、あと2~3年後のほうが枝ぶりもしっかりするのにと思うのもあり、これって期間終了後どうするんだろう、ということが気になりました。
街から遠い山の中の花フェスティバル。入場料取っている今年は維持費も投入して頑張っているのだろうけど、2~3年後どうなっているのだろう。
根っこのついた花木だから、そして手入れがこまごまとした手入れが必要なバラだから、よそ者がなにも言う必要はないけれど、桃源郷のように癒しの場所であり続けてくれたらいいけれど…。

そして、もうひとつのバラ園
私が毎日地下鉄通勤している街中の公園にも広いバラ園があります。
初めてバラのシーズンにこの公園にきた時、あまりの見事さにびっくり。枝ぶりにも年季の入ったつるバラがいくつものアーチを作り、花壇にも一つひとつ名札をつけて、これぞプロの職人の腕の見せ所といわんばかりに咲き誇っていました(花職人さんがいたわけではないけれど、十二分に手入れ一番いい顔を見せてくれていたから、私が勝手にそう思った)。
いつも公園を通り過ぎるひと。バラを観に来た人。素人カメラマン。
目的も様々でしょうが、この季節は砂利を踏む音も賑やかで、ちょっと埃っぽいなとも思いますが、毎年通りすがりで眺めさせてもらえる贅沢を楽しみます。
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橋梁談合  (記者会見から)

2005-05-27 12:41:11 | 社会問題
摘発されたのうち2社の会社トップ(経団連役員)の記者会見
「コンプライアンスを守ることを厳しく言ってきた…」
「上手くやれという言い方までして、仕事を取ることを優先したことはない」
とか。
このお二人は揃って「談合」が40年以上に亙って続いてきたことを知らないで来た人ということか。
受注事業はいずれも大規模工事ばかりであろうから、そこまで目が行き届かなかったとのことはないだろう。
受注に関する清濁併せ呑む部分のある部署は将来性のある社員を遠ざけていたのだろうか。
入社以来40年もその業界の体質だったであろう部分を、知らなかったと記者会見するトップの二人。
それとも、問われているのは自分が現職になってからのことであり、従来から上層部の耳には入れないという配慮が徹底してなされており、今回の発言のように関与していないと記者会見できたのだろうか。
経団連会長の奥田氏の「(談合が)今後まったくなくなるとは言い切れない…」発言のほうが説得力がある。
業界違いの自動車会社の奥田氏が、談合の存在を認めた上での発言なのに、上記お二方が「不知」を通しておられることが、妙におかしい。
実態は徐々に明らかになる(なされる)から、始めの一歩は否定から、ということだろうか。


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銀行3月期決算

2005-05-26 14:14:09 | 社会問題
「大手行の不良債権半減」
「3月期決算 金融相が正常化宣言」
「3メガ時代、幕開け」
「三菱UFJ統合初年度投機黒字見込む」
「りそなHD初の黒字に」
今日の朝日朝刊、銀行の業績を報じる見出し、元気よくなってきたようだ。

今100万円を1年間定期預金したら、利息0.03パーセントで300円。
以前の3%程度推移していた時代であれば、1年間に30,000円。
かつては利息として預金者に支払われていたであろう差額29,700円は、今は銀行に残る。
1000万円だとすると297,000円。ほぼ30万円ではありませんか。
とすると、銀行の体力回復に尽力しているのは、預金者なのではないでしょうか。
そう、手数料収益があがったといっても、各種手数料を支払うのは窓口を使うお客さんであり、投資信託を買い利益があっても損失があっても一定割合の手数料を払うお客さんです。
どの銀行もほぼ同額の横並びに決められた手数料の集積と、運用益を期待しない預金者(殆ど無利息にちかくても甘んじている)のおかげでの業績回復なのでしょうけど、不良債権問題で頭を下げていた時とはどことなく違って、大銀行健在の趣が漂っているように思えるのは、一般預金者の僻みでしょうか。
バンカーであれば、預金者への利息という形で運用実績を示してこそプロだと思うのですが…。
金融庁に数字を示すことに執心して、雀の涙の利息に甘んじている預金者を忘れてはいませんか。
手数料の魅力的な投資信託勧誘と高金利カードローンのお誘いにばかり熱心なように見受けられます。
営利事業なんだから仕方がないのでしょうか。
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寿限無(じゅげむ)のイチゴ 

2005-05-26 10:55:21 | 子育ての周辺
イチゴが通年で出回っているけれども、朝の食卓に上るのは5月。
家庭菜園の朝のイチゴがふたつぶ、みつぶと採れ始め、その内ザルいっぱいにとれるようになったかと思うと、アッと間にふたつぶ、みつぶになり、そしてその年は終わる。
朝の食卓で
「お父さんの作ったイチゴだからね」と言うと、
「違う、太陽がなかったらできないよー」と息子。
お父さんの作ったイチゴと言うその都度に
「違うー」と。
それから我が家では
「太陽と土と水とお父さんが作ったイチゴ」(タイヨウト ツチト ミズト オトウサンガ ツクッタイチゴ)というながーい言い方が続きました(落語の寿限無のよう? 笑い)。
そう、
「太陽と土と水とお父さんが作ったエンドウ」も、同じ頃食卓に上りました。
子供たちが巣立った食卓では、寿限無のような長い呼び名を唱えることもなくなりました。
「違うー」と、口をとんがらかして「太陽と土と水とお父さんが作ったイチゴ」言い直していた息子も社会人。
今は北の地方に暮らしていますが、イチゴを食べる時思い出すこともあるでしょうか。
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子供を持つ女性が仕事を続けていくこと その1

2005-05-25 07:24:48 | 社会問題
少子化という言葉もすっかり耳になじんだ。連日のように新聞で採り上げているが、では新聞社の実情はどうなのだろうか。模範例になるのかならないのか判らないけれど、公表してみるのはどうでしょうか。
「隗より始めよ」である。
「夜討ち朝駆けの記事取材とかもありますが、子育て可能なこんな条件を揃えています」などと、コメントが欲しいものです。
お聞きしたいのは40代、50代の男性社員の方の働き方についてです。
「共働きですか。それとも、奥様はあなたをサポートする専業(またはパート)主婦ですか」と。
そして、
「あなたの現在の仕事は、サポートする人がいないと成り立たないですか」と。
子育ては、どうしても女性(母親)が担う部分が多くあるので(多分若い女性たちは充分承知していす)、その上に、上司の殆どが専業主婦に支えられた仕事人間だとしたら、「子育ても仕事も」という頑張りも消えうせてしまうのではないのでしょうか。
どういう働き方のバリエーションがあり、その働き方を認知している会社であることを、先輩例で示すなり(いつも特集番組を企画したり連載記事を載せている進歩的(?)なマスコミがやってくれるといいのだけれど…)して、若い人にエールを送って欲しい。

随分以前に、俵萌子さんが新聞記者だった頃、子供が寝ているうちに仕事に行かなくてはならなくなり、横で寝ている子供を踏まないように、踏まないように、そっと出かけた、と書いておられたことを思い出す。
そして、もし自分が仕事をしているために子供が交通事故に遭ったりしたら、その責任は自分にあると、自分に言い聞かせながら仕事に行ったと。

今まで仕事をし続けてきた女性たちは、子供に何かあると、親の責任、母親の責任、そんな世間の目、自分の自分自身に対する目もある中で、続けてきているんだなと、俵さんのことを思い出す毎に思う。
俵さんの話を読んだのは、随分以前のことなのに、俵さんの仕事に対する姿勢がなんども頭の中を去来したものです。
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橋梁談合摘発

2005-05-24 14:08:13 | 社会問題
長らく「談合」があったとして、住友金属工業、神戸製鋼所、川崎重工業、三菱重工業、石川島播磨重工業などの会社名が新聞一面に載っている。
40年以上にも亙るという。これらの会社の従業員総数はどれぐらいになるのだろうか。ずっと就職人気企業の上位常連の会社で、大卒の有能な人たちを採用してきただろうに。
22の歳や24の歳まで前向きにやってきたことと、会社へ入って与えられた現実。
「母は談合も止むなしと教えしか…」(与謝野晶子のパロディのつもり(笑))の思いを味わった人が幾人もいたことだろう。
悪い人はやさしい顔をしてやって来る。「談合」も、適正な競争入札の名前を冠したシステムの中に潜んでいたのだろう。
40年間に入社した有能な社員達のノーブレスオブリージは何処をさまよっていたのだろうか。
建設会社の若手社員の仕事は、選挙事務所の手伝いだとか、石油会社社員の仕事が宴会係だとか、と聞いたりすると、声にならない葛藤がある人もいるだろうなと思っていた(私が聞いた本人は既に結構割り切っていたけど…)。
正当な競争がなされないことによる、不当な価格設定がなされていたとしたら、当然それらは税金の無駄な支出となる。
国の税収減で赤字が叫ばれている今、是非調査をしていただき冗漫支出がなかったかを審査して欲しいものです。
先進国、先進国と自分の国を呼び習わしていても、こんな不明朗なことが国の産業の根幹を担う会社で長年にわたって行なわれていたのかと思うと、声も小さめになる。
税金の支出は支出側に直接の痛みをともなわない。
業界トップ企業が名を連ねている。関係官庁からの天下りはいないのだろうか。その天下りさんは適宜に見ざる聞かざる言わざる、の役目だったのだろうか。
「鉄橋を造るための橋渡し」をしていた天下りキャリアがいたとしたらシャレになるのか、ならないのか。
いくらかの税金を納めるものとして、税金の支出のともなうところのチェックはしっかりとなされことを常々願っている。


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岡本太郎さんのブーム?

2005-05-24 07:37:27 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
昨日の朝日新聞夕刊の惜別というコーナーが岡本太郎記念館館長であった養女の敏子さんを採り上げている。記事によると「現今の太郎ブームの種をまいた人」とある。
そうなんですね。今岡本太郎ブームなのですか。
21日のブログ(精神のアンチエイジング?)で再引用をした、心が弱った時に引用する本として岡本太郎の『自分の中に毒を持て』を紹介していた彼女に、引用したことのコメントをと今朝尋ねたらブログは閉じられていました。
実は事前に「あなたの文章の中からと…」と公のコメントやトラックバックで伝えるのが気恥ずかしくて、著者名と若い人のブログとだけしか書けなかった(歳をくっているって、気恥ずかしいという厄介な感覚が働くのです、苦笑)。
その後「非公開コメント」指定枠があることを知り、今朝尋ねようとしたらブログは閉じられていた。
岡本太郎さんが精力的に作品を発表していた時代を知っている世代なのに、それ以上には殆ど知らず、かの子、一平夫婦の子供で強烈な絵を描く、虚空を凝視したような独特の風貌の大人子供のようなひとのように遠くの外側からだけしか見てこなかったのだけれど…。
彼も旅人だった。若い彼女も旅人、私もまだ旅の途中にいる。
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精神のアンチエイジング?

2005-05-21 10:51:04 | その他
今朝、ココロのポケットに、いつか読んだこんな文章が入っているのを思い出しました。
-略-
私は君達の頃、大きな思い違いをしていた。大人というものは大変完成された何もかも良くわかっている存在として目に映っていた。ところが20になっても30になっても高校の頃の自分と大差ないことに愕然としたものだった。ちょうど数学が完成され動かし難い物であると思い込んでいたのと似ている。
40代のおじさんも迷ったり、困ったり、間違ったり、あるいは勉強したりするさ。
君達と1年間付き合ってきた。私はあまり担任らしいことをやった自信がないが、そのかわり君達から学ばせてもらい、相当賢くなった自信はある。
-略- 子供の高校卒業文集の巻頭 担任教師(兵藤信夫先生)の一文
(ちなみに、高校時代の通知表にはお目にかかっていませんが、文集等はみせてくれていました)

そして、若い人のブログにお邪魔していたら
-岡本太郎の本『自分の中に毒をもて』を心が弱った時に読む本として-
『自信はない。でも、とにかくやってみようと決心する。その一瞬一瞬に賭けて、ひたすらやってみる。それだけでいいんだ。意志を強くする方法なんてありはしない。そんな余計なことを考えるより、本当に今やりたいことに、全身全霊をぶつけて集中することだ』

五月晴れの土曜なのですが、いくつになっても自分に愕然とし、心が弱ることがあるのです。

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お手玉の話から

2005-05-20 11:26:37 | 母のことなど
その頃母は自分に出来る何かないかと考えたのだろう。
4,5歳の子供たちが床に座ってお手玉をしている写真が送られてきた。
手紙には少しの添え書きしかなかったので、電話で話を聞いた。
近所の保育園にお手玉を100個作って持っていったとのこと。
保母さんや子供たちが喜んで受け取ってくれたものの、遊び方が判らない。
いまどきは保母さんもお手玉世代ではないらしい。(そういえば愛知万博で昭和の時代のさつきとメイの家が人気らしいが、見学の子供も、連れて行く親もお手玉遊びを知らないのだろうな)。
そこで日を改めてお手玉の遊び方を教えに行き、その時の写真を送ってくれたとのこと。
保育園の子供は母のことを、○○子おばあちゃんといって懐いてくれ(母は周りの人から「おばあちゃん」といわれることに抵抗のない人です)、「○○子おばあちゃん、こんなに沢山小豆を買ったの。高かったでしょう。お金持ちなの?」なんて、現実的な心配をしてくれる子供もいたそうだ。
「そう、お金持ちだから心配しないでお手玉使ってね」と応じたと笑っていた。
世の中には「お手玉に入れる小豆を買うことの出来るお金持ち」こんなのもありなんですね(笑)。

あれから2年ほど経った。
今88歳。
里山で兄が採って来た山菜などを今でもよく送ってくれる。
「もう、私のところ送ろうと気を遣ってくれなくていいから」と言ったら、その後の同居の兄の電話で、「もう要らないといわれたと、しょんぼりしていた。お前のところに荷物を送るのが楽しみなのだから、もらってやってくれ」と。
いつまでも子供を思うのが親の仕事なのだろう。その最後まで残っている仕事を奪わないわうにと、電話口で伝えてくれる兄。
子供といわれなくなってから、随分と月日がたっているのに、私を子供と思っている人がいることが、なんと幸せなことか、そう思う。
都会の私からの母の日のプレゼントは、いつも紋切型なのに…。





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