日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

またインドネシアで地震!

2006-05-31 11:24:23 | 社会問題
「津波」被害のニュースを聞いたのは、ついこの間のような気がするのに、また、インドネシアから地震のニュースです。
第1報のあと、どんどん死者の数が増えていくので、災害の大きさを思うと、悲痛な重いです。
この度、私の関係している団体(※)「アジア保健研修所」でも、現地から届く元研修生のメールを載せ始めました。
「アジア保健研修所」は、日頃から、各国から研修生を招いて、アジア地域の保健の向上を図ることを目的に運営されている団体です。
去年が設立25周年でした。
今、元研修生からメールによる連絡が続々と届いています。
援助のために、彼らを通して役立とうと、「アジア保健研修所」は考えています。
団体の仕組み、その他主旨等もホームページに記載されています。
関心がある方は、よろしかったら、お立ち寄りください。

今後の救援の内容についても、ホームページで連絡があると思います。
クリックしてみてください。

「アジア保健研修所」のホームページ

(※)私は、長らく、賛助会員でしたが、3月から編集の仕事をお手伝いしています。

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絵画展ラッシュと私の水彩

2006-05-27 17:04:05 | 私の雑感あれこれ
細々とですが、素人絵を描いています。
絵を描いている素人仲間もいます。そして、絵を専門としている人もおられます。
次々と案内状が回ってきて、絵画展ラッシュです。
大都市近郊に住んでいますが、毎日都心部に通っているので、見ようと思えばいつでも展覧会めぐりも可能なのですが、思いついたときに出向く程度で、そんなに熱心に通うこともありません。
でも、あそこで見たあの絵、あの美術館所蔵のあの絵、そして、あの中華屋さんにかかっているあの絵、と、見たときの気持ちを語ることが出来る絵は、ココロに何枚も持っています。それらの絵は一貫しているわけでありません。見たときの私の心理状況に呼応しているのでしょうね。
そして、自分が描く絵は、いまいちのような気がして、そう自信はありません。
今は水彩を描いています。
描いているとき、ひとりで描く対象とにらめっこしているとき、相手と会話している気分になるから不思議です。
当たり前、…ですよね。
自分が描こうと選択した相手は、好きになった相手だから、それは風景であっても、台所の野菜であっても、いいな、素敵だねと、私は褒め称えながら、筆を運んでいるのです。
勿論、気に入り方にもいろいろだから、いつも、対象はいい返事を返してくれるわけではありませんけれど。
ま、でも、筆を手に持って、描く対象に向かい、しばらく後に、ここにしかない一枚になることが、いいな、と、自分では思っています。
どれも、ささやかな一枚ですが。

そんなわけで、来月1ヶ月、仲間4人で1ヶ月、豊田市の喫茶店に絵をかけてもらうことになりました。
私達が、案内状を出せばコーヒーを飲みにくるお客さんも増えるし…、というのは、お店側の事情でしょう。
お近くなら、見ていただけるのですが…。
「私のスケッチ帖」の中の、何枚かです。
ブログでも見ることが出来ますので、よろしかったらブログででも。

右上は子供が小さかった頃に描いた何枚かの油絵の一枚です。


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国民年金の話

2006-05-27 14:17:06 | 社会問題
今、国民年金の話題が持ち上がっていますね。
未納率が高いことは従来から言われていてることですが、最近は、未能率の改善を図るために、国民年金の対象者を減らそうと、本人からの申請もなく、役所が勝手に免除者としている件数が、あちこちで見つかったとのこと。
まったくもって、「まぁ!」開いた口がふさがりません。
しかも、地域の社会保険事務所のトップの指示だったりするから、たまったものではありません。
早急に、チェックが入り、この件については是正されるとは思います。

しかし、思うのです。
この年金制度そのものが、信頼に足るもの、年金を掛けたいと望むものかと。

今は20歳になると全員加入の制度です。
20歳で収入がなくても、納付書が送られてきます。
8年前に制度変更があって、学生であれば、「申請により免除」されることになりました。
それ以前は、本人に収入がない場合は、親が替わって支払うべきだと、そう言う扱いでした。
20歳で成人になったと認めておきながら、45年後に受け取る年金を、親に支払ってもらえと言うのは、制度として矛盾するのではと、徴収先に電話したことがあります。
返事は、「決まりですから、親に基準以上の収入がある場合は免除は出来ません」

実態は不自然で、論理的だとは思えないのに、決まりだから従わなくてはならない、そんな気分を味わいました。

決まったから実行している、有無を言わせぬ、そんなところなのだと思っていたら、今度は、未能率アップのために、勝手に免除申請の書類があったことにしている!

存在意義を考えることを横において、只々、未能率アップの号令のもとに動いているから、笑えない失態が、あっちでも、こっちでも、でてくるのではないでしょうか。

国民年金のもうひとつ、不思議なしくみ。
第3号保険者(いわゆる専業主婦)は、掛け金を支払わなくても、支払ったことにするという扱い。
同じ年齢でも、独身者には義務があるのに、結婚していると、支払ったことになる。
不思議です。
独身でも既婚でも、65歳の時には同様に衣食住は必要なのに。
得をする人にとっては、良き計らいかもしれませんが、制度説明の説得力が低下するのではないでしょうか。

死ぬまで、誰にでも衣食住は必要なのだから、年金制度は世帯単位でなく、個人にかかるものとして扱い、「夫の世話をする主婦であれば、夫の収入から支払う」、このほうが、納得できるのではないでしょうか。

長くなりましたが、こんな考え方はどうでしょうか。
今、国民年金を掛け続けても、将来受け取るのは、生活保護費と大差ない程度でしょう。(実際の金額が違っても、生活保護には、医療費免除等の特典もあり)。
だとしたら、いっそのこと、国民年金部分は個別徴収を止めて、最低限度の生活が出来る程度の支給を税金(例えば消費税)ですることにしたほうが、一番効率がいいのではないでしょうか。
そうなってしまえば、件(くだん)の社会保険庁の国民年金担当の職員の人件費・徴収にかかる費用がなくなるわけですから。






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そして、もう一度、子育ての周辺

2006-05-26 17:59:19 | 子育ての周辺
「夫婦喧嘩は犬でも食わぬ」のたぐいの「子育て編」話ですから、つまんないと思われた方は、パスしてください。次回は、社会問題を書きますので…(苦笑)。

同じく、砂場遊び盛んな頃の話です。
昨今は、幼児が被害に遭う事件の多発で子供の帰宅に神経が注がれていることと思います。
今日の話は、ある日の思い出です。
長女が幼稚園に行き始めた一年目。
公務員の集合住宅が五棟で、子供が沢山いたものだから、送り迎えを交代でしていました。
彼女の帰宅時にカギをかけて留守にしていました。下の二人の子供と、例の砂場辺りにいたのかもしれません。
ころあいに帰ってみると、ドアノブに紙が引っかかっているのです。
『◎◎ちゃんのところで あそんでいます』
我が家は3階、1階のお宅にいるということの連絡です。
お絵かき帳だったか、新聞のチラシの裏だったかに、クレヨンで文字を書き、上のほうに穴をあけて(手でちぎった感じで)ドアノブに引っ掛けてあるのです。
この〈穴をあけて引っ掛ける〉手法、うまーい、と思ったものです。
勿論、すぐに1階のお宅にお邪魔して、御たいめーんはしました(笑い)。
親がいないからといって、泣かないで、彼女、そう行動するのか、と思ったものです。
決して、彼女、強い子ではないのです。
その少し前に家族旅行で行った、紀州の白浜ワールドサファリでは、遊覧バスに乗ったものの、怖くて窓の外を見ることが出来ず、一周する間、ずっと床にうずくまっていましたから。
放し飼いの動物を見せたくて、ワールドサファリが旅行の目的だったのに…。
持ち味は、小さい頃からスタートしているものだと、つくづく思います。


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お砂場の話、もうひとつ

2006-05-26 08:06:12 | 子育ての周辺
このテンプレートであるうちに、もうひとつ。
子供の外遊びは連日お砂場だったから、「お食事の時間でーす」と、呼びにいくのも砂場です。
「おうちに帰ろう」
「うん」
「お友達から、○○(娘)ちゃんのシャベル、返してもらったら」
「ううん、いいの」
「あれ、○○ちゃんのでしょ」
「あげるから、いいの」
こんな娘でした。
自分のものなのに、「私の返して!」「使っちゃダメ!」なんて台詞は彼女の持ち言葉の範疇にはないのです。
そんなわけにはいかないと、
「ゴメンね、○○ちゃん帰るから、シャベル返してね」は、私の口から。
三輪車も、娘が乗るより、団地の周りの共有物みたいで…。
「貸して」
「うん」
「貸して」
「いいよ」
の日々。

去年、娘と1週間の旅行をしたとき、小さかった頃の話になって、その話題が出たとき、彼女は言いました。
「私は覚えていないのだけれど、多分、シャベルや三輪車はわたしが使うより、使いたい人が使ったほうがいいと、そう考えていたのだと思う」と。
「ダメ、いやだ!」なんて、我が子が自己主張をすれば、「ゴメンね、貸してあげられなくて…」なんて台詞もいえるのに、そんなこといえるチャンスはないのです。
なんとココロの狭い母親だと、ウジウジしているのはわたしでした(まったく!)。

反対に、「ダメ!○○ちゃんには、貸してあげない!」この言葉は何度も耳にしたのですが(笑い)。

その頃の私は20代の後半。子育ても初心者マークの頃の話です。


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テンプレートを砂場に替えてみました。

2006-05-25 15:51:53 | 子育ての周辺
あれこれ捜していて、「お砂場」でストップ。
このテンプレート用の記事というか、この話を書くためにこのテンプレートにしたのか(笑い)。
集合住宅で暮らしていた時、沢山の子供がいて、それなりのお砂場もありました。
5歳、3歳、0歳と、3人の子育て真っ最中だったので、お天気の日は0歳を抱っこして連日お砂場周辺をウロウロする日々でした。
あるとき、長女がスカートのすそを引っ張ります。長女まだ4歳だったかもしれません。
「ママ、お団子を作ったから、お砂場に見に来て!」
何気なく足を向けると、お砂場の四辺の木の仕切りの上にお団子がびっしり。100個近くもあったでしょうか。
お団子いっぱいのお砂場にしようと、そう考えて小さな手で砂を捏ねていたかと思うと、暖かい気分になりました。
その後、また、「ママ、お団子を作ったから、お砂場に見に来て!」という子がいました。3歳の長男です(まさか、いくらなんでも0歳はいいません)。
子供って、ふーん、こんなものなのだと、とことこ0歳を抱いて、見に行くと、団子はありません。
「どこ?」
ありました。
ふっくらした手の中に、大事そうに一個。本当にまん丸な一個です。
ぬれた砂と乾いた砂を交互にかけて、見事に出来上がっているのです。
頭の中で、自分を笑っていました。
お姉ちゃんの時のように、「お砂場の周囲にずらっと」を、想像していたものですから。
弟には、お姉ちゃんの団子の記憶はないことだし…。
「団子を見て欲しい」は同じでも、あっちとこっち、違うものなのだと、忙しい子育てのなか、子供からぬくもりをもらった話です。
長男の団子作りはその後も続いて、幼稚園の花壇の隅に転がっていても、○ちゃんの団子でしょう、と言い当てるほどの執心ぶりでした。
以上、私の子育ての周辺「砂団子のお話」です。

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新聞記事の(井上ひさしさんの話)から

2006-05-24 08:17:42 | 私の雑感あれこれ
昨日の朝日新聞、井上ひさしさんが山形県の少年院「置賜学院」で語った話の記事から。

井上さんの話「人を笑わせることが、わけもなくうれしくてしょうがない人間が、人口の5%くらいいます」と。
「ひょっこりひょうたん島」の井上ひさしさんだから、「笑い」「楽しむ」の大御所なのだろうけれど、如何せん、95パーセントに入ってしまう私は、指をくわえて見ているしかありません。
井上さんは子供のとき、カソリック系の施設で暮らしていたことがあります。
昨日の記事では、その時に、「この世は涙の谷」であり、99パーセントの悲しみのなか、残る1パーセントの楽しいことをめざしていくのが人生だと教えられたとありました。
以前には、同じ施設での暮らしを、終戦後であったにも関わらず、食事は充分満ち足りていて恵まれているから、あの宮沢賢治の『注文の多い料理店』を連想して、そのうちにサーカスにでも売り飛ばされるのではないかと、仲間と話したことも…と、読んだことがあります(笑い)。
「この世は涙の谷」と聞かせられる一方で、毎日の食事をそんな風に連想したり…。
うーん、井上さん、ですね。
子供の頃に取り巻いていた環境が、自分形成に大きく影響しているって、こんな時思ったりします。

先月だったか、電話で「真面目な文章だね。引用する文章も真面目だし…」、娘にそういわれました。
そして、付け加えて「これって、誉め言葉じゃないからね」と。
「わかっているって!」と、返しましたが、95パーセント側の人間であることは自他ともに認める事実です。
井上さんは、まだ生活も不安定だった頃に、ビルの一室に起居しながら「ひょこりひょうたん島」を書いていたとどこかで読んだことがあるけれど、そんなときにお楽しみの話を書く人って、大きい人ですね。
今日は、ないものねだりの話です。
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損保ジャパンが業務停止・・・

2006-05-24 06:46:44 | 社会問題
保険料の立替払いがあったから、だという。
「えっ、今まで、知らなかったの?」という思い。
どこの保険会社か忘れましたが、随分以前に、こんな話を耳にしたことがあります。
保険外交員に保険加入を勧められ、無理して入ったものの保険料支払いがきつく、すぐに解約すると、保険外交員のペナルティーになるから、外交員が自腹を切って保険料を払ってもらったと。
お客さんの誕生月には食事会をとかの自腹サービスをしている外交員の話もありました。
外交員といっても、親しい友人だったりします。
業績アップに協力するために、お客と持ちつ持たれつ…。ちょっと考えればありうる話です。
ふーん、そんな仕組みかと、聞き過ごしていました。
それが、業務停止に発展するほどの違法行為だったのですね。
だとしたら、ずっと以前からあった話なのに、保険外交員のおばさんたちに徹底していたのでしょうか。

門外漢の私は、顧客獲得が自分の収入アップにつながるから、皆さん大変だなと、思っていただけでしたが、今回の損保ジャパンへの措置をみて、そんなに重大なことであったのなら、トカゲの尻尾きりのような一部保険会社だけでなく、公平明朗にチェックして欲しいものです。
そして、かねてから思っていること。
加入可能な保険は、それなりの制限があってもいいのではと思います。その人の想定できる収入をはるかに上回る保険に加入し、保険金殺人が疑われることがないように。
保険は、元来、互助制度から来ていると思っているものですから。
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「多数決の採決禁止」という論理

2006-05-23 07:23:55 | 社会問題
東京都教育委員会が職員会議で多数決の採決をすることを禁じたとのこと。
「えっ!『意見を取り交わし、多数決で決める』それを禁じたの?」
「石原都政だからかな?」
そんなこと、あれこれ思いました。
学校教育の現場の先生達が、民主主義の基本である多数決の場を取り上げられるのは、理不尽なような気がしたのです。
昨日の朝日新聞の都教育長の記事によると、学校運営は個々の先生の代表が行うのではない。運営は教育長、そして校長の方針を実行してもらうのであり、個々の先生方に決めてもらうものではないとの論理らしい。
「ふーん」「そうなのか…」
しばらく、その見解というものを頭の中に転がしていました。

そして、かつて、東京都で新米教師をしていたときの場面を思い出しました。
卒業式の近い季節、毎日職員会議が続きました。
議題は、あの「卒業式の舞台に『日の丸を掲げる』か『卒業おめでとう』の言葉にするか」でした。
新米の私は、「へー、こんなに熱心に議論するものなのだと」と、そのことを学習しました。
卒業式も間近になった、朝の職員会議。
校長は「日の丸を揚げるかどうかは、私の判断で行います」と、きっぱり。
校長の声がいつもと違って聞こえました。こわばった表情で、立って話す校長の机に接していた指先が震えていたのを見ていました。
理由は教育委員会の意向に従うとのことでした。
校長も大変だったと思ったものです。

そのときのことを、昨日の新聞記事で思い出しました。
「学校運営を先生達の代表がやっているのではない」
「あー、あの時がまさしくそうだったのだ」と。

しばらく後に、件の旗を用務員室の冷蔵庫の上に見つけて、
用務員さんの「あんなに大変だったのに、こんなところに『日の丸の旗』置きっぱなしにしちゃって…」
という声まで、この新米は聞いてます(笑い)。

校長は学校の代表であるけれど、教師達の選挙で選ばれたのではありません。
そして、教育長についても、選挙で選ばれたのではありません。
教育長の指示で校長が学校運営に当る。職員会議での採決を禁じる。
なるほど、理屈上は通るのかもしれませんが、直接に子供達とかかわる先生達に閉塞感が生まれないものかと、そんなことを思うのは、いらぬお世話なのでしょうか。
学校の会社化みたいですね。
だとすると、子供達は製品?







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映画「二都物語」を見る。

2006-05-20 21:53:09 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
1957年のイギリス映画白黒。
チャールス・ディケンズの小説は知っていたけれど、読んではいない。
私的には★★★★★
舞台はフランス革命前後のパリとロンドン。
イギリスとアメリカが戦争中(時代は独立戦争のあとさき頃)らしい。アメリカとの戦はイギリスに勝ち目がないと論ずれば、密告されて捉えられるロンドン。
革命前のパリは貴族の時代。使用人はご主人様の意向次第。奴隷同然。
貴族が使用人を牛馬のように扱っていたパリで、民衆がバスチーユ監獄開放へと押しかける場面もでてくる。共和制となって、今度は貴族達は断頭台で処刑される立場に。
使用人に同情したとして18年のバスチーユ監獄生活を強いられ、貴族の子々孫々まで許さないと、獄中で書いた書類で、娘婿が処刑される運命に…。
価値観の大転換の時期、大きな渦に巻き込まれ、数え切れぬほどの意図せぬ悲劇があったろう。

数年前パリの街を歩いた。バスチーユ界隈も通ったし、コンコルド広場にも行った。
今も石畳の街路が残されているから、あぁ、あのパリの街角にひもじい思いの群集が、貴族の馬車を見送っていたのかと想像もしたり。

今「コンコルト広場」といわれているあのセーヌ河畔の広場は、かつては革命広場と呼ばれていたと旅行案内には書いてある。
そこに断頭台が置かれ、群集の喚声の中で、多くの命が散ったことは、文字で読むより、映像で見せられると、より、より重くココロにズシンとくる。

読みたい本がひとつ増えました。
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