日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

スペインの旅 その1

2005-05-12 21:19:19 | 私の雑感あれこれ
2月下旬(但し2年前の)。ポルトガルからバスでスペインへ。どの街からの移動中だったか、途中オリーブ畑の一本道をバスで3時間ほど(ごめんなさい、アバウトです)。
とにかく日本はまだ寒風の季節なのに、南欧は晴れ晴れとした青空で一面のオリーブ畑をトコトコとバスは進んでいきました。
どの畑もオリーブの木は収穫運搬の車が入るように間を取って植えられており、乾いた地肌がアフリカの続きの風土だということを思わせる。
添乗員さんの話によると、
かつては広大な森だったのだけれど、あの大航海時代に気候まですっかり変わるほど木造船建造のため森林の伐採が繰り返され、砂漠化したとのこと。その後作物としてのオリーブの木が植林されたそうだ。
それですっかり辺りはオリーブの畑。
この国は大地主制が現在も認められていて、オリーブ畑の持ち主は都会に暮らしていて、収穫の季節にはアフリカや南米から来た労働者が摘み取り作業にやってくるという。
北アフリカは距離も近いし、繋がりも強いのは納得。そうか、かつての植民地は南米にもあったわけだし…と、丸い地球儀を思い浮かべる。
バスの中の時間は長い。
1970年頃まではこの国の義務教育は4年間だったとの話。
だとすると、今40歳代の人は義務教育4年の頃の人たちなのか、と計算してみる。
それまでは軍事政権だったわけだから、今に続く民主主義の歴史は日本より浅いのか…と。

長い時間を利用して、添乗員さんは沢山の話を語ってくれた。
ユダヤの街に生まれたキリストの話、イスラム文化の話、スペインとオランダの勢力争いのことやら、中世のヨーロッパの込み入ったお国事情。
彼女、すごく話し上手で判りやすかった。
「私は1時間バージョンでも、3時間バージョンでも随意に話できます。長いバスの中、皆様眠い方も多いでしょうが、お一人でも聞きたい人があれば、話します」と。
見事なプロでした。
本当はこれはガイドさんの仕事なのに、ガイドさんは形として同乗しているスペイン人(挨拶程度しか日本語が話せない。ガイドを雇うというルールがあるため、適格者がいなくても同乗してもらっている次第。よって、日本からの添乗員さんがガイドを兼ねる)

マドリッドでは夕食後、家族ぐるみでやっている洞窟のフラメンコ踊りを見た。
木戸銭をおばあさんに払い、お父さんとお兄さんがギターを弾く。
踊るのはお母さん、お姉さんといとこたち、そして10歳くらいの女の子。
フラメンコはジプシーの踊り。この少女は夜遅くまで私達に踊りを見せてくれるけれど、翌朝学校へ行くのだろうか。眠たいだろうな。サービスで配られた赤い色の飲み物を飲みながら、そう思ったりした。







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神の国とポルトガルの彼女

2005-05-12 11:03:17 | 私の雑感あれこれ
彼女は日本人。ポルトガルで日本の旅行客相手のガイドをやっている。
夫はポルトガル人。夫は日本のことを「神の国」というそうである。年に1度家族連れで故郷大阪に帰ると、電車が定刻に来る有様をみて「神様でないとこうはいかない」。だから日本は「神の国」なのだそうである。
ちなみに、ポルトガルでは列車の大幅の遅れは日常茶飯事らしい。
そんな日本の大阪の隣、尼崎で起こったこの度の事故をきっと心配しているに違いない。

彼女の話。
「以前はポルトガルがいかに良い国であるかとお客さんに語っていました。実際の私は日本が恋しくて仕方がなかったのに」と。
「最近はすっかりポルトガルが自分にとって居心地の良い国になったから、普通に悪い面も語ることができるようになりました」と。
ユーラシア大陸の向こうの端に住むポルトガル人にいくら日本という国を説明しても、この国の人にとっての日本は、中国の中の日本地域と思い込んでしまうくらい疎い国らしい。
彼女が話したのはご近所のポルトガル人だろう。
中世の時代の縁はあっても、日本の長い鎖国とポルトガルという国の地盤沈下。そして、教育不熱心。
数十人の資産家が何十パーセントかの所得を占有しているとの話も語ってくれた(紀行文作家だったらメモするのだろうけれど数字はおぼろ。バスの中、車窓を眺めながら、へぇーすごい偏り方と思ったのは確か)。
「庶民は多くを望まず、教育費の心配もしないし、苦労して家を建てることも考えない。親族肩を寄せ合って身近なところに幸せを見つけている、EUのどちらかというとお荷物の国なんですよ」と。
官製の博覧会じゃなくて、こんな生活のにおいのする話も聴きたいなと思う次第です。
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水の話

2005-05-12 08:03:43 | 私の雑感あれこれ
飲み水の話です。
古代、喉が渇いて「神様どうかお助けください」と崩れ落ちた少年(?)に女神現れて柄杓から水を与えた話、それが北斗七星だったような。
一杯の柄杓の水が命を救う話から長い時代を経て、今万博のペットポトル論議である。
外からの持込禁止、場内での購買OKとか。水筒は可とか。
人工的な規制ばかりがまかり通って、人の知恵が少しずつ奪われていくような気になってしまう。
そして、受けるほうも「日射病になったらどうする」と反論する。
入場者が一斉に日射病になるわけでもあるまいし、水道の水があるだろうに。

一日肉体労働していると、ジュース類を5,6本飲むという。それでは毎月の支出が嵩むから、水道水に出来ないかというと、「給水器がない。普通の蛇口から水を飲むなんて出来ない」と。
そうなんだ。そんな時代なのかと街頭に列をなして立っている自動販売機を思い浮かべた。

生活水の話です。
娘がラオスの友人を尋ねた時、「家に泊まってもらってもいいけど、今は乾季でシャワーの水が充分にない。雨季がくるまで持ちこたえなくてはならないから、申し訳ないけど…」と。
節約して使っているのに、親類の人が勝手に使っていくと、ぼやいてもいた。
シャワーの水のの供給が雨季の雨を貯めて、という暮らしもある。

きっと、愛知万博に出展している国の中にもあることだろう。
日射病になりそうなくらい水分不足になっても、水道の蛇口の水を飲もうとしない人が、世界の万博で何を知ろうとしているのだろうか。
コメント (3)
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