日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

穏やかな年の瀬

2006-12-27 13:28:29 | 私の雑感あれこれ
いつもは新しい年を迎えてから、日差しが明るくなったと気付くのだけれど、今年は年末にして、長閑な日差しと感じてしまうほどのしのぎやすさ。
年の瀬、街中を自転車でひとっ走りしても、なんだか師走の気分になれません。
過しやすくて楽なのですが、寒さを待ち望んでいる人もいるのでしょうね。
朝方まで降っていた雨も、氷雨ではなくて、水ぬるむっていう感じです。

この週末はヘッドライト・テールライトが数珠繋ぎの帰省ラッシュなのでしょうか。
渋滞に巻き込まれての帰省も懐かしい思い出です。
そして、その頃は我が家が実家になるときがくるとは思っても見ませんでした。

外からは見えないけれど、通り過ぎてきた分だけの語り草を抱えて、そして、まだ残っている若さ分の夢を抱えて、新しい年を迎えたいと思います。

この一年、弊ブログをお尋ねくださりありがとうございました。

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冬の日、庭先で。

2006-12-25 08:11:51 | 私の雑感あれこれ
その話の流れになったとき、私から、パチン!と弾ける音が聞こえなかったかしら、と思うほど、目から鱗というか、思いがけず、でした。
最近の私は、ブログにも何度も書いたように、高齢者施設に詳しくなりました。
そんな施設状況を話題にしているとき、彼女は言いました。
-私も、施設入所を考えているわ。子供は子供、違うもの。私は子供を育てたことで、もう充分楽しませてもらったから、もう、いいの-
へー。あんなに、つい最近まで送り迎えをし、自分の半日程度の外出まで息子の帰りを気にしての人だったのに…。
-「孫はかわいい」て聞くし、私も特に否定はしないけれど、かわいいのは絶対子供。年をとっていて、外見でかわいいのは孫だろうけれど、小さかった頃のかわいかった思い出があるから、母親にとっては、自分の育てた子供の方がいい-
穏やかな彼女に似合わず、きっぱりとした口調。
母は強し。
-子供の生活は、自分の人生とは別物で、ずっと一緒に暮すのは無理よ-
そうよね、とまでは相槌が打てる。
施設にいても、時には交流もできるし、気まずく暮らすよりも、距離をもっての交流ってのがいいよね。
-ううん、それも特に望まない。別に子供時代の、思い出をいっぱい持っているから、それがあるから、特に会わなくてもいいわ-
えっ!そこまで割り切れるの?仕事と子育てでてんやわんやの私よりも、ずっと子供優先(長らく、ご主人は単身赴任だった)だったあなたが…。

風船が弾けたように、私の頭の中でパチン!です。
私も、結局はこんな風に整理すべきものだろうと、手探り状態ではあります。
でも、私よりも数段多く、子育て時間に費やした日々を送ってきた彼女の口から、冬の日差しの中で聞こうとは思いませんでした。
控えめな彼女からこんなことを聞いたこともある。
-うちの子達、虫歯が一本もないの。これが子育てしてきた私の自慢-
彼女が、子供たちを、生まれてから、ずっと手塩にかけてきたことは確か。
季節の変わり目には下宿先から、娘の衣類が届き、親元でクリーニング代を負担してクリーニングしてから送り返すというほど、大事に大事に子育てしてきた彼女なのに…。
駅まで自転車で10分足らずでも、あの四つ角から車が出てきたら危ないから、といって中学、高校の6年間車で送り迎えをしていたのに…。

今、そういう心境なのかと…。
私、へぇー、です。

彼女の選択であり、彼女の知恵なのでしょう。
今までにも、幾度か同じようなことを別の人から言われたことはあります。でも、今日の彼女の話は、妙に、私のココロにしみました。


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クリスマスイブにカーディガンの話

2006-12-24 09:47:04 | 子育ての周辺
最近、皆さんは毛糸編みの衣類の洗濯はどうしていらっしゃるのでしょうか。
私は、外出着以外は、タライで毛糸洗い洗剤で手洗いします。
先日もお風呂場で何枚かを洗いました。
今日の話は洗ったものの中の1枚の話です。

カーディガン。色使いも、編みこみ模様も奇抜な1まいです。
買ったのは、随分前の、クリスマスイブの日。
頭を悩ませていました。
登校が辛い日々が続いていた娘に、「電車で街の映画館に行こう」とか「泊まりにおいで」の声が、クラスメート以外から入ったりして…。
日々の辛さから逃れるために、楽しく自分を受け入れてくれるところを探しいてるように、そう見えました。
終了式の日、午後は一緒にクリスマスケーキを作ろうね、イチゴ買っておくからね。
そういって、ワクワク感をかもしだそうと一生懸命でした。
そう、例年になく一番立派なイチゴを奮発しました。

そんな、ハラハラしながらの冬休みに、クリスマスプレゼントとして用意したのが、このカーディガンでした。
バブルが一番膨らんでいたときに、住宅ローンをスタートしたこともあり、倹約を旨とした私の、お財布感覚では、珍しくの「奮発」でした。
南欧のような、明るい色の奇抜な幾何学模様…、色白でのっぽの娘にはきっと、似合うはずだ。
少しでも喜んでくれたらいいな、そう思ったこと覚えています。
翌朝の反応?
そうは問屋がおろしません。
私の、一人相撲だったのでしょう。

あれから、もう随分のクリスマスが通り過ぎていきました。
巣立ってからは、私のカーディガンになりました。

いつかの冬に、娘がこういったことがあります。
「お母さんって、このカーディガン、満更でもないね」と。

このお母さんにとっては、あのクリスマスのときに、笑顔が見たくて奮発した1枚なのだけれど、彼女にとっては、何枚もの洋服の一枚なのでしょう。
そこのところは、取り立てて、そのことを話題にしていないから、妙に若い人用のカーディガン、毎年着ているな、そんな風に感じているのでしょうね。

自分用には買うことができないけれど、私が好きな絵柄色使い、だったのかもしれません。流行とはまったく関係ないところで、私が毎年冬になったら引っ張り出す1枚になっています。

大振りだから、手洗い大変なのですが、タライのぬるま湯の中で押し洗いをしながら、過ぎ去った事柄を思い出させてくれる一枚です。
あっ、すっかり、元気で強い子に育ったからこそ、いとしい思い出といえるのかもしれません。


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年金って何だ?

2006-12-21 07:36:36 | 社会問題
つくづく思う。
現在は、会社員世帯が受取る年金は、現役時代の約59%なのだそうだ。
会社員は厚生年金に加入。年金保険料は給料の14、642%(毎年のようにアップされて、現在はこの数字)。
その半分は、会社が負担し、半分の7%が本人負担。
7%を払って、59%を受取る、数字を見るとなんと大盤振る舞いな、と思ってしまうが、おかしいでしょうか。
    ↑
こんな割合のいい運用があるなら、カリスマディラーです。
但し、長生きすることとセットですけれど…。

国が金のなる木を持っているわけではない。国は様々な政策を税金を徴収して行っています。年金は年金保険料で、となると年金保険料を徴収し賄えるのでしょうか。帳尻が合うはずがありません。

だからといって、現役世代の負担割合が増えると、給与生活者は日々の暮らしに即響くし、雇い主は、さらに雇用形態を何とかしようと思うでしょう。⇒被雇用者の非加入者化、請負制度の活用など。
それはルール違反だといっても、実際問題、そうしないと、同業他社との競争に負けてしまうという現実もあるようです。
会社経営に余裕がなくなったときには、まず社会保険料の支払いを後回し、そのパターンを幾つも見てきました。

昭和30年代に国民年金制度がスタートした頃を記憶しています。
祖母が、第1回目から給付を受ける立場でした。頼まれて郵便局まで受取りに行ったものです。世帯主である息子からお小遣いをもらわなくてもよくなったと喜んでいました。
「公務員には恩給がある」程度にしか知らなかったものが、国民全体の生活保障にかかわり始めた大きな起点だったと思います。
その時代から、日本は随分経済発展を遂げ、世界1、2位といわれる経済大国になりました。
その国の経済の急成長が、年金制度を支えてきたのだと思います。
今後も同じ急成長は見込まれるはずはなく、但し、給付者の急増大だけは確かなのです。
今朝の新聞には、50年後4割が高齢者と見出しにあります。
無理な約束をしてはならない。政府は04年度の年金改革で5割以上の給付を約束、と新聞にはありますが、票を失いたくないから、台所事情に目を伏せた約束と思えます。
ないのにあえて支払うというルールは、借財を増やすだけ。
30年、40年後の見通しを立てなくてはならない話しなのに…。
たまたま、私たち世代は、老後は年金で暮らすというイメージを描いてきた世代なのかもしれません。
昭和30年代は、年金で暮らせるのは公務員、程度の気持ちで暮らしていました。
私たち世代には微かにその記憶があるはずです。
そして、30年後の人たちは、昔は「老後は年金で暮らす」と考え、「年金だけで暮らせる時代」だったと、そうなるのではないかしら。



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千の風になって。その2

2006-12-17 22:23:34 | 私の雑感あれこれ
今日の夕方、母から電話。
母「今HNKテレビで『千の風になって』やっているよ。詩集ありがとう」
私、「うん。今チャンネル回したら、やっているね。見てるよ」
それで電話は切れる。

先日、夫の母の介護関連で帰省した折の記事を書いたときに、タイトルを「千の風になって」とした。
私が新井満さん訳のこの詩を知ったのは、朝日新聞の天声人語で。
そして、先日帰省するときに(夫と私のお互いの実家は、車で30分ほどの距離)、母に何かをと思って買い求めたのが、いわさきちひろさんの挿絵に埋まった、この詩集でした。
そして、ハンドルを握る夫に、先日の記事の話をしたときに、この詩も、聞いてね、といって、私朗読して聞かせたのでした(しつこいタイプでしょ(笑い))。
そんなこともあって、あの話のタイトルを「千の風になって」とし、1泊の宿として泊まった、私の実家の母の部屋の枕元に、そっと置いてきたのです。

90歳の母親に、詩の解説するのも照れくさく、何にも語らず置いてきたのです。
すぐに気づいているはずなのに、連絡はなかったのですが、1週間後の今日の夕刻に、「ありがとう」の電話。
テレビ番組では、丁寧な解説をしてくれているし、きっと母親の心根に、ぴたっと来るところもあったのでしょうか。
食べ物のご馳走もあるけれど、こんな1冊をもご馳走と受取ってくれる母親がいることは、娘としてありがたいと、そう思うしだいです。

前回は、一部抜粋でしたが、今度は、全部引用掲載させてもらいます。

『千の風になって 』新井満訳

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る

私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています

あの大きな空を
吹きわたっています

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年金生活者から漏れ聞こえてくる話(笑い)

2006-12-17 10:46:34 | 社会問題
団塊の世代が定年を迎えようとしています。
彼らは、戦後生まれで、男女平等教育を受けて育っています。
来年は離婚時の受取年金分割制度が始まります。

うふふ。
あちこちで、話題になっています。
私の世代は、丁度そのあたりです。
私の耳に入るのは、勿論女性側からの見方。
彼女らには、家事・子育てで大変で、それが夫の仕事とイーブン、夫の収入は夫婦二人で取得したもの、という論理。
ふーん。
だから、夫が定年で仕事をしなくなると、そのイーブンが崩れ、自分の負担割合が大きくなる。損だ、というわけなのでしょう。
だから、彼女らは、夫婦で話し合い、夫が仕事をしなくなったのだから、自分の家事負担の減少を訴える。

年金は夫婦の収入。
そりゃ、女性も体力気力がいつまでも、というわけにはいかないけれど、皆さん、しっかりと自己主張していらっしゃるのを聞くと、専業主婦をやってきた誇りってすごいのだな、と思う。
働き盛りのときの、男の人の役割過重の時もあったはずなのにな。
そこで、口を挟むと、私たち女性は、子育て大変だった!の逆襲が来そうで、聞く側に徹している。
きっと、外での仕事、家での仕事の質がそもそも違う、そこのところも合点していながら、長年連れ添った夫婦だから、喧々諤々の時間が、定年まもない時期に、各家庭でなされているのだろうな、そんなことをも思う。

さぁて、来年の夫婦の年金分割が認められる、そのときが来ると、どうなりまか。
我が家?
専業主婦を早々と卒業したので、年金はそもそも別です。

個人的な意見としては、
①夫が長年掛け金を払って、受け取ることになる年金の権利を妻が受取る権利にする。これは便法だと思っています。行き着くところは、はじめから個別に年金に加わり、納付、受給において各人自立しているべきだとは思うのです。
②もう一つ言わせてもらえれば、社会保険庁に大きい権限を与えすぎてきた、この何十年かの役割を卒業し、国民年金程度(最低の生活保障)を税金で賄い、それを上回る部分については、国が関与しない、各自に任せる。国の役割を身軽にしたほうがいいのに、そう思っています。

雇用者側にも、年金掛け金の半額の負担を強いている今の制度は、雇用の形をもゆがめています。→掛け金負担を避けるため、細切れ(アルバイト・パート)労働者で賄うというパターンが見受けられたり…。

ふふふ。
自分に関係ないから、理想論を言っている私です。

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千の風になって。

2006-12-15 10:25:57 | 私の雑感あれこれ
空模様は雪ではなく、何とか助かった。
高速道路で6時間ほどの遠方にある夫の母親の入院先に向かう車の中で、小雨が降る前方を見やりながら、傍らの夫につぶやく。

私が、あなたのお母さんの介護のことに、自分にできることをしようとココロしているのはね、ただお母さんのためだけではないの。あなたのお父さんとおばあちゃん(母親の母親)が、きっと、喜んでくれるだろうな、と思うから。
多分、あの二人は今の状況(80歳代で骨折で入院)を案じていると思う。お母さんには、私がいろいろ手配したりすることが通じなくても、あの二人は絶対に私のことを、できる範囲でだけれど、私の今しているを見守ってくれている筈。お母さんのためにする私を見ていてくれている筈だから…。

車の中。一人暮らしの夫の母親が入院してから、何度も、心の中で転がしていた思いを、言葉に出してつぶやいた。
ワイパーが雨粒をぬぐっている。
雪になりませんように。

その頃は関西に暮らしていたときだから、私がまだ20代の最後の年だったろうか。
2歳と3歳の子供を連れて、夫の実家に帰省していた。
子供たちは一番手のかかる最中である。
汽車で帰る段になって、荷物が多いから、宅急便で送れるものは送りたい。だからダンボールが欲しい。近所の八百屋さんで空き箱ないかしら
と、夫に頼んだ。
小さな子供達は、もちろん私の周りにまとわりついている。
-ウン?何だって?あんたはそんなことまで、夫に頼むの?引越しの世話もすべて夫にさせたのでしょう。
私、びっくり、です。
小さな子供を連れて私が行くより、自分が育つたところの近所の八百屋でダンボールひとつを貰って来れないかしら…、と言っただけなのに。
理屈ではないのです。
腹が立つのでしょう。
私は、ただ離れた小部屋で泣くだけでした。
そのとき、夫の母親の母親(そのとき70代)がやってきて、ささやいたのです。
○子さん、堪えてね。
泣いてちゃ駄目。堪えて。
-私は、子供を産むことができたけれど、子供の心までは産むことはできなかった。
あの子も、全部が全部悪いところばかりじゃないのだけれど…。
○子さん、目ふたつ(ひとり)だけだから、堪えてね。
(夫の)お父さんも、兄弟の二人も、なんにもとがめるような人ではないでしょう。
私は、姑、小姑、沢山の目が辛かった。あなたは、目ふたつ、それだけなのだから、堪えてね。
そして、こんなことを、あなたのお母さんには、言うもんじゃないよ。お母さんが悲しむから。お母さんを悲しませてはいけないですよ。

そういって、私の背中をさすってくれました。
びっくりしました。
なんという語りかけでしょう。-子供の心までは産めなかった…と。

私は、その後、何度も掌中で転がすように、おばあちゃんの語りかけを確かめながら生きてきたように思います。

帰省するごとに、夫の母親に接し、隣家で一人暮らしをしているその祖母とも顔をあわせていましたが、勿論、お互いそんな話をしたとの素振りも見せませんでした。
でも、私の中では、そのおばあちゃんの存在が、ココロの杖でした。

後年、子供たちも大人になって、二人の子供を連れて、100歳を超えたおばあちゃんに挨拶に行き、ひ孫の近況などを話していました。
話の継ぎ目で、おばあちゃんは、私の手をさするのです。
○子さん、私覚えていますよ。
みーんな、昔のこと、いろいろ覚えていますよ。
(ひ孫達は)いい子に育ったね。
どの子も本当にいい子ですね。あなたはいい子に育てた、と。

根堀りはほりは、お互い語りません。
だけれど、100歳を超えて、「みーんな」と、いう言い方で、私が夫の育つた家に行くようになった初めの頃からのことを、ひっくるめて「配慮していたよ」「判っていたよ」との暗号を私に送ってくれたようで、このときもびっくりでした。
あの子も、いいところもあるのだけれどもねー。
おばあちゃんにとっては、70代の娘も「あの子」です。

もう、30年近い年月が経ちました。
おばあちゃんもお父さんも、もう亡くなっていません。でも、長い間、ココロの杖として、私の中に登場していたものだから、生きているか亡くなったかなんて、どうでもいいのです。
私に、どこででも手に入れることができない
こういうことがあるのかと思うほどの、そんな杖を手渡してくれた、おばあちゃんのために、できる範囲でですけれど、夫の母の役に立つであろうことを、やっています。

千の風になって、おばあちゃんとお父さんが私の元にやってきてくれているのでしょう。

「千の風になって」訳詩、抜粋

私のお墓の前で 泣かないで下さい/そこに私はいません 眠
 ってなんかいません/千の風に 千の風になって/あの大きな
 空を 吹きわたっています …





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こんなにも女性陣が働いています。

2006-12-14 07:35:00 | 私の雑感あれこれ
10月の夫の母親の骨折事故があって、その月の半ばからの2ヶ月で、高齢者用施設を随分見学しました。
その呼び名の違いも良くわからず、説明を受けながら、とにかく見て周り、電話での問い合わせを重ねました。
振り返って思うこと。
本当に女性の人たちが役割を担って働いているのだなと、つくづく思いました。
男性から説明を受けたのは、市役所で介護認定の仕組みの説明を受けたときと、自宅の近くのデラックスなケアハウスの案内をしてもらったときと、偶然施設長が夫の知り合いだったショートステイだけ。
手術を担当したお医者さんも女性。市役所関係も、担当者は女性で、たまたま不在だったためであり、その後の連絡は女性の方。他は、ソーシャルワーカーさんも、自立支援センターでも、各ケアハウスも、グループホームも、老人保健施設も、ケアマネージャーも、対応は悉く女性で、皆さんすっきりと説明してくださいました。
なんと、日本の女性陣のシャープな働きぶりに関心!
福祉の分野は女性で回っている、というといいすぎかな?
男性陣はどう思っているかもしれないけれど、私が接した福祉の職場の殆どの部分を女性が担っているのです。女性が抜けると立ち行かないのです。
ふと気づくと、そんな確信をしている自分に苦笑いでした。

あっ、そういえば、私が今関わっているボランティア組織でも、ひとりの男性ボランティアの方の言葉を思い出しました。
「定年退職して、ボランテイァに関わるようになったのですが、女性の方々が意見をはっきりおっしゃるのにびっくりしました。パワフルなのに驚きました」と。
その方は、殆どが男性だった職場にずっと勤務していらっしゃった人です。

-原始、女性は太陽、なのですよ(笑い)。

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普段の生活に戻って。

2006-12-06 22:29:09 | 私の雑感あれこれ
冷え込んだ日曜日、体育館でスポーツ大会に1日を費やしたので、潜伏していた風邪が大暴れ。二日間ダウン。
今朝は、マスクと咳止めをターミナルの薬局で調達して出勤。
マスク着用なんて何年ぶりだろう。
ふと、マスクの上辺がまつげにたまった涙をぬぐっていることに気づく。
「電車の座席では新聞を読む」がお定まりのパターンで来たのに、最近はボーっとしていることが多い。
頭の中は繰り返し去来することのアラカルト(笑い)。
涙がにじみ睫毛にたまったのを、真新しいマスクの上辺がすっと吸っていくのを感じた。
顔には目鼻の凹凸があるのに新品の平坦なガーゼのマスクでは、落ち着きがなく、上にずれるた拍子に、さっと睫毛が乾くのが判る。
-あっ、涙を拭いてくれた-

キーを叩いている今は夜。
朝、涙が浮かんだときに、私の心は何を思っていたかは、覚えていない。
語って解決することでもなく、抱えて生きていくしかないことだったり、がんばってきた自分への労いの思いだったり、頭の中は自遊空間(笑い)。

やっと、風邪の頭痛が治まったばかりの、自分の体が借り物のような気分でいるときに、新品のガーゼが涙をぬぐってくれて、出勤する私を応援をしてくれたようでした。

木の葉一枚をすら揺らす程のこともない、ひそやかな空気の流れのような、ひとときの体験です。
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父と娘

2006-12-01 10:24:02 | 私の雑感あれこれ
昨日の集まりで、余談に「父親と娘ってネ」とこんな話が出た。
私のブラシを勝手に使って、ポマードでべたべたにされたとき、腹が立ってブラシを投げつけた、云々。
「私も似た経験あり」と、みなそれぞれの思春期の頃の父親感に花開く。

私は、彼女らより、10歳程度年が上だろうか。
「時代が違う」そう感じた。
私は、父親に口答えをした記憶がない。
というか、些少な雑談はするけれど、相談事は100パーセント母親を介して持ちかけたから、口答えの場が発生しようがなかった。

高校一年の頃の記憶。
希望の進学校に入り、遠距離通学に体力を消耗しながらも、新しい友達と希望を語り合っていたのだろう。
初めての試験の結果が出た、まだ初夏になったかならない頃(自分の)大学進学の話を持ちかけた。
母の返事は、
判った。父親には様子を見て伝えるから、しばらくは、この話は抑えておいて…と。

母の返事は、私にとっては思わぬ流れで、こんなやり取りが出てこないであろう友人の家庭を羨ましく思った。
でも、進学校への長距離通学を認めてくれたばかりで、次にまた注文を投げかけるのは気まずいということは、わからないではないから、母娘の会話はそれで終了。

私の思春期の父親感は、こんなもの。
とても怒ってブラシを投げつける場面は出てこない。

そんな父からかけられた一言。その一言から今、数十年経っているけれど、思い出すと、私は今も涙があふれる。
誰にも話したことはない。そのシチュエーションでなければ、なんとも凡庸な言い草だろうけれど、娘が、いっぱいいっぱいになっているときに、ボソッと掛けてくれた配慮、「うん」と、応えただけで、阿吽の呼吸でした。
咄嗟の配慮だったけれど、私は忘れません。
確かに、他の誰のためでもない、私のことを思っての一言でした。
ありがとう。

父が亡くなって、17回忌も過ぎました。
でも、記憶は残っています。
こんな感覚誰もがあるのでしょうね。
過去のほんの一瞬の言葉が、他人にとってはなんでもない言葉が「絆」になることが。

父親ってポマード臭い!と、思い出を話す会話を、「フーン、世の中、そうなんだ」と、少し若い世代の父娘像を想像しながら聞いていました。



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