Netflixで。
『顔のないヒットラーたち』史実に基づいた物語。
注意ネタばれあり
戦後13年のドイツ。1958年のフランクフルト。新聞記者の友人の画家が通りすがった小学校の運動場で教師をしているのがアウシュビッツの親衛隊だと気が付く。公職につけないハズ、と告発する。告発が受け付けられても、人員不足からか職を追われることがないのが実態。ひとりの若い検事にその新聞記者が実態を耳に入れる。その若い検事はアウシュビッツが初耳。そこでどういうことが行われていたか知らない。調査をする必要があると上役に進言。直属の上司はスルーしようとしたけれど、検事総長はその若い検事に調査の指揮官を命じる。若い検事が調査すればするほど、関係者が増え、被害のおぞましさに驚く。実態を葬ろうとする圧力側からの身の危険も。
久しぶりに母が訪ねてくる。夫が死んで15年もたったし、〇〇と再婚するので結婚式に出席してほしい、と。その〇〇はナチスの党員だから、と母の結婚を反対する。当時はみんなナチス党員だった。あなたのお父さんも、といって去っていく。
正義感を父に教えてもらったと思っていた検事はビックリ。戦争時のナチス党員の名簿を調べてもらう。自分の父親も好意を持っている女性の父親も、みんなナチス党員・・・・だったという現実。ナチスの犯した罪を調べ上げる側にいたたまれなくなって辞職届を出す。
で、弁護士になろうと、一度面識があった大規模法律事務所を訪ねる。弁護士としての仕事を割り振られるにあたって、共同して担当になった弁護士はナチス擁護派で仕事をしている人。依頼者に有利になるように仕事を進めるのだ最優先だと指示される。やりきれなくて、検察庁に戻る。一度提出した辞表は検事総長の机の中で保留になっていて、総長は目の前で辞表を破き、検事の仕事に戻る。
その後のシーンで、ナチス犯罪告発に協力してくれていた新聞記者が言う。僕もアウシュビッツを経験している、と。それは学生だった17歳の時、志願ではなく、クラスから選抜された形でアウシュビッツに行くことになった。そこでの役割は守衛だった。なにも考えないようにするしかなかった、と。
戦後ドイツ社会の隅々までしみわたっていた戦争体験を知れば知るほど、複雑なことが判り、やりきれなくなる。
検事総長に尋ねる。「なぜ、自分をこの調査のトップに指名したのか」と。答えは、「キミは1930年生まれだったから」と。
あの戦争でナチスの残虐行為とかかわりを持たないドイツ人は若い世代しかいない、ということだったのでしょう。
終わりに1963年に初めてフランクフルトでアウシュビッツの悲劇の裁判が始まった、というテロップが流れました。
1963年といえば私の中学時代です。アンネの日記を読んだのもそのころでした(1962年頃アンネに手紙を書こう(感想文のつもり?)、なんて出版社企画でなんか書いた覚えがあります)。
もう10年以上前ですが、東山魁夷の小品展が高速道路のパーキングに付随した施設であり、彼はナチスが政権を取っていた時代、文部省からドイツに絵画留学していました。新聞社に定期的にスケッチ入りのハガキを送り、新聞にも掲載されたようです。その中の1枚に、公道を行進する軍隊に沿道の満員の人たちが揃って片手を掲げているのがありました。そして、大学の教員は全員ナチス党員です、と書いてあったのを覚えています。
2015年制作の映画です。重たい映画でした。
『顔のないヒットラーたち』史実に基づいた物語。
注意ネタばれあり
戦後13年のドイツ。1958年のフランクフルト。新聞記者の友人の画家が通りすがった小学校の運動場で教師をしているのがアウシュビッツの親衛隊だと気が付く。公職につけないハズ、と告発する。告発が受け付けられても、人員不足からか職を追われることがないのが実態。ひとりの若い検事にその新聞記者が実態を耳に入れる。その若い検事はアウシュビッツが初耳。そこでどういうことが行われていたか知らない。調査をする必要があると上役に進言。直属の上司はスルーしようとしたけれど、検事総長はその若い検事に調査の指揮官を命じる。若い検事が調査すればするほど、関係者が増え、被害のおぞましさに驚く。実態を葬ろうとする圧力側からの身の危険も。
久しぶりに母が訪ねてくる。夫が死んで15年もたったし、〇〇と再婚するので結婚式に出席してほしい、と。その〇〇はナチスの党員だから、と母の結婚を反対する。当時はみんなナチス党員だった。あなたのお父さんも、といって去っていく。
正義感を父に教えてもらったと思っていた検事はビックリ。戦争時のナチス党員の名簿を調べてもらう。自分の父親も好意を持っている女性の父親も、みんなナチス党員・・・・だったという現実。ナチスの犯した罪を調べ上げる側にいたたまれなくなって辞職届を出す。
で、弁護士になろうと、一度面識があった大規模法律事務所を訪ねる。弁護士としての仕事を割り振られるにあたって、共同して担当になった弁護士はナチス擁護派で仕事をしている人。依頼者に有利になるように仕事を進めるのだ最優先だと指示される。やりきれなくて、検察庁に戻る。一度提出した辞表は検事総長の机の中で保留になっていて、総長は目の前で辞表を破き、検事の仕事に戻る。
その後のシーンで、ナチス犯罪告発に協力してくれていた新聞記者が言う。僕もアウシュビッツを経験している、と。それは学生だった17歳の時、志願ではなく、クラスから選抜された形でアウシュビッツに行くことになった。そこでの役割は守衛だった。なにも考えないようにするしかなかった、と。
戦後ドイツ社会の隅々までしみわたっていた戦争体験を知れば知るほど、複雑なことが判り、やりきれなくなる。
検事総長に尋ねる。「なぜ、自分をこの調査のトップに指名したのか」と。答えは、「キミは1930年生まれだったから」と。
あの戦争でナチスの残虐行為とかかわりを持たないドイツ人は若い世代しかいない、ということだったのでしょう。
終わりに1963年に初めてフランクフルトでアウシュビッツの悲劇の裁判が始まった、というテロップが流れました。
1963年といえば私の中学時代です。アンネの日記を読んだのもそのころでした(1962年頃アンネに手紙を書こう(感想文のつもり?)、なんて出版社企画でなんか書いた覚えがあります)。
もう10年以上前ですが、東山魁夷の小品展が高速道路のパーキングに付随した施設であり、彼はナチスが政権を取っていた時代、文部省からドイツに絵画留学していました。新聞社に定期的にスケッチ入りのハガキを送り、新聞にも掲載されたようです。その中の1枚に、公道を行進する軍隊に沿道の満員の人たちが揃って片手を掲げているのがありました。そして、大学の教員は全員ナチス党員です、と書いてあったのを覚えています。
2015年制作の映画です。重たい映画でした。