日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

初クルーズから帰ってきました。

2016-03-31 07:56:56 | 旅行・休養
4泊5日。
クルーズの旅、初体験してきました。

この船です。




出港時のセレモニー。ちょうどいい具合に風が舞い上がるように吹いていて、高齢者が多い船ですが盛り上がっていました。


さて、バルコニー付船室。






朝食時、夕食時など、一日に何度もお掃除が入ります。アルコール含む飲み物オールフリー!
でも、そんなに飲めるものではありません。下戸の私はエアロビの際にペットボトルの水を使った程度です。
ナッツ類、ドライフルーツなどは、食べると補充されていきますので、つい食べ過ぎにはなりました。苦笑

翌々日の朝7時に、五島列島の福江島に着岸。小学生たちの吹奏楽が出迎えてくれました。岸壁ににわか仕立ての特産品の売店ができていました。セレモニーまでしてもらった我々は、サクサクとお買い物に勢を出しました。笑


人口3万人余りの島なので、500名近い船客の食事は船に戻ってです。
午前中はバスツアー、船でランチ、午後は海上タクシーで一日楽しみました。

午前中は観光バスでの福江島の島内観光。江戸幕府の将軍の交替の度に、中央の役人が五島藩の領地の検地にが来るのだけれど、藩としては大いに大接待をして、年貢を少なくなるように知恵を絞ったとか。いつの時代も考えることは、、、と、思わないでもない。

フランスのルルドの泉(ある田舎の少女の目の前にマリア様が現れ、泉を掘りなさいお告げがあったことから、それに従ったら、その水を飲むと病が治るなどの奇跡が起きたという泉)から聖水を組んできて、この教会にも聖水ルルドが作られ、奇跡を信じる人々が今も汲みに来られるそうです。飲んできました。…ワタシにもささやかな奇跡が起こったかもしれません。ほんとです。5年間心のうちに願っていたことが、叶いそうなのです。





九州最西端の灯台です。妻夫木聡が出演した「悪人」という映画のロケ地となったそうです。



午後は海上タクシー。
隠れキリシタンの島五島列島というイメージだけしかもっていなかったので、久賀島という名前もパンフレットを覗き込んで初めて知った有様。そこの旧五輪教会。現在は教会としては使われていません。よって内部撮影もOKでした。


徳川黎明期だけではなく明治初年にも大勢のキリシタンを8か月も閉じ込めていたという話、その話を耳にして、数家族が隠れて過ごした洞窟(海上から)などを回りました。

夕方、またまた出港セレモニーの太鼓の演奏を受けながら、汽笛を3つ鳴らして出港。屋久島に向かいます。
船は外海、東シナ海を行くことになるのですが、お天気に恵まれ、船酔いをさほど心配することはありませんでした。
(ワタシ、これまでの経験では、センサーが付いているみたいに、船が揺れだしたら、即ダメになる人なのです。)

続く。























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雑感。

2016-03-26 08:30:02 | 私の雑感あれこれ
昨日は地域の保育園の卒園式に列席しました。
卒園児はピッカピカ。笑
卒園証書をひとりひとり受け取って、付添いのお母さんにひとこと、というシーンがあるのですが、お母さんのほうが胸がいっぱいの様子でした。6年間の想い出もまだ、昨日のことのようでしょうからね。


生活相談を受けたりすることもないではありません。
ご夫婦そろって80歳越えの高齢者家庭。
お子さん、といっても50代ですが、そのうちの一人が障碍者という家庭があります。
直接、ご当人と話したのではないのですが、
思うのは、50年も子供のことを気にかけ続けてこられたのだな~ということ。
周りから見ると、「ああ、障碍者の方がいるお宅」で終わってしまうけれど、
ご当人とすると、ずっと、自分の問題として抱えて生きることが、人生の大半になってこられたのだと、遠くから思うばかりです。

「ご近所と付き合うことより、障碍者を抱えた母親同士での付き合いがほとんどだったようよ」
などと小耳にはさむと、心にズシンときます。

障碍者が生まれるかどうか、なんて、まさしく、「たまたま」なのに、その「たまたま」の当事者になったとたんに、抱える事柄がすっかり変わります。
内輪に障碍者を抱える家庭がありませんでした。ご近所のお子さんのケースや子供の同級生といった場合でした。
極力応援する側をやってきました。でも、どれだけ優しく応援しても、抱える当事者の立場とは別物。到底成り変われないものだと思っています。
だから、その80歳超えの50年間障碍者の世話をし続けてきた方のお気持ち、、、、。大変だったろうな、という陳腐な言葉しか出ません。

いよいよ、自分が要支援、要介護を受ける段階になり、さて50代の障碍者の子供をどうするか。
世間では(社会的には)いろいろな案もあることでしょう。
でも、そのお母さんにとっては、どんな案でも不足で、ずっと、ずっと、自分のそばで面倒見たい、という感情がぬぐいきれないだろうと思ったりします。

一度、施設に入れたけれど、気に入らなかったから、戻した、という経緯があるそうです。
その施設が不適切だったのか、社会生活をしたことがないから、どこであってもなじめないのか、藪の中、です。

もう、親も子も施設利用せざるを得ない時が迫っているようです。

障碍者施設に隣接して高齢者介護施設が建っているところを探している、とか。

そう聞くと、ますます、いじましく思われます。

障碍者が産まれたのは、障碍者に生まれたのは
「たまたま」なだけなのに。




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また、読みたい本をゲット!笑

2016-03-25 08:02:50 | 
「箱根の坂」を読もうと思ったのは、江戸、幕末ものの幾冊かを読んで、こんな先人たちで紡がれてきた国なのか、と思ったこと、その思考(発想というか、価値観)はどこから生まれたのか、と辿りたくなったのです。
で、江戸幕府の開祖?とも思ったのですが、たまたま手に取りやすいところにあった(家人が電子書籍で購入していた)ので、「箱根の坂」3冊を読みました。
いわゆる江戸期につながる武士の始まり、萌芽が書かれていました。というより、私にとって、読んでよかったのは、室町期の将軍家、貴族、守護地頭のありよう、応仁の乱とはどういうものだったか、を知れたことでした。

で、出勤前にせわしなく次に通勤かばんに入れの本を、書架に探していたら、

「この国のかたち一」(司馬遼太郎著)に目が留まりました。
先日没後20年(?ゴメン、正確に調べます)とかで、テレビ番組が組まれていたことも、頭の中をよぎりました。
なんだか、ベスト出会い(こんなのなんと表現したらいいのでしょう)のように思えました。
木で熟した実が、ポトンと掌に載ってくれた感じです。
実は、この本は、ずいぶん前に購入しているのです。
1990年3月25日第1刷で、手元の本は1991年6月10日第12刷(なんと評判がよかったのでしょう!)です。
ぴったり26年前の今日初版が出て、わたし翌年に入手しているんですね。
40歳か~。あのときの読みたかった気持ちも覚えているのだけれど、読み進められなかったのも覚えています。
それが、25年後に、「読んだらいいよ」と目の前に現れてくれた感じ。…わかりませんよ。まだ、挫折するかもしれませんが。

なんだか、「箱根の坂」を読む前に思っていた、「求む、読みたい本」にはこれがぴったりだったような気がします。
前述したように、「箱根の坂」もよかったのですけれどね。

で、航海に持参します。

クルーズって、もっと違う世界なのかもしれませんが、夫もせっせと本を準備しています。

どうなりますことやら。笑


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3月は順調に進んで、今週末には、いよいよ 初「クルーズ」

2016-03-24 07:54:34 | 私の雑感あれこれ
なんだか、ずいぶん早くに、勢いで申し込んだものだから、今月になってパンフレットが送られてきて、少し前に、読みこんだ、ら、

客船の名前も、知ったし、ドレスコード、というものが、どういうものかも、文字上では理解した。
早朝から、1日7食も食べるものの提供があるのです。
ブロイラーになるようです。苦笑

どうもてなしたら、乗船客が喜ぶか、の極みなのでしょうね。

社会科見学してきます。

問題のドレスコード日本語では服装規定ということらしいですが、
「おしゃれをお楽しみください」だって。

粗雑な装いで他のお客様の迷惑にならないように、失礼な服装をお避け下さい、ということを、遠回しに言っているのでしょうね。
なんだか初クルーズで勝手がわからない。

自分の物差しで考えるしかないけれど、迷惑をかけないようにはしないとね。

友達にも、クルーズ経験者がいるのだけれど、なんだかこんな話題、問い合わせる気持ちにならないのです。
どういったらいいか。私の依怙地なところかな。苦笑

そんなこんなで、昨日の小一時間は、マイ衣裳部屋でファッションショー。苦笑

身長は充分にあるのだけれど、問題はこの背中とおなかの肉付き!
と、自分自身の姿に改めて、不満足を再確認。

でもね、スイングするイヤリングを追加したり、何枚かの衣類を調達しました。
でも、他の機会にも着れるものになってしまうから、そんな晴れの衣裳っぽくはないですけど。

ま、恥はかき捨て、
私はワタシ、です。








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連休の3日目にスマホデビューした。

2016-03-23 10:27:25 | 私の雑感あれこれ
まだ使い勝手を習得中。

先日旅行に行ったら、同世代?もう少し年配?と思われる方々も、手に手にスマホを持って、スキルアップの談義をしておられたりしました。

いつかは、と思っていたのですが、今が一番若い。
だから、先延ばしする必要もないので、ガラケーからスマホに。

画像がきれいで、かつ面積がこれまでの倍あるので、楽しめそうです。
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今年は、クレマチスが、おやおや!かもしれない。笑 画像追加しました。

2016-03-22 07:53:38 | 庭 3月
まず、ヒメコブシが満開です。頑張ってますが、まだこれだけの背丈です。


さて、タイトルの話題。

バラにクレマチス。
なんだか定番らしい。

つるバラにはお似合いなので、挑戦しているのですが、なかなか思ったようにはなりません。
いつか、園芸店でぼやいたら、店員さんに「枯れてもらわないと、僕らが儲かませんから」とブラックユーモアで返されたことあり。笑

これまでは、娘が母の日に送ってくれた鉢物のテッセン(クレマチスの一種)以外は、なかなか思うように育ってくれませんでした。
はじめは、廉価な苗を買い、うまくいかなくて、すでに気に入った花を咲かせている鉢物を買い、を何度か繰り返してきました。
余にうまくいかないので、去年あたりから、新苗ではなく大苗(クレマチスの苗は、大苗でも枯れ枯れの枝っぽい。値段は1500円ぐらい)を何本か購入しました。
そして、今月初めにも、白いパーゴラ用に、似合いそうな花色花形だったので、再度新苗を購入。何度も失敗しているので、すぐに地植えしないで鉢で管理中。…今のところ元気なんです。うれしい!

で、数えて回りました。クレマチスを。

13株ありました。
買ったばかりから、5メートルもの幅にわたって咲き誇るものまで多様です(本当は、ちびっこがほとんどですけどね)。

ちびっこでも、それぞれが生き生きとした芽を持ち始めました。
うれしい。
ワクワクです。

新枝咲きのクレマチスは春にこんな風に芽を出すと初めて知りました。


早咲きの白い大輪「冬の旅」です。


これも。名前は覚えていません。


新苗で買ったばかりなもの。



よそさまには、つまらないことだろうと思うのですが、やっている当事者としては、元気がもらえるものなんですよ。

成長は気長に、

待つ、です。

ほか、今の庭のスポット紹介です。
つる日日草。


水仙ティタティタ。


マーガレット。


ムスカリ。


ヒヤシンス。






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司馬遼太郎著「箱根の坂」を読む。

2016-03-20 09:10:51 | 
司馬作品では直近に「峠」(文庫本4冊)、「歳月」(文庫本2冊)を読んでいる。いずれも出会えてよかった本です。

他の作者の本も含めて、江戸から明治にかけての時代を知るにつけ、単に自分の欲望を満たすことではないところに価値観を置く(意義を見出す)日本人の思考を育てるもとになったのは、なんだろう、と思うようになりました。
武家諸法度や禁中並びに公家諸法度というのを昔暗記したことがあるけれど、そんな各藩の名君に見られる質素を旨とする価値観が育つ基はどこからきているのだろう、とおもうようになりました。

古代ローマに戦乱がなかった幾代の皇帝の時代を「パクスロマーナ」(平和なローマ時代)というのに倣って、260年続いた江戸時代を「パクストクガワ」といういい方がされるという。
素人(わたし)的には、家康にはいいイメージ持っていないのだけれど(そもそも知らない)、幕府の開祖である家康は、戦国の混乱を再び招かぬように知恵を絞り、後継者もそれに習ったのだろうと、家人に言ったら、家康自身は独創的なタイプじゃなかったから、幼いころから辛苦をなめてきた家康は、先人のいろんなところを取り入れての政治をしていったと思うよ、と。


そうか~。・・・なにしろ素人なので、すぐに説得されてしまいます。

じゃあ、その先の時代を生きた人を書いたものを読もう、ということを考え、
たまたま、読める状態にあった

「箱根の坂」上・中と読み、今、下巻の後半です。

前置きが長くなりましたね。
この本にたどり着いた私的事情、なんです。


時代は15世紀の京都。応仁の乱のさなか。
応仁の乱は知っていても、名前と年号程度でした。
司馬解説でしょうが、詳しく述べられています。足利将軍家の相続争いが山名宗全派、細川勝元派に分かれて何年にもわたり諍い、地方から出てきた国侍たちが、京都の街に火を放ち、御所も貴族の館も焼け落ちたという。
どちら側に大義名分があるというものでもなかった。守護、地頭の姿も、読んでこそ実感が伝わってくる。地域民百姓の搾取され方のひどさったらない。
家柄がものをいう時代、伊勢家の末端の系譜につらなる、伊勢新九郎(のちの早雲)の一代記です。


孟子を何度か引き合いに出しています。

以下青字部分引用

(新九郎のちの早雲は)一つの主題を生涯保ち続ける精神的体質をもっていた。

「『孟子に』」と、かれはしばしばこの過激な書物にあるところのことばを引用した。『孟子』にあっては、悪王であった殷王紂を武王が倒したことは善であるとする。紂は王たるものがもつべき仁をわすれ義をわすれて暴虐のかぎりをつくしたために、孟子にいわせればすでに王ではなく、一夫にすぎない。周の武王がこれと戦い、牧野の一戦でこれを斬ったのは君を弑したのではなく一夫を斬っただけだ、とするために、古来、日本は中国から書籍を輸入するが、『孟子』だけは来ない。『孟子』を積んで日本に向かう船はかならず沈没するからだ、と信じられている。

早雲は、駿河の守護職今川氏の幼世継ぎを育むに当たり、願うべき守護職の役割を教えています。
駿東の地頭職になりますが、年貢徴収の4公6民を貫き、近隣の酷税に苦しむ地下((じげ)農民。この時代は農民が武器を手にして戦場に出る)からは、あこがれの領地に見られたほどになった。

地下の利益の代表者という意味では革命者ともいうべきだろう。

この時代は、
権門の座はあくまで私欲の対象であり、その座が治国平天下のためにあるなどという後世(江戸期)の思想はかけらもなかった。

古来、長らく飢餓の時代だったといわれる。まったく、生きづらさそのもの。(私たちの先祖の時代でもあるのです)

こういう時代を経て、ポリシーある指導者が出、戦がなくて食べていける時代に歩みを進めて、今日に至っていると、地味~に実感しています。

大勢の司馬遼太郎作品ファンがおられますが、私は、横入り、というか、正統派読者じゃないと思っています(苦笑)。
いわゆる戦国の武将ものは読んでいませんから。でも、司馬さんという大きな土塊を、貧弱な熊手で掻き崩そうとしている状態でしょうか。読むたびに、その土壌の肥沃さに圧倒されます。司馬さんは、この国を作ってきた日本人が好きなんだな~と感じます。こんなひともいるんだよ、と教えてもらって、感謝の連続です。


つけたし。
北条早雲はいわゆる北条氏とは関係ない人です。伊豆の北条という地域を拠点にしたときに、周りが彼をそう呼んだのであり、当人は一度も北条早雲を名乗ってはいないそうです。









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春の庭になってきました。

2016-03-20 08:16:33 | 庭 3月
冬の寒気を堪え、三寒四温を繰り返し、私の庭に春が来た!

ヒヤシンスが開花のスタート。


去年の地植えヒヤシンスも、花数少なし、なのですが、花少なめの春の花壇に白い花弁は清楚です。


朝日が差して、ムスカリ。


こちら側にも。これから青い川のように列をなして咲いていきます。


勿忘草の花を見つけました。庭のいたるところ勿忘草だらけなので、バラ庭の貴重なバイプレイヤーになってくれるでしょう。


先日購入した、マーガレット。色のグラディーションがお気に入りです。


小さい水仙、ティタティタも存在感を誇っています。


冬中頑張ってくれたビオラも、やはり春を喜んでいるようです。


ボタンの蕾。一日一日膨らんでいきます。数えると5個。うれしいビックリです。


さて、しんがりは、コブシ。ヒメコブシです。何度も何度も花芽を数えて待っていました。本当は数えきれないほどに育ってほしいのですが、まだまだ気長に見守るしかありません。










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王が頭ホテルは最高でした。

2016-03-18 08:28:25 | 旅行・休養
2度目。
去年の9月は雨で、風景はまったく見えませんでした。
で、今回は、美ヶ原に向かうマイクロバス(※)の中からも、最高の景色を満喫できました。
(※)冬期間にあたるので、大型バス道は閉鎖。アトラクションを味わうかのようなヘアピンカーブでかつ大揺れの1時間余りでした。

揺れる車内からシャッターを切ったもの。






翌朝の王が頭ホテルです。


ホテル前からの光景。




軒先につららも。


ホテルの裏側からの後継。




王が頭は日本百名山に選ばられている美ヶ原で一番高い地点です。




美ヶ原高原の中央部にある「美しの塔」まで、雪上車に乗っていってきました。
雪が降った後だったので、一面の新雪の高山を満喫できました。






このホテルは、おもてなしが評判のホテル。
入館して早々に、夫の姿を見て、室内に用意してある丹前は小さいでしょうから、と特大をお持ちくださったり、(作務衣は室内にLLあり)、好印象の宿泊でした。

お料理も当然満足。
ワタシ、リピーターですし。
(すみません。お料理の写真を撮ってきませんでした)。
朝食も「!」の配慮なんですよ。

また、再々リピートする予定ですので、お料理紹介はその時にします。
とにかく、お天気に恵まれて最高でした。
日の出も見ました。玄関前から見られるので、大勢が防寒服とカメラ装備で並んでおられました。私は横着して露天風呂の中から。苦笑
星空観察もしました。専門家の方が説明してくださるのですが、スピカとかペテルギュウスとか、冬の大三角形とか。

自分でわかるのは、北斗七星とオリオンと北極星。Wの形のカシオペアもくっきりと見えました。
地球と同じ恒星の木星も太陽の光で結構明るく輝いているのだとも知りました。













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ショック!

2016-03-14 15:17:29 | 私の雑感あれこれ
今朝、着替えようとした衣裳部屋で(空き子供部屋が衣裳部屋に成り果てています。トホホ)。

先週、久しぶりに洋服でもと、プティック(たいそうなことはない、スーパー内のです)に立ち寄り、アレコレ物色。
素敵!と思っても、それを身に着けた私が素敵に見えないと意味がない。~当然、でしょ。うっふふ

その路線でいくと、ナイ。ないのです。
で、試着して買ったのが「ガウチョパンツ」。

たしか、去年買ったキャメルカラーのガウチョパンツ、結構気に入っていたし、、、と。
今回はチャコールグレーの厚手のもの。一枚あってもいいかしら、と。

それが、
なんと、
今朝の着替えで、

同じガウチョパンツ、畳んだ衣類の中にあるのです。
同じグレー。よく言えば色合い(濃淡)がちょっと違う。
仕立て方も同じで、多分同時に仕入れられて、今回バーゲンになっていたのだと思います。

我ながら、その記憶力にがっかり!
試着までしておきながら思い出さないなんて。
初体験です。

家人にぼやいたら

そのデザインが好きだということでは、一貫しているってわけだね・・・と。

そう考えることにします。

こんな風に進展していくんですね。

で、決めました。
寄る年波には抗えないということを、自分に命じよう、と。
今、やっている地域貢献のボランティアも3年更新だけれど、70歳を区切りとしよう、と。

平均して衰えるのではなく、得意なことは衰えもゆっくりだと思っている。
本を楽しむ根気、花育てをする体力が長く続きますように。
おしゃれが不得意で退化しているってわけですね。

明日から、美ヶ原の王が頭ホテルへの一泊旅行です。

お天気がよさそうで、ワクワク。





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