日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

昨日のハッ!

2024-08-30 06:50:17 | 私の雑感あれこれ
昨日も朝から雨。草取りはなし、と気楽になってYouTube三昧していた。
(その前に朝一で役所から求められていた書類をネット送信できたのはちょっといい気分。近頃は提出書類はPCでOKになっているのですが、スムーズにいかないものもあって、私にはハードルだったりします💦)

初めてアクセスした系統のYouTubeを立て続け見ることに。
ジムには11時出発だから、と時間に余裕があると判断。延々と見ているのに飽きたところで、かぼちゃのポタージュスープを作っておこうとキッチンに。かぼちゃは夫の自家製。例年になく今年は数個の収穫がありました。でも夫は芋、豆、カボチャには箸が進まないタイプ。それが夕べのスープが美味しいとのことで、冷凍しておけるし、たっぷり作っておこうと思ったのです。
玉ねぎとカボチャのブロックをバターで炒めてから煮始めていて、時計に目をやりました。
ハッ! 11時15分を回っています。

いつも時間が気になるときはタイマーをつけるのに、後悔先に立たず、です。
ただ走れば間に合いますが、水着に着替えたり準備があります。無理。

55分のアクアのプログラムをパスして、1時からのヨガ(45分と30分)だけにしようか、とも思ったのですが、自分の気分がすっきりしません。なので30分でも水中ウォーキングをしようと、いつものように水着に着替えてから家を出ました。
休んでも誰に咎められることもないけれど、遅ればせながら行ったとこ、うっふふ、自分らしいな、と思いました。

今日は時間を把握しておかなくっちゃね。

この頃はスケジュールの見落としをしないか、やっておかないといけないことをスルーしないか、気になります。
ちなみに来週の月曜日は車の免許更新の予定を入れています。
両眼での視力は大丈夫なのですが、右目の視力が落ちてきているのが気になります。
若い時から視力の左右差にありました。左目の視力が悪くて右目の前に障害物があると視野がぼやける、という経験をしてきました。その左目は手術で快適になったのですが、最近はよく見えるようになった左目の前に障害物があると視野がぼやけて不都合、となってきているのです。
きっと右目の白内障と乱視が進行してきているのだと思っています。左目の白内障の手術結果に感謝しているので同じ病院で、と思ったのですが、電話で問い合わせたら担当医の先生はいらっしゃらないことがわかりました。かかりつけ医の眼科医ってないのだけれど、、、どうしよう。総合病院へ追加費用(7000円)を支払ってもいいじゃないか、とは言うのですが。うーーん。懸案事項です。





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8月もあと少し。雨降り。

2024-08-28 08:13:59 | 私の雑感あれこれ
日照りの日が続いていたので、今日のような本降りの日はほっとする。というか、草取りに出なくてもいいな、とそっちに考えが向かう。苦笑
ジムは午後からなので、午前中に何しよう、なんて思いながら(やるべき家事はいっぱいあるのに)、PCの前にいる。トホホ

8月の2日、5日の株価の暴落はすごかった。(これまでにも下落を経験しているので)耐性がなくはないけれど、今の証券会社になっては初めてみる前日からの下落した数字でした。生活資金に影響することはないので、ほぼ静観しているのスタンスです。

我が家は中学受験は経験したことがない。なので今年6年生に孫の塾通いの情報を小耳にはさむと、びっくりする。
首都圏での中学受験熱ってすごいのですね。近場で接しているわけではないから想像も入るのですけれど、小学生が拒否することもなく、よく勉強するものですね。(そう見えるだけかもしれない💦)
きっと教育費が塾費用にワンサカ注がれていて、一大産業になっているのでしょう。学力アップに正しく作用しているのならいいけれど。 費用の話は話題にしていないのでしりませんけど。
我が家は一般的な場合は公立学校で十分に学力が付く、というシステムであることが大事と思っている派です。

岸田首相の自民党総裁選不出馬ということで、総裁選立候補者多数の現状です。
誰が有力なのだろうか。第1党の総裁だから、この国のリーダーとなる人。適任者がなったと思える人が選出されてほしいものです。
立件民主党の党首選挙もあるのですが、こちら新鮮味がない。政権撮るには程遠いこともあって盛り上がりにも欠けるのは無理もないですね。

ザァザアぶりだった雨がやみました。
雨上がりは草取りには絶好です。
それでは。




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南アフリカ旅 その4

2024-08-22 10:18:40 | 旅行・休養
追加あり

7日目
いよいよケープ半島観光。好天に恵まれ最高の日よりでした。気温が低いので私は厚手のダウンコートです。


途中、ネルソンマンデラさんが27年間も拘留されていた島がこの方向にあります、とかの説明を受ける。南アフリカの辿ってきた歴史は厳しい。

ボルダーズビーチではたくさんのアフリカペンギンにも出会いました。
  

海辺が見渡せるレストランで昼食。コースはいつも前菜、メイン、デザートなのですが、写メをしたりしなかったりで雑です💦


その後、ウォーターフロントへ。


ホテルもあるという大きなショッピングモール街を自由行動。指定された時間に所定のレストランで夕食。

ここのステーキは絶品でした。各人に焼き方を尋ねられるのですが、「ミディアム」と応えると、ミディアムのうちでもレア気味なのかウエルダム気味か、ど真ん中のミディアムか、とまで確認。ど真ん中のミディアムにしたのですが、分厚いお肉なのに焼き具合は見事。ただし250グラムは食べきれませんでした。もったいな~い。

8日目
好天続きだったのに、この日は雨模様。
バスでカーステンボッシュ植物園に向かう。途中でボーカーブ・マレー地区に立ち寄る。
インド航路の貿易が盛んな頃に香辛料などの商いの中継地となっていたころの街。インド、マレー半島からの労働者が住んでいたところは、現在カラフルにペイントされて保存地区となっています。

冷蔵庫もなかった時代、肉の防腐効果としても香辛料は必須だったのでしょうね、

ケープタウンの街をバスの車窓から。
ケープタウンの市庁舎。ネルソンマンデラ氏が市庁舎で演説したときの像が市庁舎のバルコニーにありました。ここでの演説に世界中からも首脳が集まったとのことでした。


珍しく食事(ランチ)のコース画像があるので。前菜とメインとデザートです。メインディッシュはチキン。わたしがあえて伝えなくても、添乗員さんの配慮でフィッシュに変更されていました。それでもボリュームがあるクリーム煮風ソテー食べきれませんでした💦


ケープタウンから国内線でヨハネスブルグまで移動。旅の最後の宿は帰国便の空港が近いヨハネスブルグのホテルです。
空港に向かうバスの車中からバラック建ての集落が見えます。こんなエリアを何か所も目にしました。


空港近くのホテル着。
出国のための空港の近場のホテルと聞いていたので、スタンダードレベルのホテルかと思っていたのだけれど、十分にリッチなホテルでした。画像なし。
一旦荷物を部屋に置いてホテル近くのカジノエリアの高級ホテルレストランで最後の夕食。メインのお肉のステーキは前日よりさらにボリュームアップの300グラム。お肉好きさんだったら大喜びだろうけれど、とても食べきれません💦(もったいない)
そのレストランは誕生日にあたるお客様へのお祝いセレモニー(なんという表現したらいいのかしら)をやっているレストランで、私たちのツアー参加者のおひとりも誕生日該当者だったので、レストランスタッフの大勢の皆さんの合唱+プレゼントデザートもあったりして祝ってもらえました。

9日目
朝8時半にバスでホテルを出発、ヨハネスブルグ国際空港へ。
南アフリカの街中ではクレジットカードは使えるけれど、自国通貨ランドだけで米ドルは使えません。でも空港の免税店では米ドルOKとのことで、ここでの買い物で持ち合わせている米ドルを使おうと商品選びしました。レジで20ドルと言われてので、10ドル紙幣を2枚出して「ちょうどよかった~」と思っていたら、何のことはない、南アフリカ通貨のランドコインでおつりが返ってきました。
「!」店員さんは旅行者にわかりやすいように、米ドル紙幣〇枚必要ですよ、といったわけです。ちょうどぴったりじゃなかった、というわけ。まぁ、私も一緒にいた人の参加者さんも「アララ!」とは思うものの、細かいことは言えません。💦
で、もらったおつりは、添乗員さんにもらってもらいました。彼女はまた南アフリカに来るでしょうから。

11時20分発の飛行機でヨハネスブルグから香港に向かう。(飛行時間12時間40分)
機内では疲れが溜まっていたいたのかトイレの回数が多くなる。1列シートなので助かる。
映画をみる時間もたっぷりあるのだけれど、日本語字幕付きか日本映画に限られるので、見るとしても片道でせいぜい2本ぐらいでした。

10日目
香港着。乗継時間約4時間。
行くときにも立ち寄った空港なので、ちょっとは勝手がわかった(かな? 苦笑)。
お土産を買うという気持ちもないので、休憩したくてラウンジに向かう。ビジネスクラス用のラウンジは4つある。「行き」の時は広い空港内を探すのに手間取った。今度はスムーズにシャワーありのラウンジを見つけることができた。
シャワーは順番待ちだったのでパス。シートに腰を下ろして一息つく。香港なのだから麺類があるハズとウロウロ。担々麺とワンタンメン(いずれも小サイズ)をお腹に入れる。麺は日本のものとは違っていたけれど、ようやく口にした汁物にほっとした。

香港から中部国際空港へ(飛行時間約4時間)
ヨハネスブルグから香港までの(赤道を超えての)長時間と比べたら気楽な感じのフライトでした。


去年の海外旅の際に、南アフリカへ行った方々がおられて、「南アフリカは黒人の国だと思っていたけれど、白人が多いのでイメージ変わった~」というような言い方をしていらした方があった。
そういうものかな、とも思っていたけれど、ヨハネスブルグの観光がないコースだったからでしょうか、私が廻った今回のアフリカ旅で接した方々は、空港でも、観光先でも、ホテルでも黒人の方でした。白人の方いらしたかな?(思い返せば、8日目のカーテンボッシュ植物園のガイドさんが白人の方でした) そんなイメージです。そして言語は英語。皆さん母語はあるのだけれど、外国人との会話は英語で、ということです。添乗員さんと現地ガイドさんは英語だけれど、ガイドさんが地元の人と話しているときは現地語だった(添乗員さんにもわからない)と言っていました。ホテルやレストランのシステムは私たちが利用しなれているシステムとほぼ変わらず、です。世界各国との交易がますます盛んになり経済発展の勢いがついていくのだろうな~、と思いました。
朝、ホテルのラウンジでの集合時間を勘違いして早めに来てひとりウロウロしていたとき、なんとかメンバーの部屋に電話をつないでくださったり、お客様に対応してくださる気持ちは一緒。解決してニコッとなる表情も国は変われど一緒です。
よい旅でした。
スマホの写メ撮りがずさんだったのか反省点かな。でも、写メをとるのが目的じゃないから、と自分に言い訳したりして💦

















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雨音で目覚める。

2024-08-20 08:06:54 | 庭 8月
連日の猛暑で、庭の草花もワタシも息絶え絶え。
どうにか1時間の雑草取りができればよしとし、プラス夕方の水やりで乗り切ろうとしている。
草にまみれていたサフランモドキが一昨日にピンクのつぼみを膨らませていて、オヤッと思っていたのに翌日には全開。この炎暑続きでも咲く時期を忘れず、なんですね。自然生えなので、庭のあちこちで開花しています。
コキアのグリーンも暑さ負けずに頑張っています。暑さが苦手なインパチェンス。八朔の木陰になりがちなプランターはセーフ。疲弊して退場の株もあります💦 同じく八朔の木陰のツワブキの葉っぱはこの春先に移植したものですが元気です。元の場所に植わっているほうが息だえだぇ。隠岐の訪問先のあちこちで咲いていたツワブキの花が印象的で、ウチの庭にもいっぱい増やそうと思っているのですが、私が元気なうちにどこまで増えるかしら。
 

秋が開花時期のはずのシュウメイギクがたくさんの葉っぱを夏枯れさせてしまいました。信州旅行などでよく見かける花なので、我が家のような猛暑地(8月に入ってからは連日最高気温が35~39度)での夏越は対策が必要だったのでしょうか。

花育ての話題で、暑さ対策どうしている? と聞かれても、やれることをやっているだけ。ベストなことをしてやれる体力が私にはない、というのが実情です。トホホ
今朝の一雨で少しは息づいてくれたらいいなと期待しています。


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南アフリカ旅 その3 

2024-08-19 10:48:38 | 旅行・休養
6日目
3連泊のケープタウンのホテルからの出発です。早朝に下着類のお洗濯。
備え付けの呈茶器でコーヒーを飲むゆとりもできました。
テーブルマウンテンは登頂ケーブルカーが運休のため、テーブルマウンテンを見渡せるシグナルヒルに向かい、その後にオーストリッチファームへ。


南アフリカはワインの産地らしく(下戸だから関心が薄い💦)、ワイナリーを見学。昼食はワイナリーのレストランで。
 
写メはなし。トホホ

その後ステレンボッシュの街に立ち寄る。
街中の大きいスーパーで買い物した後、少し自由行動。
コレでスーパーに立ち寄ったのは何度目になるかしら。ジンバブエやザンビアでは米ドルが使えます。もちろんカードも。
ところがカードも使えるはずと思っていたジンバブエのスーパーでは私のカード支払いはアウト。対応してくれませんでした。何度試してもダメ。カード会社がロックをかけたのかしら? そこで米ドルで支払うことにしました。すると添乗員さんが待った、と。おつりがジンバブエドルで来てしまうので、使いようがないから、と。ガイドさんが少額のお菓子を見繕ってくれて、無事レジを通過しました。なので、このスーパーでもカードが使えるかどうか不安(南アフリカでカードはOKですが米ドルではだめ。自国通貨ランドしか使えません)。使えなかったときを想像すると添乗員さんの助けが欲しい私です。順番待ちの後、無事カード支払いができました。某社のカードはジンバブエと南アフリカで対応が違っていることがわかりました。
その後短い時間でしたが、ひとり参加の3人が連れ立ってステレンボッシユの街を自由散策(他の方たちはスーパーでゆっくり買い物とか)。地図を頼りにビレッジ博物館に行きました。
入場料を支払って(つたない語学力の3人が💦、です。苦笑)、かつてイギリス領だったころの英国貿易商らの4か所の建物のを見学しました。日本でいえば学芸員のような方が各家にいるのですが、当然説明されても私たちはわかりません。で、グーグル翻訳機に登場してもらいました。案内員女性にスマホに語り掛けてもらい、私たちはそこに表示される日本語文字を覗き込む、という体勢。ちょっと頓珍漢な翻訳文ではありましたが、面白い体験でした。アフリカ人の彼女もスマホに表示される自分の発言した英文に驚いていました。ややこしく配置された4軒の復元された家々を無事に回って集合場所まで到着。英国人貿易商らは当然奴隷を使っていたわけで、その奴隷たちがいたところはのちに学校となり、今はワークショップになっている、とのことですが、果たして私の解釈があっているかどうか、? です。でも、母語以外の英語を使って仕事をしている人たちなので、皆さん勤勉な方たちなのでしょう、この旅ではそう思うことしきりでした。でも、この手の資料館は(日本でも同じだけれど)訪問者が少ない。観覧中の訪問者は私たちだけでした。
写メがないので、↓ を貼っておきます。

ビレッジミュージアム

東インド会社が発展していた時代、その中継地ともなった南アフリカの喜望峰あたりは、イギリス人らの居留地も反映していたとのこと。カルカッタで求められる物資、食料などの調達地点にもなっていて、耕作者が必要なのでインド、マレーシアあたりからも奴隷として集められていたとのこと。18世紀、19世紀を舞台にした映画やドラマでは(例えばシャーロックホームズなどでも)よく海外で財を成して帰国した資産家が登場します。ああ、外地で交易に携わり財を築いていった生活のパーターンのひとつなのかしら、と想像したりしました。時代は立ち止まることなく動いているから、必ずしも正確な理解ではないかもしれないけれど、遠いヨーロッパの繁栄の要素になっているのだと、私の中でパズルのピースの一つがはまったような気がした。

一旦ホテルに戻ってから、夕食は日本食レストランでの食事でした。
興味あることには張り切るのですが、どうも体調がいまいち。写メもとっていないものそれが一因かも。
自宅から持参した薬を飲んではいるが症状に合わない(反省です)。ひとり参加のKさんに事情を話して3回分分けてもらった。参加者の唯一の男性がお医者さんとのことで、その配置薬をチェックしてもらい、彼からはうがい薬をいただいた。
食事も立派なメニューだったのですが、いつもは食べるのが早いね、と言われるタイプの私ですが、食べきれずに残していました。
でも、ここでの日本食(握りずし)は、量もいわゆる日本サイズで、しっかり完食できました。日本茶がおいしかった~。
紅茶パックは持参していたのですが、次回からは緑茶パック持参しなくては、と思いました。










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南アフリカ旅 その2

2024-08-17 08:32:38 | 旅行・休養
5日目 4日目までの前記事も追加校正しています。
早朝(未明)朝食前にジープでチョベ国立公園のゲームドライブに出かける(3時間)。
ここは厚着すべきところを判断ミス。今回はダウンコートを厚手、中厚、薄手、と持ってきているのに💦、薄手のダウンで部屋を出てしまった。寒さ除けとして各自にブランケットが配布されるのを、私は2枚使わせてもらって身体に巻き付けるようにしてシートに着席。ジープのドライバーさんは暗がりの中を目的地まで飛ばす、飛ばす。途中で日の出をみる。この度はお天気に恵まれたので何度も地平線に日の出、日の入りを観る旅でした。

象には存分に出くわしました。キリンは茂みの間から頭をのぞかせているところを確認。数頭のカバが交代で身体を水に沈めている様も。ああ、ここでではないですが、イボイノシシはバスで進行中に頻繁に出くわします。
ちょっと風邪気味っぽくて、スマホでパチパチする気力なし。
象がジープの間際で草を食んでいるところはパチリ。本当に象があと1歩2歩前に出て鼻を伸ばせばジープに届く距離で、つい身体をのけぞりました。

ロッジ(宿泊ホテル)に戻って朝食。
翌朝も快晴。朝食を食べてから時間があったので、スケッチブックを初めて開きました。


これらの2つのホテルは規模もそれなりで、スタッフもお料理の提供スタイルも(日本のホテルでも取り入れているのと同じ)西洋風でした。従業員は全員黒人で、同じ国でも民族同士で使う言語はそれぞれあるのですが、職場であるここでは英語です。みなさんバイリンガルということですね。何年も英語を学んだはずなのにすっかり忘れてしまった私のたどたどしい単語並べのような会話にもフレンドリーに応じてくださいました。ビクトリアフォールズのホテルだったと思いますが、ホテル前にたくさんの国旗のポールが立っていて、アフリカ大陸エリアの国際会議なども開かれたりしている模様でした。私たちには黒人というとみんな一緒に見えますが、彼らには民族の違い、特徴が見分けられるのでしょうね。8頭身、いや9頭身ほどの高身長なスーツ姿の若い黒人の颯爽とした彼らがこれからのアフリカのリーダーたちなのかしら、なんて勝手に想像したりしたものです。

ビクトリアフォールズ空港から国内線でケープタウンへ(約3時間)。
到着後ホテルへ。このホテルは3連泊です。
ケープタウンは経済活動も盛ん(と思われる)都会です。ホテルの外観の画像と室内。全くのデラックスホテル(旅行会社基準では)です。ここは途上国の都会。治安がいいとはいえないのでホテル外へ出ないほうがいいといわれました。


ホテル内のシステムもよくある高級ホテルバージョン。室内に備え付けのコーヒー等の飲料設備もカセット式でした。
夕食はホテルで。お料理を写メしていないので、画像はなし。

南アフリカはBRICS(ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ)のひとつとされていて、経済発展中なのですが貧富の差も激しく、これからの課題とのこと。ホテルに向かうバスの車窓の遠くに、バラック建ての建物密集エリアをいくつも目にしました。だんだんとバラック建てエリアにも電気が通るようになって生活改善されつつある、とも聞きました。今時電気がない暮らしって、、、と思わずにはいられません。









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つい気になる株式の情報にアクセス。苦笑

2024-08-11 10:29:38 | 投資関連
地震に注意のさなかだけれど💦

基本、狼狽売りは避けるべき、に徹しているけれど、ちょこっとやったこと。
株式譲渡益には20.315パーセントの税金が発生します。
特定口座であれば1年間の譲渡益、譲渡損の通算で税額が決まります。
なので、年初来の譲渡益がある場合は、現時点での源泉徴収課税額は出ています。なので、今回の大幅譲渡損が出ている株の売却をしで、通産の譲渡益額を減らし譲渡益課税額を下げるのは得策じゃないかな、と思い、大幅減が出ているのを売却し、改めての買い入れ資金を作ることにしました。年末に行う損だしのようなことを、今回の大幅下落に際して行ったということ。
コレって頭の体操のようです。

ジムは昨日でおしまい。次の土曜日まで休館です。
疲労がたまった身体のリフレッシュしないと。
あれ? ジム通いで疲れていては話になりませんね。苦笑
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帰国後のアレコレ

2024-08-08 10:07:22 | 投資関連
南アフリカ旅の画像アップの方法を習得(疲れもあって、これまでと違ったやり方が面倒に感じていた)できたので、おいおい画像付きで旅日記を追加していきます。
その合間に、世の中ではいろんな展開がありました。
株の大暴落。
7月20日に日本を立ってからも、株価は下がっているのはweb検索で分かっていたのですが、海外からは眺めるだけにしていました。
下がってるね~、程度の把握だったのですが、
先週の金曜日と今週の月曜日の下落幅は記録的!
こんなに下落しているのに、平静保っている自分を見直しました、というと変かしら。苦笑
実際に手元資金が減ったわけじゃなくて、すべて評価損ですから、そのうちに戻るだろう、戻るのを待つ側でいよう、というスタンスでした。
1987年10月20日のブラックマンデイの時は株式には縁もゆかりもなく、
サブプライムで下落の時は3割ほどの損失をこうむり、
リーマンショックの時はサブプライムで懲りて手を引いていたので、影響なし、でした。
一番最近のコロナショックの時は、どうだったか。流れに任せていたのでしょうか。あまりイメージを持っていません。
で、今回はビックリの規模です。
信用取引ではないから、青ざめることがないのが救いでしょうか。
じっくりと値を戻していってくれることを期待しています。

同窓会への出席回答
旅行中にハガキが届いていたのですが、気持ちがざわついているのか、返事のはがきを出すのが遅れていました。
遠方で夕方からの集まりなのでホテルの予約も必要です。ホテル開催ならばそのホテルで宿泊できるのに、前回は幹事さんにその希望を伝えたのですが、採用されませんでした。トホホ
で、ホテルを予約。特急と新幹線を乗り継いでいくことになるのですが、自由席で大丈夫かしら、と思っています。

ジム通い
遠く南アフリカ旅が可能だったのも、ジム通いのおかげだと思っているので、帰国後も普段どおりにジム通いしています。

草取りと水やり
これも、南アフリカ旅中は家人に水やりを頼んでいたのですが、帰国後は私の仕事。雑草も競い合うかのように繁茂しているので、勝負は私の負けですが(苦笑)、せめて1時間強ぐらいは、と毎朝、毎夕励んでおります。💦💦💦


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南アフリカ旅、行ってきました。

2024-08-02 08:37:26 | 旅行・休養
「南アフリカゴールデンルート10日間」の旅でした。

1日~2日目
中部国際空港(セントレア)から夕方発のキャセイパシフィックでした。
空港には時間の余裕をもって到着。現地で米ドルが必要とのことで1500ドルの通貨交換をする。宅急便で送っておいた荷物を受け取る。ラウンジで休憩。ひとり行動の方がいらしたので、お仲間かな、と声を掛けたら、違っていました。
集合時間になり初めて同行のメンバーを知ることになる。参加者7名のうち、二人連れが二組とひとり参加が3人。
①香港(4時間15分)経由で②香港からヨハネスブルグまで(約13時間)、そして③国内航空エアリンクでビクトリアフォールズ空港まで(1時間45分)行きます。①、②はビジネスクラスなので体勢の苦痛はありません。この歳ではエコノミーでは無理。
空港からバス(大型バスなのに旅行客は7名)でホテルにチェックイン。日本を経ってから、空港での待ち時間を含めるとすごい時間が経過したけれど、まだ私たち観光はなにもしていないんだよね~、そういう気分になったものです。



7枚目の写真はビクトリアフォール空港で飛行機を降りて空港ビルに向かうところ。ようやくアフリカの地に来た~、という気持ちになった。手続きを済ませて空港ビルから出ようとすると、アフリカの民族衣装を着けたチームが歓迎の音楽(歌)を披露していました。

この日はスケジュールが立て込んでいて、ホテルにチェックインして各自部屋に荷物を置いてから、ザンベジ川のサンセットクルーズに出かけました。
部屋は天蓋付きのダブルベットのひとり使いですから、贅沢気分になります。そしてベランダからの眺望。地平線の眺望がずっと続くのですが、右手に視線をやると中ほどに、ビクトリアフォールの水煙が見えます(ホテルの部屋に入ったばかりの時は気づかなかったけれど、翌朝に気が付いた。


サンセットクルーズ。
アフリカで4番目に長いというザンベジ川のサンセットクルーズに。参加メンバー7名。うち男性1名(ご夫婦参加です)
好天で沈む太陽を充分に満喫できました。
(私の不手際でスマホのシャッターを切ろうとすると、容量不足になっており、削除してくださいとかの表示が出るので、嫌気がさしてあまり写せなかった。もっと勉強していくべきでした。)
船長さんの挨拶、案内ぶりもスマートで(私の能力の問題で💦英語は聞き取れず)、スナックやドリンクもついたサービスはこちらこちらアフリカでも行き届いていました。


一旦ホテルに戻り時間調整をし、今度は懐中電灯、雨具をもって、満月の夜に滝のしぶきで虹ができるというビクトリアの滝へ向かいます。このルナレインボーを観るというのがツアーのうたい文句でしたが、私的にはそこまで期待していませんでした。
バスで入場口に到着したときは、私たちのツアーが一番乗り。40分はお待ちくださいとのことで、暇を持て余しているうちにどんどん他のツアー客も集まってきて100名近くはいただろうか。
開門されてレナレインボーを観るために真っ暗な道を歩き出す。夜道で大勢いるので、添乗員さんの声が届くように耳にはイヤホンガイドをつけています。足元の少しの凸凹に捻挫でもしたら大変と歩くことに集中。少ししたら雨粒が頭から降りかかってきてビックリ。滝の水煙です。雨具の帽子をかぶって濡れないような装備です。
真っ暗などれほどしたときでしょうか、期待のレインボーが目の前にくっきり! 満月だけが夜空に。そして滝の爆音。水滴が降り注ぐ中に幻想的な虹がくっきり。観られたらラッキー!程度にしか思っていなかったのに、期待以上の現実でした。皆さんスマホを掲げて盛んにシャッターを切っています。ところが、私のスマホは真っ黒な画面。誰かが言っていました。スマホの機種の感度が低いからなんだね、と。私のスマホもそれに該当するのでしょう。写メはあきらめました。
大勢が写メ祭りでアレコレやっているうちに、私のイヤホンガイドからは添乗員さんの声が聞こえなくなりました。
ということは私たちの添乗員さんから離れてしまったということ。人は混み入るほど大勢いるけれど、真っ暗で顔はわからず、添乗員さんから離れてしまったということです。
困った~。
標識などありません。そもそも真っ暗なのです。
日本語が聞こえました。
とっさに「すみません。仲間とはぐれてしまったのです。出口まで行かれるのでしたら、そこまで一緒に行かせてください」こうお願いするしかありませんでした。へんにうろついて藪に紛れ込んだりして、一人っきりになってしまっては大変です。
そうしてヒヤヒヤしながら歩くことどれほどだったでしょうか。添乗員さんの声がイヤホンガイドに届くようになりました。ほっ。
ちょっと方角が違っていたのですが、恐る恐る声の方向へ向かっていき、音声が大きくなった来たので間違いなし、とわかり、一件落着しました。バスでホテルまで戻り遅めの夕食。初めてのアフリカだからこそのメニューに興味津々「トウモロコシの粉をペースト状になったもの」をチョイスしてみたのですが、食べ方が違ったのか、口に合わず💦 でした。
外国からの観光客も多いホテルなので揃っているバイキング形式のお料理の提供の仕方は共通なものでした。
部屋に戻ってバスタブに使って長旅の疲れをとり就寝。

3日目

朝食前にホテルの外に出てみると、アフリカ特有の大木があったのでバオバブ?と思って近づいてみた。グーグル検索では判明しなかったので、そばのパネルの文字をグーグル翻訳してみると「ワニが出没することがあるのでご注意ください」とあり、慌ててホテル内に戻った。ホテル内のレストランからは朝日がきれいでした。


陽光の中再度ビクトリアの滝に向かいました。昨日、暗闇の中の道を滝へと向かったのですが、同じ道をいくつもの滝の展望スポットを巡りました。
レストランにて昼食。食事を終えて出ると、通路の片側のすぐ近くにミーアキャットが何匹もいました。

3日目の夕食は「BONAレストラン」にてアフリカンバーベキューを食べながら、ンデベレ族のダンスショーを観ながらの食事。
会場ではみんながアフリカの布を纏い、音楽もにぎやかにアフリカモードたっぷり、という演出なのですが、私はちょっと疲れがたまっていて、スマホを出す気分にはなれず💦でした。子豚の丸焼きも、ジビエ肉などもあったりしましたが、食欲湧かず。💦 
このホテルには2連泊。
1泊した翌朝に下着靴下を洗濯。2泊目のホテル出発時には乾いていました。
2泊したのに、備え付けのポットがあっても部屋で茶を飲む、という余裕がなくなっている、と我ながら思いました。長旅の疲れでしょうね。

ビクトリアの滝はザンベジ川流域にある滝ですが、ザンベジ川にかかっている橋の一つビクトリアブリッジを渡って、歩いてジンバブエからザンビアに入国しました。荷物を積んだトラック、自転車が頻繁に行きかいます。大きな荷物を頭にのせて、かつ幼児を抱えたりしてわたっていく女性たちもいます。頭に大きな荷物を載せて歩く姿に体幹がしっかりしている(姿勢がいい)と、写真で見たことがある光景を思い出したりしたものです。毎日頻繁に国境を越えているわけですが、彼らには簡便に国境通過できるようになっているそうです。
  ビクトリアフォールブリッジのパネル 橋の途中にある国境のパネル 赤ちゃんをおんぶして頭には荷物
ジンバブエもザンビアもかつてローデシアと呼ばれていた時代があり、白人支配の政権からは解放されたのですが、政策の差が表れたのか、両国間には経済、産業の生産性に差があり、比較的豊かなザンビアからジンバブエに生産物を売りに行くという流れがあるそうです。
ビクトリアの滝は南アフリカの地図つくりに尽力したスコットランド人のリビングストンが1855年に発見し、時の英国女王ビクトリアの名前を冠した名称を付けました。当時は英国では禁止されていたもののまだ奴隷貿易、奴隷狩りも盛んにおこなわれていた時代、奴隷狩りに反対の意を貫いていたリビングストンの像がザンベジ川の両側(ジンバブエにもザンビアにも)立っていました。
一番太いといわれているバオバブの木。乾季は葉を落として乾燥から身を守っているのだそうです。
ザンベジ川沿いの眺望が最高のロッジでランチ。
 

食事後に村人たちが作ったというクラフトマーケットに立ち寄る。たくさんの木彫りの動物たちが地べたに敷物1枚(敷物がないところもある)引いてびっしり並んでいます。値段は交渉次第とか。もうものを増やしたくない世代なので、仲間たちもほとんど見て回るだけ、でした。ジンバブエの通貨は超インフレで機能しなくなり、新紙幣を作っても誰も信用しないので流通していない、とか。旧紙幣を道行く観光客にビクトリアフォールブリッジあたりで売りつけている人がいて、仲間の一人が面白がって旧紙幣を何枚か値切って買ったそうです。紙幣に表示されているゼロの数が多い(100000000とか)にビックリ。こんなのじゃひとつ二つ桁を間違えそうです。1ドルで何枚かをゲットしたそうですが、私も買ってきたらよかったな~、と今は思います。汚れていない紙幣は転売もできるそうで(多分観光客にでしょう)、クラフトのお店の人が買いたいといったので持っている数枚のうち1枚を売りました、と。


4日目
バスでホテルを出発。隣国のボツワナのチョベ国立公園に向かいました。
ボツワナ入国時には靴底の消毒が求められます。泥水のような消毒液にポチャンと足を踏み入れるだけですが、スーツケースの中に入っている靴、上履きの消毒も必要とのことでした。
ロッジにチェックイン。昼食。プールもゴルフ場もある施設でした。


ベットはここでも天蓋付き。窓の戸締りは野生動物が入ってきたら危険ですから戸締りはしっかりしてください、とのことでしたが、簡単な?マーク風のひっかけるカギのみ。ちょっと緊張します。

荷物を置いて、チョベ川のボートサファリに出発。


ロッジに帰って夕食。

バスルームで洗顔などをした後室内に戻ろうとしたら、ドアノブを右に回しても左に回しても開かない!
困った! 
今晩はバスルームで一晩過ごすことになるのかしら、と覚悟もちらつきました。
ドアをトントンと叩いてみても室内のドアです。廊下の外まで音のは不可能です。
ああ~、疲れがたまるだろうな~。明日の行程が楽しくなくなるだろうな~~と。コレで死ぬことはないから大丈夫、とは思った。

5分ほど(もっと少なかったかも?)右左にガチャガチャしていたら、開いた。
回し方が足りなかったのです。日本ではこの程度の力でこの程度回せば開くのに、もっと深く回しこまないといけなかったのです。
翌朝、添乗員さんにこのヒヤヒヤエピソードを話すと、彼女は「一人で利用するときは、室内のドアは閉めないことにしている」とのこと。そして、室内で同じように閉じ込められてドアを叩き続けて、ホテル外の人が不審な音に気が付いてホテルに連絡してようやく解決に至った、というケースもあったとか。二人利用だと問題ないことでも、一人の場合は要注意だと勉強になりました。

翌朝も快晴。朝食を食べてから時間があったので、スケッチブックを初めて開きました。


これらの2つのホテルは規模もそれなりで、スタッフもお料理の提供スタイルも(日本のホテルでも取り入れているのと同じ)西洋風でした。従業員は全員黒人で、同じ国でも民族同士で使う言語はそれぞれあるのですが、職場であるここでは英語です。みなさんバイリンガルということですね。何年も英語を学んだはずなのにすっかり忘れてしまった私のたどたどしい単語並べのような会話にもフレンドリーに応じてくださいました。ビクトリアフォールズのホテルだったと思いますが、ホテル前にたくさんの国旗のポールが立っていて、アフリカ大陸エリアの国際会議なども開かれたりしている模様でした。私たちには黒人というとみんな一緒に見えますが、彼らには民族の違い、特徴が見分けられるのでしょうね。8頭身、いや9頭身ほどの高身長なスーツ姿の若い黒人の颯爽とした彼らがこれからのアフリカのリーダーたちなのかしら、なんて勝手に想像したりしたものです。

























コメント (2)
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