日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

首相の靖国参拝について

2005-05-17 07:54:11 | 社会問題
小泉首相の靖国参拝の話題が昨日のニュースで流れていた。
小泉首相は
「自分の国の戦争でなくなった人を参拝することについて、とやかく言われるのは内政干渉だ」
「亡くなって祭られている人は皆斉しく、生前のやったことのあれこれで差はない」との主旨の主張らしい。

個人がどう考えるかは自由であり、自分の行動の一つひとつに他人からとやかく言われる筋合いはない、のは理解できる。但し、他人を傷つけない限り。
小泉さんが首相でなく国の行政官でないならば、個人的な問題であり、隣国もとやかくは言わないと思う。
しかし、現実は日本を代表する立場の方である。
日本の代表者が、戦争被害国からの「首相の靖国参拝を止めて欲しい」という申し出を、上記のようなスタンスで対応するのはどうかと思ってしまう。
日本が派兵等をまったくしていない国からの申し出であれば、部外者からの干渉と突き放すこともありえよう。
この戦争の場合、中国、韓国は犠牲を強いられた国である。その国からの声を「内政干渉」とつき返すのは適当ではなく、耳を傾けないで門前払いをしているように見受けられる(門前払いをされた側は好感を持つはずがない)。

例えば、子供のけんかで、自分の子供が傷つき、隣の子供も傷ついたと考えてみる。
隣の子供が立派な病院で治療を受け傷がほぼ完治したのに、自分の子は初期治療が遅れて少し後遺症が残ったとしたら、隣の子供を見る度、自分の子供を不憫に思うのは自然のことだと思う。後から治療費を負担してもらったことは覚えていても、気持ちのどこかにしこりが残る。

これに似てはいないだろうか。
加害者である限り、謝罪した、弁償したと言っても、過去の事実までは消すことが出来ない。
だから、アジアにおける日本はその配慮を忘れてはいけないと思う。
戦後60年、相互に経済が発展して、一見傷跡が修復されたかのように見えても、それはこちら側からそう見えるだけであって、靖国参拝で相手の心が傷つくのであれば「配慮」すべきではないだろうか。
本当に「友好」でありたいのであれば。
今日本にはアジアと友好的でありたいと思っている人が多いのではないだろうか。だとすると日本のリーダーには近隣諸国への配慮した対応をしてもらいたいと思う。

以前ブログに書いたけれど、娘が中国留学中に知り合ったインドネシア人の友人から、
「中国や韓国だけじゃあないんだよ。私達の国も同じだよ」と、いわれたと聞いた。
日本の援助に頼らざるを得ないために、声をひそめている国があるのではないか(うやむやな援助でなく正当な解決をしてもらいたいものです)。
「王様の様の耳はロバの耳」と、いつか不本意な声が聞こえてこないように。

経済力がつき、文化を耕すことができるまでになったこの国なのだから、国政においても他の国が学びたくなるような航路を目指すこともありえるのではないだろうか。
そういう問題を解決する方向へと舵をきったことを示した上であれば、「唯一の核保有国でない国連常任理事国日本」というバッヂも映えると思う。

余談
ここにニューヨークで国連を見学してきたという娘の撮した写真がある。
不戦・銃の廃棄を伝えたかったのであろうと思われる銃身を結んだブロンズのモニュメントが写っている。
国連を訪ねてどうなるものではないけれど、いつか詣でてみたいと思っている。




コメント (2)
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