インド映画の平和力

ジャーナリストさこう ますみの NEVER-ENDING JOURNEY

モディ首相が足を向けて寝られない「大恩人」:インド人編の続き:NGO「ナルマダを救う会」のリーダー、メダ・パトカー(Medha Patkar)との出会いから

2022年10月23日 | インドの政治と司法
 前回の続きである。
「タタ・モーターズの奇跡」は何を導いたか。手近なところでティースタ・セタルワルの著作『Foot Soldier of the Constitution: A Memoir』から引く(P.133)。

After the Tata’s embrace of Modi, the Ambanis of the Reliance group, Shashi Ruia of the Essar group and Kumarmangalam Birla of the Aditya Birla Group unsurprisingly joined in too, signalling corporate India’s readiness to help wipe out blood off Modi’s hands and help him gain respectability.

 ここに挙げられているリライアンス、エッサール、ビルラはいずれも、多少なりともインドビジネスに関心がある日本人には常識の、タタと並ぶ、もしくはタタに次ぐ、インド有数の財閥企業グループである。

 モディ州首相によるナノ工場誘致にタタが応じたことで、これらも当然後に続いた。それは、グジャラート大虐殺の犠牲者が流した血で染まった州首相の手を清め、代わりにビジネスセンスに長けた有言実行の政治家という評価を広め定着させようという、財界総体の意思を示すものだった。

 大企業などそんなものだと、シニカルな日本人の声が聞こえそうだ。だが、ナノ工場騒動の一方当事者が、タタ・グループではない他の財閥企業であったら、印象はぜんぜん違っていた。

 インド行政用語区分では指定部族(Scheduled Tribes)、一般的にはアディヴァシ(adivasi)と総称される先住民族は、指定カースト(Scheduled Castes、かつての不可触民)と同等、もしくはそれ以上の社会的劣位に置かれてきた。

 かれらを政争の具に利用する政治勢力には事欠かないし、近年では娯楽映画の「ツマ」として使う例もちらほら見られる。

 アディヴァシの人権・生存権はそのようななかで脅かされてきたのだが、かれらの側に立って抑圧者に抗する闘いを続けてきた筋金入りの人権運動家が、私の知る限りで2人いる。
 
 いずれも女性で、かつ西ベンガル州でのナノ工場建設にも反対の論陣を張った。
 ひとりは作家のモハッシェタ・デヴィ(Mahasweta Devi; 1926-2016)。
 もうひとりがメダ・パトカー(Medha Patkar; 1954~)だ。

 メダ・パトカーは、NGO「ナルマダを救う会」(Narmada Bachao Andolan)のリーダーとして、全インドに知られている。
 インド西部、グジャラート州からマハラシュトラ州にいたる大河、ナルマダ河に計画されたダムプロジェクトによって、補償もなく強制移住を迫られたアディヴァシとともに、35年以上も抵抗運動を続けてきた。

 ちなみに最近も、モディ首相が、明らかにメダを指して「アーバンナクサル」(Urban Naxal)と罵倒していた(『Rediff.com』2022年9月23日付の PTI 電)。

「アーバンナクサル」とは、ヴィヴェーク・アグニホトリ監督(『The Kashmir Files』)が、『Buddha in a Traffic Jam』〈十字路で戸惑うブッダ、2016〉公開時から喧伝している物言いである。
 アディヴァシなどの社会的弱者が差別や抑圧に抵抗するとき、より包括的には、インド憲法が規定する基本的人権に対する弾圧に抗議するとき、かつ、その主体が都市部出身の中産階級以上の高学歴者であるとき、このアーバンナクサルというレッテル貼りがなされる。ヒンドゥ右翼が好んで使うが、実体がない妄想にすぎない。

 不屈のメダに、私は、運動が初期のピークにあった1992年、インタビューして記事を書いている。

〔参考文献〕
関口千恵名義
INTERVIEW: HUMAN RIGHTS
メダ・パトカー氏に聞く
インド・ナルマダ渓谷プロジェクト
現地住民を無視する援助
『法学セミナー』1992年7月号(451号)P.1-3

 メダは、「ナルマダを救う会」の運動を始めるまでは、タタ・インスティテュート(Tata Institute of Social Sciences ; TISS)で社会学の教鞭を執っていた。彼女自身、TISS でソーシャルワーク専攻の修士号を取得している。

 タタ・グループは、フィランソロピーとか企業メセナなどというコンセプトが強調されるよりもはるかむかし、それこそインド独立以前から、事業利益の社会還元にも意識的な企業として知られてきた。
 具体例のひとつが TISS で、創立は1936年。現在は公立で、社会科学系専門大学院としての評価が定着してから長い。逆に言うと、メダへの取材がきっかけになって、タタ・グループの社会公益活動の側面にも、私は関心を高めるようになったわけである。

 とはいえラタン・タタ会長については、もっと記しておかねばならないことがある。

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