インド映画の平和力

ジャーナリストさこう ますみの NEVER-ENDING JOURNEY

「『The Kashmir Files』は映画ではなくプロパガンダ。そんなものを見る気はない」by インド版 CIA こと RAW(調査分析局)のデュラト元局長(A. S. Dulat)

2022年04月07日 | プロパガンダ
 とりわけ1990年代初め、インド側カシミール、ジャンムー・カシミール州(当時、以下 JK)において、インドからの分離独立を目指すミリタントの武装闘争が、最も激化した時代。

 本来、ムスリムとともに長い歴史と伝統を共有してきたヒンドゥ教徒が、かれらを敵視するミリタントとその同調者という多数派の圧力によって、先祖伝来の地であるカシミールを追われ、難民化してジャンムーに流入した。諸説あるが、少なくとも数十万人。その悲劇は、しばしばエクソダス(大脱出)と表現される。

 JK 土着のヒンドゥ教徒のなかでも、かれらはとくにカシミール・パンディット(Kashmiri Pandit; 以下 KP)と呼ばれる。
 インド由来の単語 pandit の意が「学者」とか「賢者」であることを知る人は多いだろう。
 KP は、アショカ王がもたらした仏教文化が栄えた古代から、カシミール文化の発達や成熟に貢献してきた、高い教養をそなえた知識人であると自認してきた。かつ、そのようにみなされてきた。カーストは最高位のバラモンである。
 よく引き合いに出されるが、インド初代首相ネルーも KP の血筋だ。

 本記事タイトルの『The Kashmir Files』〈カシミール・ファイル、2022〉とは、KP のエクソダスをテーマにした、ヒンディ語の劇映画である。
 本国では3月11日に公開されて以来、与党・インド人民党(BJP)のプロモーションや興行税免除の優遇もあって、破格の大ヒット。今年はまだ4分の1が過ぎただけとはいえ、ヒンディ語映画の最高興収を上げている。

 もっともなかみについては、インドの優秀な批評家たちが、歴史的コンテクストの無視や、少なくない事実の歪曲などなど、痛烈に批判しているので推して知るべし。

 しかしながら、この間、『The Kashmir Files』に関心を寄せる日本のインド映画ファンを眺めるにつけ、一部の反応があまりにもナイーブなので気になっている。
 また、大ヒットという文言だけにつられて、劇場公開とはいかないまでも DVD を輸入しようかなどと考える浅はかな配給会社も出てこないとは言いきれず、少しは触れておこうかと思った。

 私は『The Kashmir Files』はまだ見ていない。
 というより、ヴィヴェーク・アグニホトリ(Vivek Agnihotri)という監督名を聞いただけで勘弁してほしいと思う。

 とうのも、何よりもまず、つくる映画がいちいちつまらないのだ。

 近い例で言えば、第2次印パ戦争(1965年)の和平会談に赴いたソ連(当時)で、インド第2代首相シャストリが急死した事件を扱う『The Tashkent Files』〈タシュケント・ファイル、2019〉。
 公には病死とされている急死の真相を、女性ジャーナリストが調査報道で暴こうというプロットだと書けば、いかにもおもしろそうだろう。ところが、女性ジャーナリストはソ連に観光旅行に行ったのかと思うぐらい、ろくな取材もせず、政治サスペンスに求められる緊張感を欠いたまま、会話やシーンがダラダラ重ねられていくだけ。

 いったい何が言いたいのか。いや、この監督のことだから(後述)持っていきたい結論は最初からわかっているが、そうだとしても、こういう疑問がよぎる迷走映画なのである。

 同じく政治サスペンスとうたう『Buddha in a Traffic Jam』〈十字路で戸惑うブッダ、2016〉のさわりはどうか。
 
 インド先住民が暮らす、インド中部とおぼしき密林地帯。
 2000年代から2010年代前半、中国やパキスタンをさしおき(!)インド最大の脅威と政府に名指しされた、極左武装組織マオイスト(ナクサライト)と、密林地帯の希少資源を狙う、政府および大企業の先兵が登場する。そして先住民は、双方からの圧力を受けて苦悩する。
 
 これも文字面だけ見れば、政争と弱肉強食の現代的構図として興味をそそられるかもしれないが、それがどっこい。

 シーンが切り替わると、都会のビジネススクールに通う、裕福そうな男女の宴。自分たちがクールだと思っているらしいかれらは、洗練された会話をやりとりしているつもりのようだが、見ている者にはぜんぜんクールに思えない。ここでかれらの関心事を理解しないと、先の話についていけないのかもしれないが、なんだかなあという感じである。

 要するに、おしなべて演出がまずいため、シリアスな状況がシリアスに見えず、登場人物はことごとく幼稚で感情移入できない。それゆえ、先に待ち受けているらしい、天下国家レベル(?)の監督の問題提起まで、観客の忍耐がもたないのである。

 まとめると、アグニホトリ監督というのは、フィルムメーカーとしての力量とか作風の問題からして、時間とエネルギーを浪費させる人物という刷りこみが、私にはむかしから強い。だから、さらに作品を見ようという気になれるはずもないのだ。

 ここから監督についての次の問題にいきたいが、長くなりすぎたので稿を改める。

 なお、本記事のコメントは、『The Telegraph』のインタビュー記事から引用している(2022年3月21日付)。『The Kashmir Files』は措いても、たいへん興味深く必読である。


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