さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

鷲の巣展望台

2018年10月26日 | ロシア



ホテルの朝食。昨夜は俺の部屋があるフロアで中国人がうるさかったので、それを避ける
ためにゆっくりの時間。中国人団体は朝早く一斉に朝食を食べるからだ。ちなみに、夜は
部屋に帰ってくる10時頃がものすごくうるさい。団体であっちこっちの部屋に行ったり
来たり。そしてドアを開けっぱなしで大声で騒ぐ。ほとんど喚き声や叫び声だ。しかし
酒を飲まないせいか、1~2時間騒いでみなさんパタッと寝てしまう。しばらくの我慢。

しかし、この朝はだいぶゆっくりの時間になっても中国人団体はたくさんいた。さらに
韓国人の団体も。中国人のおばさん、仲間みんなのためにコーヒーをお盆で持って行く。
一杯ずつ豆を挽いて作る機械なので、だいぶ時間がかかる。5杯も6杯もお盆に乗せて、
まだ仲間に「いらない?」などと聞いているので、うしろに並んでいた西洋人はブチ切れ
そうになっていた。



さて前時代的なバスに乗って展望台へ向かいます。料金は50円くらい。おつりに苦労する
ことが多いので、ちゃんと小銭があるかどうか確認しないと。幸い昨日の大雨は止んで
いたが、ズボンはまだ湿っているし、靴は悲しいことにまだかなり濡れている。部屋の
ドライヤーで少し乾かしてみたが、ぜんぜんダメだー。



バスを降りて、ちょっと坂を上ってケーブルカーへ。こいつの値段も40円くらいだったか。
道にはたくさんの水たまり。さらに坂道にはだいぶ水が流れてきており、頑張ってよけて
歩いたが、しかたなくビチャビチャと濡れた靴をまた濡らす。



乗客はほとんどいませんでした。料金は車掌のおばさんが乗ってきてひとりずつ徴収
します。人件費を考えたら、無料にして無人の運行にしたほうが効率的だと思う。



さて鷲の巣展望台に到着してみると、なんと韓国人だらけ!中国人もいたけれど、圧倒的に
なぜか韓国人。函館の展望台は90%以上中国人だったが、ウラジオストクの展望台は
韓国人の植民地と化している。



金角湾を見渡し、黄金橋が目の前。2012年に架けられたそうです。



昨日は暴風雨でしたが、なんとか雨が上がってくれてよかったよー。



柵を乗り越えてバカなことをやっています。中韓の方々は、写真撮影禁止の教会の中でも
変なポーズをとって写真を撮るし、これじゃあどこに行っても嫌がられますよね。



結局早々に降りたのでした。。。


ウラジオストクのレストラン

2018年10月25日 | ロシア



要塞博物館を見たあとは、またジュッポッジュッポッ!となりながらホテルへ帰る。
たまらんなこりゃー!



駅の近くに日本レストランがあった。「日本人が調理しています」ってわざわざ書いて
ある。そーなんです。日本料理を看板にしているくせに、中国人や韓国人がやっている
インチキ日本料理が世界中あちこちにあるんです(日本人がやっている「中華料理」で
「醤油ラーメン」や「味噌ラーメン」っつーのもあるし、イタリア料理屋の厨房には
だいたい日本人ばかりですけどね^^;)。



入り口を見ると「コンベアーベルト寿司」なんて書いてある。さすがにこれはパス。
ネットで調べたところでは、この近所に「ドイツビールのレストラン」があるというの
だが、どうやら閉店したらしい。クラフトビール全種類飲んで時間をつぶそうと思った
のになあ。



どしゃぶりのなかをしばらく歩いて、結局このベトナム料理屋に入ることに決めた。



昼食時だったので、ロシア人でいっぱいでした。



ベトナム人は英語が通じなかった。「ビールね」と言ったのに、出てきたのはこんな
南国フルーツが入った甘い飲み物。隣のロシア人も、ロシア語がうまく通じないで
少しもめていました^^;



「豚肉と野菜を炒めた」という料理が出てきました。なんかロシア人向けに作られた
味付けで、学食の料理みたいだったよ。。。



台風のように横殴りの暴風雨のなかをホテルに帰る。朝にエスプレッソを飲んだカフェで
ビールを飲んでひと休み。居酒屋の女将のようにアットホームな雰囲気のおばさまに、
「この洪水のなかを歩いてきたんだよ」とカウンター越しに画像を見せたりしてくつろぐ。

部屋に入って、泥水で下半分がぐっしょりのズボンと、靴を洗う。数時間後にはまた
夕食に出るが、乾くわけもない。またどうせ大雨なんだろうから、無理にドライヤーで
乾かそうとも思わないしねえ。



夜になって、雨は止むどころかさらにパワーアップ。もうあきらめて外に出る。夕食は
ロシア料理の有名店「ノスタルギーア」である。いい時間なのに、客は俺一人の貸し切り
状態でした。

ウェイトレスさんは、20代半ばのかわいいお嬢さん。英語も話すが、なんと日本語も
自分で勉強しているとのことで片言を話した。頑張るなあ~。



ホテルはwifiが故障中で使えない(まただ!)というので、PCを持ってきてネットを
使う。ビールを飲みながら仕事をやって、そのあとでワインと料理と思っていたのに、
にゃんとしばらく待たせたな、と思ったらまとめて持ってきた。どうもロシアでは
「まず酒を持ってくる」という文化がない。一度失敗したのに
、またやっちまった。
「ビールはすぐに持ってきてね」と言わないとダメなんだー。

さて料理、奥は「海鮮スープ」。いろんな魚や貝、イカ、タコなどが入っている

さすが北の海であ~る。そして下はオヒョウ。「北海道ではなかなか捕れなくなったん
ですよ~」と言うと、お嬢さんは「あれま!」と驚いていました。「スープと魚料理」の
2品と思って注文したのですが、出てきたらなんかかぶってますよねー。メニューを見て
食材で注文するもんだから、ガイコツではよくやってしまうのですー。でもオヒョウは、
とろりと柔らかくとっても美味しいし、スープは海鮮の出汁が素晴らしい味でした。



さてネットがつながるうちに、と検索したのが翌日の夕食の場所。ウラジオストクには、
北朝鮮のレストランがあるそうじゃないか。選りすぐりの美しい女性店員が外貨を稼ぐ
ために出稼ぎに来ておるとか。将軍様は大嫌いですが、一般市民はとても可哀そう。
国内でも虐げられていて、諸外国からは制裁をくらっている窮状なので、協力しよう!
なんて~^^; ここは下心と好奇心で行ってみようじゃなーいーか。(^益^)b

こんなカワイコちゃんの踊りがあるらしいぞ。。。




ホテルから歩いて30分かからない。地図を撮影しておいて、建物も見ておく。
グーグルマップは便利だな。



ソ連から独立したアルメニアのブランデー。ジョージア(グルジア)のワインも飲んだし、
これも試しておかないと。素晴らしい味わいでリッチな気分。こんな立派なレストランで、
飲んで食って3000円くらいです。そういえば、以前に某スペイン料理屋で、最後に
高級なブランデーを飲んだら、それが一杯3000円くらいだったような記憶が。
というわけで、ルーブルが安いロシアは、いまがお得♪


要塞博物館2

2018年10月24日 | ロシア



要塞博物館の続きです。そういえば、ここはいつもの係員のおばちゃんがついてくる
こともなく、入り口のお兄ちゃんがいただけのワンオペでした。



こんなのが無造作にゴロンと置いてありました。



さて楽しい写真シリーズ。帽子が中華系みたいですね。中国は、いまだにこの極東の
地域を「ロシアにとられた」と不満です。ロシアにとっては、こちらの海岸線を確保
しておくことは大変重要でした。ここらはロシア、中国、日本との間で領土争いがずっと
続いているわけですが、そもそもどこにも属さない少数民族が狩りや漁業でのんびりと
暮らしていたのですけれどね。



つい100年くらい前までには、実に寂しい場所だったのですが、この右に見られるような
豪華な建物がどーんと建って、ワラワラと開発されたわけですね。



右から読む「ルテホルラトンセ」と書いてありますが、その下にはロシア語。諸外国が
ひしめきあっていた様子を象徴しているようです。



「金角湾に外国船」と書いてあります(つづりが間違っているけれど)。
函館に似ているな。



150年前くらいのウラジオストク。



んでこういう要塞が造られたと。



これがまさに今の場所というわけですね。ちょっと前のソ連時代には、こんなところに
俺が立ってるなんて想像もできませんでしたねー。



「1855年、下田でロシアと日本の間で平和友好条約が結ばれた」と書いてあります。
そのときには、サハリンの北がロシアで、南が日本のものになり、択捉や国後のクリル
諸島(いわゆる北方四島)は日本のものとする、と確認されたそうです。



左 時代は下り、1905年のポーツマス条約でも、樺太の南半分と北方四島は
  日本に帰すと確認。
右 1945年の大英帝国、ソビエト連邦、アメリカ合衆国によるヤルタ会議では、
  南サハリン、クリル諸島(北方四島)はソビエト連邦に属すると確認された。

というわけで、日本は「北方四島を返せ」というのは現在相手にされてないわけです。
「もともとこっちのものだったもん!」は正確にいうと、「一時期こっちのものだった
ことがある」ということですね。でもロシアは「ヤルタ会議が最後の協定だ」という。
日本はヤルタ会議に出てないから納得できんなあ。

中国は「釣魚群島(尖閣諸島)を返せ!もともとこっちのものだったもん!」と
言います。台湾も「釣魚台列嶼
を返せ!」と言っているわけですが、どちらも「一時期
こっちのものだったことがある」ということでしょう。でも日本は「サンフランシスコ
平和条約が最後の協定だ」といって取り合うつもりはありません。中国や台湾は
サンフランシスコ平和条約に出てないから納得できんなあ。

「もともと」なんて言い方はどうも説得力がない。もともとは人が住んでなかったし、
あっちの人が住んだりこっちの人がやってきたり。そもそも大国の人間ではない原住民が
いたんでしょうし。原住民グループが「もともと俺らのもんだ」って言いだしたら?

悲しい現実は、領土って強い国が実力でふんぞり返っているんですよねェ。実力行使で
長い間いれば、もう誰も文句を言えなくなってしまうもの。中国が「返せ!」と言ったら、
日本政府は「もう戦後ずっと日本だったんだから」と答えたことがあります。そうしたら
すぐさまロシアが北方領土のことを念頭に「そうだよね!」と言いました(笑)。


要塞博物館1

2018年10月23日 | ロシア



ウラジオストクの港に面した要塞博物館は、かつて本物の要塞として使われていた
場所にあります。



こんなのが本当にドンパチやっていたわけですね。



いろんな種類の大砲が並んでいました。おそらくは時代によって変化していったの
でしょう。



お隣にできた建物、こんなのを向けられていたら嫌ですねー。文句はこないのか?



上を向いているやつは、飛行機を狙うものかしら?上から爆弾落とされたらたまり
ませんが、勝負になったのでしょうか。



また戦車ですー。今回の旅ではだいぶ見たな。



こんなんで狙って撃ったのでしょうが、同時に狙われてもいたわけです。砲弾が
飛んできて、吹っ飛んで死ぬわけでしょう? やだねーーー!



さて、もと要塞は、いま展示室。平和になってありがたいことです。



でっかい砲弾、飛んできて爆発すれば、そりゃー死ぬな。



時間が有り余っているので、ぐっしょり濡れた靴でひとつずつじっくり見ました。



波打ったナイフは何を切るため?むかしこんなナイフを何本も飲み込む「びっくりマン
ショー」を見たことがあります~。右上、ちょっと切れちゃってるけど、拳につける
メリケンサック。左端にはヌンチャク。戦争にこんな肉弾戦があったの?



長~い鉄砲。相当遠くから狙撃したわけですね。見えないところから「ターン!」w



よくもまあ、こんな鉄の塊が飛んでいくもんだー。


洪水状態のウラジオストク

2018年10月22日 | ロシア



土砂降りの雨の中、意を決して「要塞博物館」へ向かう。まあ少しぐらい濡れようが、
ホテルの狭くてせわしないフロントで数時間座っているよりは、歩いていたほうが
まだ気が紛れるというもの。それにしても、イルクーツクでもそうだったが、ロシアの
街は水はけが悪い。あちこち水たまりだらけ。坂の多い街なので、道路が川のように
水が流れていたり、低い所では大きな水たまりとなっている。



すごい水たまりでしょ。ロシアの運転はやさしいので、歩行者がいるとかなり注意し、
減速して水がはねないようにしてくれます。
それにしても水たまりをよけて歩くので、あっちいったりこっちへ行ったり。



しかし、ここでついに立ち往生。もう迂回するルートがないのである。



こうなると、もうしかたありません。足首まで浸かってグッチュグッチュいいながら
通りを渡る。ダメだ、こりゃ。



もう波が出来ています。サンダルでも持ってくればよかったなあ。



聖タチアナ教会。ロシア正教の教会は、どこも遊園地の建物みたいだねェ。



さてこうなると、もう「川」だね。このあたりでは、通行人が呆然とためらっていました。
俺も写真を撮ったり、5分くらいどうしようかと考えました。しかしどうせもう足首まで
水に浸かって歩いてきたんだし、ここまできて引き返すのも癪だし、行くしかないと決心。

歩き出すと、これが結構深い。なんとひざまでくるところがありました。グッチュグッチュ
ではなく、もうジュッポンジュッポン!という感じでしたよ。



そしてガイドブックと地図をたよりにやってきたのに、「要塞博物館」が全然見つから
ない。これだけ苦労して歩いてきて、そのまま帰りたくはない。しかしぐるぐる回っても
ないじゃないかっ!しばらく歩き回ってあきらめかけ、ご覧のところにやってきた。
右には海鮮レストランの看板、奥には水族館の看板が出ている。こうなりゃ子供向けの
水族館にでも入るか?

階段を上がったら小さなチケット売り場があり、ヒマそうな係員のお兄さんにとりあえず
「要塞博物館を探しているのだが・・・」と話しかけたら、「ここだよ」というそっけない
答え。えええ!数年前のガイドブックに書いてある入り口の場所が変わったのは文句を
いいません。しかし、何か看板くらい入り口に書いておいてもいいんじゃないか?
もう一度この画像を見てください
。右にでっかいレストランの看板、そして奥には
水族館って書いた看板だし、「要塞博物館」って、何にもないからわかるわけないでしょ!