さきち・のひとり旅

旅行記、旅のフォト、つれづれなるままのらくがきなどを掲載します。 古今東西どこへでも、さきち・の気ままなぶらり旅。

郷土資料館の展示写真 22

2015年10月06日 | 東北シリーズ



「湯のし機」だって。クリーニング屋さんで使われていたそうです。



こちらはミシン。「ミシン」って、今なら「マシーン」ですよね。考えてみれば、
ヨーロッパで起こった産業革命、すなわち手工業から機械化への変革は、紡績から
始まったところもありますからね。「マシーン」によって、女性の膨大な労力が
節約されるようになったわけです。

釜石は鉄鋼業が盛んな場所でしたから、第二次世界大戦のときに、米軍の攻撃目標に
なりました。その映像がここで放映されていました。アメリカの巨大な戦艦から、
これまた巨大な砲弾がものすごい勢いで次々に水平発射。釜石の町や工場は壊滅。
そのすさまじい砲撃の様子が繰り返し流れていたのです。

それは70年前のことだが、4年前の津波はどうなんだ?と思っていたら、次の部屋に
写真が並べられておりました。映像は生々しすぎるのかな?



おお、すぐ先の駅前だ。港からはだいぶ内陸なのだが、ここまで来たのですな。



いまの平和な姿です。



私が滞在したホテルのすぐ横。左のビルの青い印が、津波がやってきた高さです。



赤線が津波にのまれたエリア。住宅密集地、繁華街はほぼ壊滅状態。左端の駅まで
届いています。大観音に歩いていく途中で通過した魔境のような盆地の住宅地は
山に囲まれて大丈夫だったと。

ん?観音様へ行く途中で、ボロボロになって廃墟と化していた土産物店の並ぶ
参道は、津波にやられてああなったと思い込んでいたのだが、あれってのまれて
ない?するとあれは時を経ての自然崩壊だったの???



港すぐ横のエリア。ほぼ全滅。



山の斜面に上がってゆくところまで壊滅。



こりゃほんとにひどい。。。



明治三陸地震のときの様子。このときもひどかったのでしょう。他の展示品よりも、
こういった津波の写真や絵のほうがずっと印象的でした。



ちばてつやは東京の人だったと思うが、応援に来たのでしょうね。右の矢吹丈は
誰でも知っているでしょうが、左の真ん中でシャベルを持っている子はわかるかなー?

「ユキの太陽」の主人公、ユキちゃんです。父親がアイヌだという話なんですよね。
宮崎駿がテレビアニメを作る準備があったのですが、残念ながらお蔵入りしたのです。



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