私は天地創造の秘密をこの地上や天国にしまっているのではなく、この二つの境目のところにしまっているのです。
あなた方は、それを瞑想などによって目覚めの状態と睡眠状態の間のかすかな隙間から一時的に見ることが出来ます。
神はその創造の二元性を人の身体の中にしまっておきました。
あなたはその二元性のうちのひとつでも見ることが出来ますか?P, 344 ANDI
ポニョ:昨日は意思の力をどのようにして顕現するかという話やったな。でも、どう考えても食欲や性欲をコントロールするのは難しいぜよ。
ヨシオ:もちろん、普通の人は一度にそういう事をコントロール出来ないから、少しずつやって行けばええやろ。例えばババの日である毎週木曜日だけは、断食するって決めればええやんか。
ポニョ:多分それも難しいやろな。
ヨシオ:俺の昔の相棒は、家族でシヴァ神を信仰していたんや。だから子供の時から毎週シヴァ神の日である月曜日に家族中で断食してたんやで。
ポニョ:おいらの家でそういうことをしたら、もう半分ぐらいの家族は死んでいると思う。
ヨシオ:一週間に一回ぐらいの断食で死ぬわけがないやろ。
ポニョ:いや、精神的に死ぬと思う。もし毎週月曜日に断食したらその日には、みんなお腹が減り過ぎて小さな事でも頭に来て、お互いムカついて来て兄弟喧嘩をして殴り合ったりするので、やっぱり半分ぐらいの家族は殺されてこの世にいなくなっているやろな。
ヨシオ:断食したぐらいで殺し合いするんか。ポニョの家族は。
ポニョ:食欲は断食して行けば少しはコントロール出来るかもしれないけれど、性欲は難しいぜよ。この前も読者の方が性欲のコントロールなんて無理ですなんて言ってたから、現代の世は性欲を刺激する広告などがどこを見ても氾濫しているし、ババがカリユガ期では、結婚するのが解脱の近道だって言ってますよと返事しておいたんや。
性欲と食欲という二つの欲望が、すべての人にとって克服すべきものであって、それらが残っている限り苦しみは消えることはないのです。Premavahini p, 72
ヨシオ:確かに性欲のコントロールって難しいよな。ポニョは易経って聞いたことがあるやろ。
ポニョ:難波の心斎橋筋商店街を歩いていると、真冬の寒い夜に、一人で通りの隅に椅子を二つ置いて、易経、運命鑑定って書いてあるランタンに火を灯して座っていたおじさんがいたな。おいらは、とても可哀想になって「おじさん、おいらの運勢を見てくれますか?」と頼んだんや。すると、「暑い南の方へ行きなさい。そこであなたはこの世に降臨した大物の霊と会うことが出来ます。」って言われたんや。その時は、このおじさんは寒いところに座っているので暑いところに行きたいという願望が、そのようなお告げとなって出て来たんやろなと思ってありがとうさん、と言ってお金だけ置いて帰ったんやけれど、その事があってから、一ヶ月以内にババのダルシャンを受けにインドに行ってたんや。もちろん、運命鑑定のおじさんに見てもらった時はババの事は知らなかったんやぜよ。
ヨシオ:ふーん、その話は知らなかったな。初めて聞いた。そのおじさんはサイキックかもしれんな。それで、その易経の易っていう字やけれど、日の下に月って書くやろ。つまり日と月を合わした字なんや。
ポニョ:そう言えばそのように見えるな。それで?
ヨシオ:見えるんじゃなくてそうなんや。つまり、「易」という漢字は日(陽)と月(陰)を組み合わせた会意文字で、昼と夜の移り変わりや変化を表すとともに、陰陽も象徴しているんや。中国における宇宙観では、太極という大元の神、ヴェーダではブラフマンが二つに分かれて陰陽が生じたんや。陰陽というのは陰あっての陽、陽あっての陰で、二つは別々のように見えているけれど、一対であって切り離すことができないんや。前にもこの話を何回かしたよな。
ポニョ:「天地創造の秘密に迫る❶」で説明したよな。
http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/c6dd41ff23e073077c4b04b377d298c1
ヨシオ:今日で一応「天地創造の秘密に迫る」シリーズは終わるけれど、近い将来少し視点を変えて続きをお送りしますので楽しみにしていて下さい。
このようにインドで伝わっている天啓経典であるヴェーダと同じように、中国の自然哲学である陰陽思想と五行思想が一体化した陰陽五行思想は、宇宙の森羅万象のあらゆる現象は陰と陽の結びつきによって成り立つと説明しているんや。
ポニョ:陰と陽、光と影、プラスとマイナス、天使と悪魔、男と女のようにこの世界は全て一対になっているもんな。
ヨシオ:今日は、あげまんと下げまんは出て来ないのか?
ポニョ:この前、それを使ったけれど、余り評判が良くなかったんや。
ヨシオ:このように陰で表される女と陽で表される男の交わりが陰陽道の規律に則るように営まれることは、自然の理なんや。天地創造の摂理にも則った事なんや。そのためには、気功家が尊ぶ房中術のような養生を守って夜の営みをすれば良いんや。
ポニョ:日本にも貝原益軒「養生訓」の中に、「四十にして接して漏らさず」という記述があるのを読んだことがあるぜよ。つまり、四十歳になれば夜の営みをしても、精液を出したらいかんってことなんやろな。「男は辛いよ。虎さん我慢するの巻」やな。でも四十歳はきついやろな。そんな事をしたら鼻血が毎日出るやろな。まあ、おいらはとっくに干上がっているけどな。若い人は大変じゃ。
ヨシオ:こちらでも、性年齢は早いけれど、干上がるのも早いみたいやな。この前に、水道屋と大工のおっちゃんが喋っているのを聞いていたら、「こいつ、もう五十歳にもなってまだやってるんや。ええ加減にせえや。」とか言って、水道屋をからかっていたな。するとその水道屋は、「俺は再婚してめちゃ若い美人の嫁はんがいてるんや。お前とこの嫁はんみたいに、アイスクリームの食べ過ぎで脂肪で皮膚がパンパンに腫れている嫁はんと違うんや。」とか言って、言い争いをしていたので笑ってしまったな。
ポニョ:確かに、おいらが見た限りでもオーストラリアの女性はめちゃ太っている人が多かったな。脂肪で皮膚がパンパンに腫れているって表現がピッタリやぜよ。ダイエットコークの飲み過ぎやろ。アスパルテームが入っているから、神経がやられていつもお腹が空いたと思ってしまうんやぜよ。話は戻るけれど、ババは年寄りになると霊的なパワーをたくさん持つようになるって言っておられるけれど、それって夜の営みで霊力を使わなくなるからかな?
ヨシオ:それもあるかもしれないけれど、このシリーズの二回目でラーマクリシュナさんの話をしたやろ。
ポニョ:あゝ精液と霊力の関係の話やったな。あれは面白かったぜよ。
ヨシオ:それだけじゃなくて、人って肉体じゃないやろ。だから肉体が年と共に衰えて来ても霊体は衰えないやろ。つまり分かりやすく言えばいつも相対的に元気な霊体が、衰えれ来た肉体から常に飛び出そうとしている状態になるんや。
ポニョ:飛び出そうって、どういうことと何や。
ヨシオ:そうやな、分かり易く説明すると肉体がもうガタガタになって来ているから、肉体に入っている霊体の霊力が自分の霊力を持て余し気味になって、肉体から出て来たがるんや。だから、常に半分霊体が肉体から出てしまいそうな状態になって霊体が持っている霊眼やらでこの世界を見れるようになり易くなるんや。だから肉体の目でしか見れない俺たちよりもっといろんな事が見えたり、感じ取れたり、聞き取れたり、未来や過去が見えたり、その人のオーラが見えたり、今まで肉体の低い波動に阻まれて出て来れなかった神の叡智が容易に出て来れるようになるんや。
ポニョ:だから、ババは年寄りをバカにしたらいかんって言っておられるんやな。
一般に、子どもたちは、70歳を過ぎた人間は役立たずで、社会でも家でもお荷物だという印象をもっています。
しかし、実際はそうではありません。
実に、熱意、勇気、そして、精神的な強さは70歳を越えると増加します。
心的能力とアートマの強さは、人が70歳を越えて初めて頂点に達するのです。
それまで人は、並みの人間のように振る舞い、他の人の手本となる努力をすることはありません。人間の内なる心的能力、神聖な力、意志の力は、70歳を過ぎてから完全に表出し、人が人生において新しい目標を定めることを促すのです。
その結果 、老人は人生について熟考し、その神秘を探求するようになります。
老人に潜在している神聖な力は、若者がもっている能力を上回っています。
その神聖な力は老人の行動においてありとあらゆる形で現れます。 10/2/05
ヨシオ:もちろんそんな霊力が出て来なくても、年寄りは尊敬して大事にしなくてはいけないけれどな。このように年を取って肉体の力が弱くなっても霊力は変わらないので年寄りはその霊力がより強く顕現することが出来るんや。若い人でも睡眠不足の状態で身体の機能が充分働いていない時も霊力が顕現し易くなるんや。
ポニョ:そう言えば、クリシュナがアルジュナにヴァガバッタ ギーターの中で睡眠を取り過ぎたら瞑想が上手くできないって言った一節があるぜよ。
ヨシオ:ババも半覚醒時に天地創造の秘密を神様は隠しておいたので君たちは探し出せますか?と言っておられたな。このように肉体と霊力の顕現は相関関係にあるんや。俺のお袋も死ぬ間際になって肉体が極端に弱った時に、霊力がまともに出て来たのでとても驚いたな。
ポニョ:そうでなくても、お袋さんは人一倍霊力が強い人やったな。
ヨシオ:ああそうやったな。まだ若い頃からあの人のオーラの色は赤やとかいろいろ言ってたな。まあ、そういう事を言うのは俺にだけやけどな。また死ぬ間際に「サイババさんがもうすぐまた帰って来られるな」って言ってたな。亡くなる半時間前の事やけどな。それに俺たち夫婦が居間で話していて結論が出なかった問題を、居間から結構離れているお袋の寝室に行くと、その問題はこうすれば良い、なんて人が尋ねていないのにアドバイスをしてくれたので驚いたことも一度や二度では無かったな。また、自分の部屋にいてるのに他の家族のメンバーが何をしているか知っていたな。
ポニョ:肉体から離れてウロウロされていたんやろな。
ヨシオ:一番驚いたのがもう、自分の事が何も出来なくて車椅子生活している時に、他の人の心の動きを読んでいたことやな。あの人は今、心で口で言っている事と違う事を思っているから気をつけなさいとか、今、あの人は自分の良心に向かい合うことが苦しくて席を立ったんやで。とか言っていたな。
ポニョ:認知症になって十年以上にもなるのに、それはびっくりやな。
ヨシオ:もう自分の事なんて少しも出来ないし、俺のことも覚えていないんや。なのにだんだん顔が神々しくなって行って、一言一言の言葉が、ババがお袋を通じて話しているって分かるんや。特に、顕著やったのが以前にも記事にしたけれど、俺がうっかりしてお袋をお風呂でのぼせさせた時に、お袋が赤い顔をしながら俺に、「この身体をお前の不注意であろうとこのように扱ったら、熱かった。」と言ったんや。
ポニョ:それは嘘や。前に言ったのは、「不注意とは言え、こんなふうにしてこの身体を扱ったら、寿命が来る前に肉体が死んでしまうやろ」と言って、ピンタされたって言ってたやないか。何が、「こんなふうに扱ったら、熱かったや。」下手やけど、上手いダジャレやったぜよ。
ヨシオ:一体どっちやねん。
神はマーヤのために人を形作りました。
二つのマーヤの門があります。
一つは性的欲望で、もう一つは舌の欲望です。
これらの二つの欲望をすべての人は克服しなければなりません。
さもないと、それらを持っている限り苦しみがその後から続いてやって来るからです。
すべての世俗的な欲望は、この二つから派生しているのです。
それ故この二つの欲望を克服した者だけが、この物質世界を成功裏に渡りきることが出来るのです。
これらの欲望は、罪を作る元凶でもあります。
そして罪はマーヤの根をもっと張っていくことになるのです。Prema vahinip, 96
あなた方は、それを瞑想などによって目覚めの状態と睡眠状態の間のかすかな隙間から一時的に見ることが出来ます。
神はその創造の二元性を人の身体の中にしまっておきました。
あなたはその二元性のうちのひとつでも見ることが出来ますか?P, 344 ANDI
ポニョ:昨日は意思の力をどのようにして顕現するかという話やったな。でも、どう考えても食欲や性欲をコントロールするのは難しいぜよ。
ヨシオ:もちろん、普通の人は一度にそういう事をコントロール出来ないから、少しずつやって行けばええやろ。例えばババの日である毎週木曜日だけは、断食するって決めればええやんか。
ポニョ:多分それも難しいやろな。
ヨシオ:俺の昔の相棒は、家族でシヴァ神を信仰していたんや。だから子供の時から毎週シヴァ神の日である月曜日に家族中で断食してたんやで。
ポニョ:おいらの家でそういうことをしたら、もう半分ぐらいの家族は死んでいると思う。
ヨシオ:一週間に一回ぐらいの断食で死ぬわけがないやろ。
ポニョ:いや、精神的に死ぬと思う。もし毎週月曜日に断食したらその日には、みんなお腹が減り過ぎて小さな事でも頭に来て、お互いムカついて来て兄弟喧嘩をして殴り合ったりするので、やっぱり半分ぐらいの家族は殺されてこの世にいなくなっているやろな。
ヨシオ:断食したぐらいで殺し合いするんか。ポニョの家族は。
ポニョ:食欲は断食して行けば少しはコントロール出来るかもしれないけれど、性欲は難しいぜよ。この前も読者の方が性欲のコントロールなんて無理ですなんて言ってたから、現代の世は性欲を刺激する広告などがどこを見ても氾濫しているし、ババがカリユガ期では、結婚するのが解脱の近道だって言ってますよと返事しておいたんや。
性欲と食欲という二つの欲望が、すべての人にとって克服すべきものであって、それらが残っている限り苦しみは消えることはないのです。Premavahini p, 72
ヨシオ:確かに性欲のコントロールって難しいよな。ポニョは易経って聞いたことがあるやろ。
ポニョ:難波の心斎橋筋商店街を歩いていると、真冬の寒い夜に、一人で通りの隅に椅子を二つ置いて、易経、運命鑑定って書いてあるランタンに火を灯して座っていたおじさんがいたな。おいらは、とても可哀想になって「おじさん、おいらの運勢を見てくれますか?」と頼んだんや。すると、「暑い南の方へ行きなさい。そこであなたはこの世に降臨した大物の霊と会うことが出来ます。」って言われたんや。その時は、このおじさんは寒いところに座っているので暑いところに行きたいという願望が、そのようなお告げとなって出て来たんやろなと思ってありがとうさん、と言ってお金だけ置いて帰ったんやけれど、その事があってから、一ヶ月以内にババのダルシャンを受けにインドに行ってたんや。もちろん、運命鑑定のおじさんに見てもらった時はババの事は知らなかったんやぜよ。
ヨシオ:ふーん、その話は知らなかったな。初めて聞いた。そのおじさんはサイキックかもしれんな。それで、その易経の易っていう字やけれど、日の下に月って書くやろ。つまり日と月を合わした字なんや。
ポニョ:そう言えばそのように見えるな。それで?
ヨシオ:見えるんじゃなくてそうなんや。つまり、「易」という漢字は日(陽)と月(陰)を組み合わせた会意文字で、昼と夜の移り変わりや変化を表すとともに、陰陽も象徴しているんや。中国における宇宙観では、太極という大元の神、ヴェーダではブラフマンが二つに分かれて陰陽が生じたんや。陰陽というのは陰あっての陽、陽あっての陰で、二つは別々のように見えているけれど、一対であって切り離すことができないんや。前にもこの話を何回かしたよな。
ポニョ:「天地創造の秘密に迫る❶」で説明したよな。
http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/c6dd41ff23e073077c4b04b377d298c1
ヨシオ:今日で一応「天地創造の秘密に迫る」シリーズは終わるけれど、近い将来少し視点を変えて続きをお送りしますので楽しみにしていて下さい。
このようにインドで伝わっている天啓経典であるヴェーダと同じように、中国の自然哲学である陰陽思想と五行思想が一体化した陰陽五行思想は、宇宙の森羅万象のあらゆる現象は陰と陽の結びつきによって成り立つと説明しているんや。
ポニョ:陰と陽、光と影、プラスとマイナス、天使と悪魔、男と女のようにこの世界は全て一対になっているもんな。
ヨシオ:今日は、あげまんと下げまんは出て来ないのか?
ポニョ:この前、それを使ったけれど、余り評判が良くなかったんや。
ヨシオ:このように陰で表される女と陽で表される男の交わりが陰陽道の規律に則るように営まれることは、自然の理なんや。天地創造の摂理にも則った事なんや。そのためには、気功家が尊ぶ房中術のような養生を守って夜の営みをすれば良いんや。
ポニョ:日本にも貝原益軒「養生訓」の中に、「四十にして接して漏らさず」という記述があるのを読んだことがあるぜよ。つまり、四十歳になれば夜の営みをしても、精液を出したらいかんってことなんやろな。「男は辛いよ。虎さん我慢するの巻」やな。でも四十歳はきついやろな。そんな事をしたら鼻血が毎日出るやろな。まあ、おいらはとっくに干上がっているけどな。若い人は大変じゃ。
ヨシオ:こちらでも、性年齢は早いけれど、干上がるのも早いみたいやな。この前に、水道屋と大工のおっちゃんが喋っているのを聞いていたら、「こいつ、もう五十歳にもなってまだやってるんや。ええ加減にせえや。」とか言って、水道屋をからかっていたな。するとその水道屋は、「俺は再婚してめちゃ若い美人の嫁はんがいてるんや。お前とこの嫁はんみたいに、アイスクリームの食べ過ぎで脂肪で皮膚がパンパンに腫れている嫁はんと違うんや。」とか言って、言い争いをしていたので笑ってしまったな。
ポニョ:確かに、おいらが見た限りでもオーストラリアの女性はめちゃ太っている人が多かったな。脂肪で皮膚がパンパンに腫れているって表現がピッタリやぜよ。ダイエットコークの飲み過ぎやろ。アスパルテームが入っているから、神経がやられていつもお腹が空いたと思ってしまうんやぜよ。話は戻るけれど、ババは年寄りになると霊的なパワーをたくさん持つようになるって言っておられるけれど、それって夜の営みで霊力を使わなくなるからかな?
ヨシオ:それもあるかもしれないけれど、このシリーズの二回目でラーマクリシュナさんの話をしたやろ。
ポニョ:あゝ精液と霊力の関係の話やったな。あれは面白かったぜよ。
ヨシオ:それだけじゃなくて、人って肉体じゃないやろ。だから肉体が年と共に衰えて来ても霊体は衰えないやろ。つまり分かりやすく言えばいつも相対的に元気な霊体が、衰えれ来た肉体から常に飛び出そうとしている状態になるんや。
ポニョ:飛び出そうって、どういうことと何や。
ヨシオ:そうやな、分かり易く説明すると肉体がもうガタガタになって来ているから、肉体に入っている霊体の霊力が自分の霊力を持て余し気味になって、肉体から出て来たがるんや。だから、常に半分霊体が肉体から出てしまいそうな状態になって霊体が持っている霊眼やらでこの世界を見れるようになり易くなるんや。だから肉体の目でしか見れない俺たちよりもっといろんな事が見えたり、感じ取れたり、聞き取れたり、未来や過去が見えたり、その人のオーラが見えたり、今まで肉体の低い波動に阻まれて出て来れなかった神の叡智が容易に出て来れるようになるんや。
ポニョ:だから、ババは年寄りをバカにしたらいかんって言っておられるんやな。
一般に、子どもたちは、70歳を過ぎた人間は役立たずで、社会でも家でもお荷物だという印象をもっています。
しかし、実際はそうではありません。
実に、熱意、勇気、そして、精神的な強さは70歳を越えると増加します。
心的能力とアートマの強さは、人が70歳を越えて初めて頂点に達するのです。
それまで人は、並みの人間のように振る舞い、他の人の手本となる努力をすることはありません。人間の内なる心的能力、神聖な力、意志の力は、70歳を過ぎてから完全に表出し、人が人生において新しい目標を定めることを促すのです。
その結果 、老人は人生について熟考し、その神秘を探求するようになります。
老人に潜在している神聖な力は、若者がもっている能力を上回っています。
その神聖な力は老人の行動においてありとあらゆる形で現れます。 10/2/05
ヨシオ:もちろんそんな霊力が出て来なくても、年寄りは尊敬して大事にしなくてはいけないけれどな。このように年を取って肉体の力が弱くなっても霊力は変わらないので年寄りはその霊力がより強く顕現することが出来るんや。若い人でも睡眠不足の状態で身体の機能が充分働いていない時も霊力が顕現し易くなるんや。
ポニョ:そう言えば、クリシュナがアルジュナにヴァガバッタ ギーターの中で睡眠を取り過ぎたら瞑想が上手くできないって言った一節があるぜよ。
ヨシオ:ババも半覚醒時に天地創造の秘密を神様は隠しておいたので君たちは探し出せますか?と言っておられたな。このように肉体と霊力の顕現は相関関係にあるんや。俺のお袋も死ぬ間際になって肉体が極端に弱った時に、霊力がまともに出て来たのでとても驚いたな。
ポニョ:そうでなくても、お袋さんは人一倍霊力が強い人やったな。
ヨシオ:ああそうやったな。まだ若い頃からあの人のオーラの色は赤やとかいろいろ言ってたな。まあ、そういう事を言うのは俺にだけやけどな。また死ぬ間際に「サイババさんがもうすぐまた帰って来られるな」って言ってたな。亡くなる半時間前の事やけどな。それに俺たち夫婦が居間で話していて結論が出なかった問題を、居間から結構離れているお袋の寝室に行くと、その問題はこうすれば良い、なんて人が尋ねていないのにアドバイスをしてくれたので驚いたことも一度や二度では無かったな。また、自分の部屋にいてるのに他の家族のメンバーが何をしているか知っていたな。
ポニョ:肉体から離れてウロウロされていたんやろな。
ヨシオ:一番驚いたのがもう、自分の事が何も出来なくて車椅子生活している時に、他の人の心の動きを読んでいたことやな。あの人は今、心で口で言っている事と違う事を思っているから気をつけなさいとか、今、あの人は自分の良心に向かい合うことが苦しくて席を立ったんやで。とか言っていたな。
ポニョ:認知症になって十年以上にもなるのに、それはびっくりやな。
ヨシオ:もう自分の事なんて少しも出来ないし、俺のことも覚えていないんや。なのにだんだん顔が神々しくなって行って、一言一言の言葉が、ババがお袋を通じて話しているって分かるんや。特に、顕著やったのが以前にも記事にしたけれど、俺がうっかりしてお袋をお風呂でのぼせさせた時に、お袋が赤い顔をしながら俺に、「この身体をお前の不注意であろうとこのように扱ったら、熱かった。」と言ったんや。
ポニョ:それは嘘や。前に言ったのは、「不注意とは言え、こんなふうにしてこの身体を扱ったら、寿命が来る前に肉体が死んでしまうやろ」と言って、ピンタされたって言ってたやないか。何が、「こんなふうに扱ったら、熱かったや。」下手やけど、上手いダジャレやったぜよ。
ヨシオ:一体どっちやねん。
神はマーヤのために人を形作りました。
二つのマーヤの門があります。
一つは性的欲望で、もう一つは舌の欲望です。
これらの二つの欲望をすべての人は克服しなければなりません。
さもないと、それらを持っている限り苦しみがその後から続いてやって来るからです。
すべての世俗的な欲望は、この二つから派生しているのです。
それ故この二つの欲望を克服した者だけが、この物質世界を成功裏に渡りきることが出来るのです。
これらの欲望は、罪を作る元凶でもあります。
そして罪はマーヤの根をもっと張っていくことになるのです。Prema vahinip, 96