すぎなの風(ノルウェー編)       ∼北欧の北極圏・トロムソから∼

北欧の中のノルウェー、
北極圏でも、
穏やかで住みやすいトロムソから
お届けいたします。

言葉が出た!

2011-06-09 | 素老日誌

素老日誌 6月9 日(木)より

 今、母は鼻からチューブで栄養を入れている。

点滴も抜いてしまう認知症の患者には、
本来は難しい方法だ。

しかし、両手が動かなくなったのが幸いして、
認知症の母でも何の問題もない。

ただ、この方法は医療行為であり、
施設では受け入れてもらえない。

すると、暮らす場所が「家だけ」ということになる。

今後のことを考えると、
「胃ろう(胃に穴をあけて栄養を入れる方法)は、やむをえないと思っていた。

しかし、

ここのところ少しずつではあるが、
母がよくなってきているし、
やっと体力がつきつつあるようにみえる。

今手術をするのは、どうだろう?

そんな私の意見を担当医にも伝えた。

すると・・・

「そばで見てみえる家族さんが一番よくわかると思います。
そうですね。もう少し様子を見ましょう」

と言ってくださった。

お医者さんはちゃんとわかってくださるんだ。
言ってみるものだなあ。

慌てずにやっていける。

私がほっとしたのも母には伝わっていることだろう。

昨日は、
整体の先生が治療に来てくださったし、
今日はどうかな?
と楽しみに行く。

 

「おはようー!」   (まっ昼間なんだけど・・・・(^_^;))

と私が言うと・・・

「お・は・よー」。

なんと、母が答えたではないか!

「おかあさん、すごい!うれしいわあ!」
「う・れ・しー」と母。

入ってきた看護婦さんに大喜びで言うと、

「看護婦にも『ありがとう』って
言ってくれたと言って
感激しとったよ」

えー、そうなんだ!

母が「認知症」を受け入れ始めた頃、
母は言ったものだ。

母:人にお世話になってもお礼を言ってないのと違うかと思って、心配なんやわ。
娘:ありがとうって思ったときに言うとったら、後は忘れても大丈夫よ。

それ以来、母は「ありがとう」を惜しみなく言うようになっていた。

「ありがとう」。

思っていても言えないのは、さぞかし辛かったことだろう。
そして、やっと言えた喜びは・・・。

当たり前と思っていることのありがたさを
母は、まだまだ教えてくれる。

 

 

 

 

 

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