磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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集団自決-棄てられた満州開拓民-

2009年10月01日 | 読書日記など
『集団自決-棄てられた満州開拓民-』
   坂本竜彦・著/岩波書店2000年

表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「敗戦後の満州で一般人の死亡二○万人、開拓関係者九万人。
うち一万人は指導者が根こそぎ召集されたため「集団自決」に追い込まれた婦女子・年寄りたちだった。家族失った人、自決を介錯した人それぞれの戦後の歩みをたどり、他国を侵略しながら、かつ自国民を「棄てた」この国の軍隊、政治とは何だったのかを問う。」



その状況……。下「」引用。

「同開拓団の指導員だった永井には同年五月一五日召集令状が来て、孫呉の対ソ一線部隊に動員され不在だった。
 一九四九(昭和二四)年一○月、足かけ五年のシベリア抑留を経てようやく故郷の岐阜県土岐郡鶴里村柿野に復員した永井は、やがて母と妻の介錯に当たった団体Wと会い、その状況をこう記録している。
 永井としのは一発で死亡。
 永井つや子は一発で死なず。
 介錯人Y動転して佇立、W代ってさらに一発で頭を撃つ。
「早く殺して!」
「皆も早く来て!」の一言を残す。
 渡辺さだ一発で死亡。
 子供を先にしては私が死ねないから私を先にしてくれと言って先立つ。宣和一発で死なず。
 介錯人もうろたえ、もうやれないとへたる。隣室にいた警備員を呼ぶ。そこにあった日本刀をとり、幼児の首を突く。」

戦前の特高と永井。下「」引用。

「作品は花世の主宰する『詩と人生』に発表されて張り合いがあった。その中に、逓信労働者の二四時間勤務に抗議して、法できちんと労働基準を定めるべきだとする永井のエッセイがあった。労働争議が、戦前最高の八六四件(昭和六年)の同盟罷業を招いた時代である。
 永井に目をつけた特高警察(公安警察)は赤坂局に踏み込んできて取り調べた。-略-」

関特演」 下「」引用。

「永井たちが一面坡訓練所に落着いて間もない昭和一六(一九四一)年七月、「関特演」が満州を舞台に実施された。ソ連をにらんだ関東軍特別大演習である。-略-」

--ソ連軍の捕虜に「稲葉正三日誌」。

推定・約一万一千人の集団自決……。下「」引用。

「集団自決約一万一千人という推定数字は、「死んで問題を一挙に解決する」死なんかな精神と、戦闘の足手まといになる婦女子がまず死ぬ、という考え方を証明している。戦闘要員をまず大切にする戦争国家ならではの考え方であり、濃飛義勇隊開拓団のように、「婦女子は還らず」というさまざまな哀史が生まれた。
 そうした考え方に身ひとつで反逆したのが、窓ガラスを突き破った末吉の脱出であった。
 その生を完(まつと)う出来なかったうらみはあるが、日本戦争国家の掟である「潔く死ね」「死んで忠誠を尽くせ」という鉄則を破ったのだ。」







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