磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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千の波 万の波-----元第五福竜丸漁労長 見崎吉男のことば-----

2007年11月24日 | 読書日記など
『千の波 万の波
  -元第五福竜丸漁労長 見崎吉男のことば-』
    水野紀子(絵)/新妻博子、中村謙介(編・発行)2006年

どうも、妙な言説だなあーと思うところが多々ありました。余計にわからなくなった感じがします。自費出版でもあるから、あまりひどいことは書く気にはなりませんが……。



こんな記述がされています。下「」引用。

「焼津市は資料「第五福竜丸事件」(1976年発行)で、事実と異なる場面を文章にして公開しています。」

どこがどう違うのか? 理解できなかった……。

--酒好きということが書かれてあります。下「」引用。

「16日付朝刊でスクープといわれる新聞記事となって世間様をびっくりさせました。また、その内容鵜にびっくり仰天、紙面にぶざまな漁士の姿が躍っていました。
関係した三機関からも乗組員からも、話を漏らした事実はありせんでした。
ラップもこんなことを書いています。
「1954年1月22日午前10時、一番最後に危なっかしい足取りで、かなり酒に酔って漁労長が船に上がってきた…」
本来、私は酒が好きですが、第五福竜丸に乗船してからは一滴の酒も飲まない。
酒を断って第五福竜丸の漁士人生に賭けたにのです。」

焼津市に福竜丸保存について。長谷川正孝(焼津市長) 下「」引用。

「市長として、市の行政以外のことは関係しない。焼津市に保存することには反対である。当時の不安と損害を消し去ることはできない。町の利益にならない。」

どういう利益なのか……。
食品についての安全性に対する認識は昔から、低いようですね……。

福竜会というのがあるようです。下「」引用。

「第五福竜丸元乗組員とその家族、関係者の連絡会、事件後入院していた東大付属病院の主治医の勧めで退院後の連絡・親睦会として発足しました。」

久保山愛吉さんの妻・すずさんは、反核平和の象徴とされたそうです。
--1993年9月12日、72歳で死去。」

2003年9月26日夜、焼津市焼津鰹節会館会議室で見崎さんの講演。下「」引用。

「第五福竜丸は大変な事件と共に上陸しました。事件の関係者の多くは亡くなってしまいました。後から聞いたり憶測(おくそく)で言う人もいますが、私は事件の時の航海でたった一人の証人といえます。」
「事件後、米国のラップさんが書き、全国紙の記者が訳したものには「船員は船に最後に足をふらつかせ乗ってきた」など全く事実でないことも書かれています。」

たった一人の証人?
--ほかの乗組員の方はご自身で本も書かれているというのに……。

第五福竜丸のエンジンは和歌山県海南市の杉末廣さんが私財を投じて熊野灘の海底から引き上げたという。










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