磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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いとし子と耐えてゆかむ-戦争未亡人の叫び-

2009年04月26日 | 読書日記など
『いとし子と耐えてゆかむ-戦争未亡人の叫び-』
   植村環、他・編/主婦之友社1952年

一部に被爆体験が書かれてありました。

口絵の説明文……。下「」引用。

「昼も母がいるのは日曜だけだけれども、母子寮の子供たちはみんな元気に遊んでいる。」

「生きてる犠牲者の書」獅子文六・著。下「」引用。

「これほど心を打つ文献は珍しい。
 文飾も、誇張もなく、目を掩はしめる事実だが、訴えらている。耳が痛みを感じる切ない心が叫ばれている。-略-」

パール・バックからの手紙……。下「」引用。

「“戦争未亡人問題について  パール・バック女史の手紙
 お手紙ありがとうございました。
 日本の未亡人が、政府から何の援助も受けていないと伺って、全驚きました。これは実に不都合なことだと存じます。戦争未亡人たちは、これから先も生きて行かねばならないのですから、戦死された御本人よりも、ずっと被害が大きいわけです。-略-」

経済問題が大きい。
新しい職業をみつけるのが困難。
そして、子供たちが……。下「」引用。

「一方子供達はなわを作ったり、新聞配達をしたり、女の子は炊事からお洗濯まで、親を思う子の一心で家を助けてくれるのでした。-略-」

母だけの問題ではなく、社会問題なのだが……。下「」引用。

「「娘がパンパンに落ちた」と恥しくて貴方以外誰に言えましょう。大事な子供をこんなにしてしまったのも、皆んな皆んな母親の責任でございます。」

今もそう変わらないだろうと思う……。

難民として彷徨った人……。
「満州、香港、台湾を流転」

「「広島の原爆で夫を失う」 下「」引用。

「戦争がはじけくしなるにつれ、軍人の妻として覚悟は一層深めましたものの、凡そ考え及ばぬ原爆とは…想像も及ばぬあの威力。今考えても当時の恐怖と戦慄と、また涙は止めどもありません。あの原爆で、主人は中心地の軍司令部で遺骸さえも分らず、また広島県立中学に在学の次男も学徒動員でかり出され、中心地近くに爆焼死を遂げました。長男も同じ中学ではありましたが、勤労隊が爆心地を少しはなれていましたので、顔面その他の火傷(やけど)して、夕刻見るかげもない姿で、案じる私の元に逃げて帰って参りました。-略-」

長女は助かる……。下「」引用。

「女子校四年の長女を頭に八人、長女は幸いその日勤労隊から交替で家におりましたので、負傷はしましたが一命を助かりました。-略-」

配られたパン……。下「」引用。

「困窮者にはじめて配給になった乾パンに虫がわいていたり、それでもすてるにしのびず、お湯にうかせ、虫を取ってお汁の中に入れてすすった頃もありました。」

政府へ……。下「」引用。

「「新生未亡人クラブ」を作り、厚生省の、当時矢野厚生政務次官をおたずねし、未亡人の窮状を訴え、何か適切な仕事を御相談申し上げたところ、民生課長、厚生課長、児童課長、保護課長さんと、仕事の関係上の方々を紹介下されました。」

「未亡人はどう援護されているか」 下「」引用。

「昭和二十四年の第五国会で、『母子福祉対応要項』というものが決議されむ、子供を抱えた未亡人の窮乏をミルにしのびずというので、在来からあった各種の法令、たとえば生活保護とか、児童福祉法、生業資金の貸付法などを運用して、未亡人世帯の援護に手抜かりのないようにせよとの通達がなされた程度でした。ただこのうち立法化されたのは、所得税と住民税の寡婦控除だけでした。」





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