『東京・関東大震災前後』
原田勝正、塩崎文雄・編/日本経済評論社1997年
今も昔も無秩序計画?……。下「」引用。
「市街地の拡大または市街地化の進行は関東大震災を契機として開始されたものではなく、すでに一九世紀末から開始され、第一次大戦中に急速に進行しはじめており、この間の市街地化はかなり無秩序計画であり、一九一九年に都市計画がまとめられたが、この無秩序計画は修正されることなく、震災後も放置状態におかれた。関東大震災はこの都市計画を白紙にもどし、最初から立て直す契機となるはずであったにもかかわらず、十分な成果を挙げることがなかったのである。」
人口流失。下「」引用。
「関東大震災によって一時的に東京からの人口流出が進み、東京市について見ると、一九二三年一一月一五日(震災から二カ月半後)の調査によると、一五二万七四八○人で、一九二○年の国勢調査人口二一七万三二○一人にたいして、六四万五七二一人減(二九・七%減)となった。この翌年から東京市内では、しだいに人口の増加が見られたが、一九三○年の国勢調査でも二○七万九一三人と、一九二○年の人口に回復してはいなかった」
豊多摩郡など、今と地名が異なる……。
田無、そして鉄道。下「」引用。
「この点は青梅街道に敷設された西武鉄道が玉川と共通の特性を持っている。この鉄道は、最初新宿・荻窪・田無間という青梅街道を放射線状に走る路線として計画され、セルポレー式蒸気動車を導入する計画が立てられたこともあり(堀之内自動鉄道)、それが蒸気に変更され、さらに電気に変更されるという複雑な経過をたどってきた。」
萩原朔太郎の作品には、朝鮮人虐殺にふれた詩があるという。
もくじ
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原田勝正、塩崎文雄・編/日本経済評論社1997年
今も昔も無秩序計画?……。下「」引用。
「市街地の拡大または市街地化の進行は関東大震災を契機として開始されたものではなく、すでに一九世紀末から開始され、第一次大戦中に急速に進行しはじめており、この間の市街地化はかなり無秩序計画であり、一九一九年に都市計画がまとめられたが、この無秩序計画は修正されることなく、震災後も放置状態におかれた。関東大震災はこの都市計画を白紙にもどし、最初から立て直す契機となるはずであったにもかかわらず、十分な成果を挙げることがなかったのである。」
人口流失。下「」引用。
「関東大震災によって一時的に東京からの人口流出が進み、東京市について見ると、一九二三年一一月一五日(震災から二カ月半後)の調査によると、一五二万七四八○人で、一九二○年の国勢調査人口二一七万三二○一人にたいして、六四万五七二一人減(二九・七%減)となった。この翌年から東京市内では、しだいに人口の増加が見られたが、一九三○年の国勢調査でも二○七万九一三人と、一九二○年の人口に回復してはいなかった」
豊多摩郡など、今と地名が異なる……。
田無、そして鉄道。下「」引用。
「この点は青梅街道に敷設された西武鉄道が玉川と共通の特性を持っている。この鉄道は、最初新宿・荻窪・田無間という青梅街道を放射線状に走る路線として計画され、セルポレー式蒸気動車を導入する計画が立てられたこともあり(堀之内自動鉄道)、それが蒸気に変更され、さらに電気に変更されるという複雑な経過をたどってきた。」
萩原朔太郎の作品には、朝鮮人虐殺にふれた詩があるという。
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http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
子供の時から思い込みが強いほうで、損ばかりしている。
子供のころは、「日本は必ず勝つ」という軍国主義の神話を教えられ、それを固く信じていた。
この軍国主義は、原爆であえなく崩れ去った。
戦後は、「平和利用の原発は絶対に安全である」という原発主義の神話を教えられ、それを信じていた。
この原発主義の神話は、今回の東日本大震災であえなく崩れ去った。
何せ、我々は、丸暗記と受け売りの学校教育しか受けていないので、問題の解決能力はない。
だが、事態を台無しにする力を持っている。だから、世の中は難しい。
この無軌道が我が国を迷走させる原因となっていて、自分自身にとって危険なものになっている。
これから、東電も金をまけないだろうに……。
嘘ばかりの東電、社員の寮も売る。社員たちがウィクリークスに内部告発してくれるのが一番効果的でしょうね。
がんばれ! 東電社員! 君たちに日本の将来がかかっている。もちろん、天下りのペテン師などには興味はない。