『岩波新書(青版)723 第二次世界大戦前夜』
笹本駿二(ささもとしゅんじ)・著/岩波書店1969年
戦争を「野蛮」と表現する著者。
--勝利し力をもった者たちは、それを正当化する論理がつくられる。
しかし、それはウソである……。
平和といわれる時にもそれらの輩の論理を見つめようとはしない多くの人たち……。
--それだから、ひどい社会になってしまう……。
「教養ある野蛮人=啓蒙主義者」の考えをもっと見つめてほしいと思った……。
片方にはそういう人たちはいたかもしれない……。下「」引用。
「やはり、日本にとってヨーロッパは遠いということなのであろうか?
そう考えれば、“第二次世界大戦前夜”と題するこの本を書くことにも、いささか疑念が生じる。にもかかわらず、第二次世界大戦前夜のヨーロッパ政局がどう動いたのか、また戦争だけは何とかして避けたいと願いながら、結局は失敗に終った、一九三九年のヨーロッパ外交合戦は一体どういう径路を辿ったのか、これだは何とか知ってもらいたいというわしの願いは強い。」
しかし、ヒトラーというクラウゼヴィッツ人は、戦争を求めていた……。
1938年9月31日からミュンヘンから帰国のチェンバレン。下「」引用。
「ヒトラーとの間に署名を交わした“英独不戦誓約”--チェンバレンみずから“われらが時代の平和の証”と呼んだものだった。」
しかし、このことは批判された。下「」引用。
「また、ニコルソンは下院の討議の際、チェンバレン=ヒトラーの“不戦誓約”について、「ひとつの国がヨーロッパを支配するのは、全力をあげて阻止する、というのが二百五十年来イギリスの伝統滴外交政策であったが、この紙片は、イギリスが、この政策を放棄したような印象を世界にあたえた」と評している。ニコルソンの感想と批評とは、“ミュンヘン協定”の正体をみごとに突いているといっていい。」
だが、イギリスはアメリカ一国に握らせようとしていた戦後でもあるのではないか?
そして、三人のクラウゼヴィッツ人がそろう……。下「」引用。
「面白いのは、この大ドラマの主役を演じた三人の年齢である。三人ともとうの昔にこの世を去ってしまったが、三人がまだ生きていたとするならば、今年チェンバレンは百歳、スターリンは九十歳、ヒトラーは八十歳になる。大ドラマの演じられた一九三九年には、三人は七十歳、六十歳、五十歳と十歳ちがいで並んでいた。また、少年時代から、命を的に戦いつづけてきた、文字どおり“鋼鉄の革命家”。死ぬことなど屁とも思わなかった、ルンペン上がりの“偉大なる煽動政治家”。イギリス議会という温室に育った、名門生まれの紳士。という三人の経歴も、この大芝居の変転と無縁ではなかったにちがいない。」
それぞれに、差別を好み、闘争を愛し、殺戮を繰り返した……。
チャーチルという戦争屋は戦争の仕方を語る……。下「」引用。
「チャーチルは、ミュンヘン当時に比べて、英仏の立場がずっと不利になった点を指摘し、「ドイツ軍が、西部戦線にわずか六コ師団の訓練された兵力しか配置できないのに、フランス軍は六十-七十師団でルール地方に攻め込める態勢にあった-略-」
このチャーチルの言葉も、チャーチルを指示する人たちも、単に戦争に勝つのみという論理ではなかろうか? この当時攻め込めば、下手をすれば、イギリスがナチスになっていたかもしれない。歴史に「もし」は……とよく言われるが、チャーチルたちは、もしを当然彼らの思いようになっていると断定しているとボクには思える……。
そして、英国王室がナチスに関係があったことは有名でもある……。
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もくじ
笹本駿二(ささもとしゅんじ)・著/岩波書店1969年
戦争を「野蛮」と表現する著者。
--勝利し力をもった者たちは、それを正当化する論理がつくられる。
しかし、それはウソである……。
平和といわれる時にもそれらの輩の論理を見つめようとはしない多くの人たち……。
--それだから、ひどい社会になってしまう……。
「教養ある野蛮人=啓蒙主義者」の考えをもっと見つめてほしいと思った……。
片方にはそういう人たちはいたかもしれない……。下「」引用。
「やはり、日本にとってヨーロッパは遠いということなのであろうか?
そう考えれば、“第二次世界大戦前夜”と題するこの本を書くことにも、いささか疑念が生じる。にもかかわらず、第二次世界大戦前夜のヨーロッパ政局がどう動いたのか、また戦争だけは何とかして避けたいと願いながら、結局は失敗に終った、一九三九年のヨーロッパ外交合戦は一体どういう径路を辿ったのか、これだは何とか知ってもらいたいというわしの願いは強い。」
しかし、ヒトラーというクラウゼヴィッツ人は、戦争を求めていた……。
1938年9月31日からミュンヘンから帰国のチェンバレン。下「」引用。
「ヒトラーとの間に署名を交わした“英独不戦誓約”--チェンバレンみずから“われらが時代の平和の証”と呼んだものだった。」
しかし、このことは批判された。下「」引用。
「また、ニコルソンは下院の討議の際、チェンバレン=ヒトラーの“不戦誓約”について、「ひとつの国がヨーロッパを支配するのは、全力をあげて阻止する、というのが二百五十年来イギリスの伝統滴外交政策であったが、この紙片は、イギリスが、この政策を放棄したような印象を世界にあたえた」と評している。ニコルソンの感想と批評とは、“ミュンヘン協定”の正体をみごとに突いているといっていい。」
だが、イギリスはアメリカ一国に握らせようとしていた戦後でもあるのではないか?
そして、三人のクラウゼヴィッツ人がそろう……。下「」引用。
「面白いのは、この大ドラマの主役を演じた三人の年齢である。三人ともとうの昔にこの世を去ってしまったが、三人がまだ生きていたとするならば、今年チェンバレンは百歳、スターリンは九十歳、ヒトラーは八十歳になる。大ドラマの演じられた一九三九年には、三人は七十歳、六十歳、五十歳と十歳ちがいで並んでいた。また、少年時代から、命を的に戦いつづけてきた、文字どおり“鋼鉄の革命家”。死ぬことなど屁とも思わなかった、ルンペン上がりの“偉大なる煽動政治家”。イギリス議会という温室に育った、名門生まれの紳士。という三人の経歴も、この大芝居の変転と無縁ではなかったにちがいない。」
それぞれに、差別を好み、闘争を愛し、殺戮を繰り返した……。
チャーチルという戦争屋は戦争の仕方を語る……。下「」引用。
「チャーチルは、ミュンヘン当時に比べて、英仏の立場がずっと不利になった点を指摘し、「ドイツ軍が、西部戦線にわずか六コ師団の訓練された兵力しか配置できないのに、フランス軍は六十-七十師団でルール地方に攻め込める態勢にあった-略-」
このチャーチルの言葉も、チャーチルを指示する人たちも、単に戦争に勝つのみという論理ではなかろうか? この当時攻め込めば、下手をすれば、イギリスがナチスになっていたかもしれない。歴史に「もし」は……とよく言われるが、チャーチルたちは、もしを当然彼らの思いようになっていると断定しているとボクには思える……。
そして、英国王室がナチスに関係があったことは有名でもある……。
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もくじ