磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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戦争はペテンだ-バトラー将軍にみる沖縄と日米地位協定-

2010年06月29日 | 読書日記など
『戦争はペテンだ-バトラー将軍にみる沖縄と日米地位協定-』
   吉田健正・著/七つ森書館2005年

表紙の裏に書かれてあります。下「」引用。

「カバー挿絵のブルドッグは米国海兵隊のマスコット。第一次世界大戦の時に、ドイツ兵がどう猛な米海兵隊員を「デビル・ドッグ」と呼んだのがはじまりだと言われている。その後、地球儀と錨の絵をあしらったヘルメットをかぶせたブルドッグが、海兵隊募集のポスターに使われるようになった。さらに、当時は准将だったバトラーがブルドッグの「ジッグス二等兵」を海兵隊に入隊させ、そにのジッグス(後に軍曹に昇格)が世界中を旅し、映画に出演したことで、海兵隊マスコットとしてのブルドッグの地位は確立したようだ。」



キャンプ・バトラー。下「」引用。

「沖縄にキャンプ・バトラーというのがある。
 それは沖縄にあるすべての米国海兵隊と富士山麓にあるキャンプ富士の総称であると同時に、これらの基地を統轄する司令部の名称でもある。司令部は、在日米軍海兵隊の中心である第三海兵遠征軍の司令部と在日米軍沖縄方面軍(沖縄地域事務所)の司令部を兼ねる。」

--反対論者になったバトラーの『戦争はいかがわしい商売だ』という小冊子を翻訳。
編集者からの助言で、沖縄の現状と重ね合わせてみたのが本書……。

「もっとも古い悪質な商売」 下「」引用。

「戦争はラケット、すなわちいかがわしい商売だ。これまで、いつもそうだった。
 戦争は、おそらくもっとも古く、何にもましてもっとも金になり、はっきり言ってもっとも悪質な行為だ。唯一、国際的な広がりをもつ。そして、儲けをドルで、損失を命で勘定する唯一のものだ。
 いかがわしい商売とは、大半の人々にとってはそう見えないもの、と言ってよいだろう。その実体を知っているのは内部の少数グループ゛たけだ。それは、大勢の人が犠牲を払って、ごくわずかな人々の利益のために行われる。ものすごく少数の人だけが戦争から膨大な利益を得るのだ。」

デュポンの成果、「愛国的」で大儲け。下「」引用。

「たとえばわれらが友、爆薬メーカーのデュポン。つい最近、その代表の一人が、上院委員会で、デュポンの爆薬によって戦争に勝ったとか、民主主義のために世界を救ったとか、と証言したのを覚えているだろう。第一次大戦で、この企業はどういう成果を上げたのだろうか。デュポンは愛国的な企業である。一九一○年から一四年までの同社の平均収益は年間六○○万ドルであった。-略-」

「ツケを払うのは誰だ」 下「」引用。

「しかし、最大のツケを払うのは兵隊だ。
 ウソだと思ったら、海外の戦場の米国人墓地を訪ねてみたらよい。あるいは国内の在郷軍人病院へ行ってみたらよい。この原稿を書いている最中に、私は国中を回り、一八の在郷軍人病院を訪問した。これらの病院にずたずたになった人間がおよそ五万人も収容されている。-略-」

むしろ民主主義は後退した、第一次大戦後。

兵器よりも、有益な職務に科学者をつかせたほうがよい。

--当時のスティムソンはムッソリーニを称賛。バトラーは批判! 下「」引用。

「当時はスティムソンだけでなく、米国政府の上層部、マスメディア、経済界に、ムッソリーニを称賛する人間は多かった。「ファシズム」そのものが、一部では、秩序、規律、義務、勇気、栄光といった言葉で形容されていた時代である。」

軍法会議に……。下「」引用。

「政府がこうした対イタリア政策をとるなかでのバトラー発言について、スティムソンはただちにムッソリーニに謝罪した。だけでなく、バトラーに対する軍法会議の手続を進めるように海軍に指示した。現役軍人でありながら外国の首相を中傷した、というのがその理由であった。大統領もそれに同意した。少将が軍法会議にかけられるのは、米軍史上、きわめて異例なことだった。」

バトラーの戦争批判はじまる! 下「」引用。

「バトラーは、ムッソリーニ騒ぎのあと、ついに愛する海兵隊を退役した。退役後のバトラーは、さらに堂々と戦争批判を展開した。一九三一年八月には、「私は(海兵隊に)三三年間もいたが、その大半は大企業、ウォール街、銀行の高級用心棒であった」と米軍の対外侵攻を批判している。このとき、すでに「私は資本主義のためのラケティア(ゆすり屋)であった」と述べている。同年一二月はじめには、(提督どもは消えちまえ 私が五○歳で退役した理由」という文章を『リバティ』誌に書いた。」

デュポンのクーデター「ウォール街のファシスト・クーデター未遂事件」 下「」引用。

「デュポン帝国(一八○二年設立の火薬製造会社から兵器、染料、プラスチックなどへと手を広げた米国の複合企業。一九三三年には、ゼネラル・モータースも支配下に入れた)の幹部たちは、ローズベルトを大統領の座から引きずり下ろしてファシスト政権を打ち立てようと、軍事クーデターを計画した。-略-」

謀略は歴史の闇へ。下「」引用。

「一連の出来事は、結局、年老いたバトラーがマクグァイアの話を曲解したために起こった「作り話」ということにされた。そのうちヨーロッパ情勢の雲行きがあやしくなり、第二次大戦が始まると、この謀略は歴史の闇に消えていった。
 ローズベルト大統領の動きを察知していたものの、動くに動けなかった。これら二つの財閥の幹部を逮捕すれば、大恐慌が再来し、米国の経済的危機が悪化するかも知れないという恐れがあったのだろう。-略-」

米国内のファシズム称賛。下「」引用。

「なお、米国内のファシズム礼賛は、少なくとも一九三七年まで続いていた。たとえばムッソリーニが一九三五年にエチオピアに侵略したとき、米国はその行為を批判したものの、イタリアとの友好関係は維持した。-略-恐れるべきは共産主義であり、それに立ち向かうファシズムは米国にとって「敵の敵は味方」という存在であった。」

「日本本土攻撃のために始まった米軍基地の建設」
--日本の外務省は米軍の代弁者。

「いかがわしい商売」なくすには……。下「」引用。

「バトラーは、戦争という「いかがわしい商売」をなくすには、まず戦争の仕掛け人や戦争で儲かる連中を徴兵し、彼らに一般兵と同じ給与を払い、同じように塹壕で寝泊まりさせるべきだと書いた。
 興味深いことに、日本の大正デモクラシー時代の代表的な評論家・長谷川如是閑(にょぜかん)が雑誌『我等』(一九二九年一月号)の巻頭言で紹介した、デンマーク陸軍大将フリッツ・ホルムが起草して各国へ配布したという「戦争を絶滅させること受合ひの法律案」(「戦争絶滅受合法案」)も、ほぼ同じ考えに基づいたようだ。-略-」

自衛隊OBの雑誌。下「」引用。

「自衛隊OBの雑誌で、平和運動を左翼運動と呼んでいる記事をたくさん見たことがある。「平和を唱えるのは敵(あるいは非国民)」という主張であったが、日本もそのような風潮に覆われかねない。」







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