磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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岩波新書805 非武装国民抵抗の思想

2008年11月29日 | 読書日記など
『岩波新書805 非武装国民抵抗の思想』
   宮田光雄・著/岩波書店1971年

武器によって平和はこない……。しかし、非武装となると、抵抗を持つ人たちもいることだろう……。まだまだ、そんな思想をもつ人たちは少なく、“戦争こそ平和”だという無茶な論理な人たちが国を動かしているように思えます……。



冒頭にこんな文章が掲載されています。下「」引用。

「いま世界が必要とするものは、核実験ではなく、人類の理性と良心の実験でなければならぬ。われわれの良心と理性が麻痺するならば、核戦争によって人類が滅びる前に、すでに人間としての存立を喪失したのも同然である。
   --南原繁『日本の理想』--」

理性と良心の実験……。
そんなことはない時代ですね。
野蛮と残虐の実験……。
どちらもがテロと言いあう非文化的な世界。
--しかし、どちらの側も野蛮な世界をすすめている人たちは、同時に金を儲けている……。
そして庶民の生活は苦しくなっている……。

冷血で野蛮な精神は、そのような社会をつくりだす……。

平和憲法はウソだという外国の人。下「」引用。

「アジア人三二一名の声をあつめた意識調査がある。これによれば、すでに日本が「核を持っている」(香港、フィリピン)、「平和憲法はうそだ」(タイ、インドネシア)、「軍事侵略の危険がある」(マレーシア、インドネシア)などの考え方が、予想以上に根強いことを示している。」

もし、平和憲法を本当に推し進めるならば、このような方たちの意見を重要視しないといけないと思う。

平和的共存 下「」引用。

「「諸政府が行動を起こすのは、情勢や事件そのものによるのではなく、状態や事件についての彼らの解釈によるものであり、その解釈は彼らの野心や恐怖に照らし行なわれ、その野心や恐怖はしばしば他国の意図や能力について信じたことから生まれる」(「平和的共存」ドイッチェ、エバン、ライト共編『第三次世界大戦の防止』所収、鹿島訳、一九六五年)。」


軋轢のある社会が悪いとは書かれてなかった。むしろ、抑圧された社会の方が恐ろしいと……。

「「軋轢と闘争とは個人的にも社会的にもダイナミックスの構成的要素と考えられる以上、緊張のない平和状態をつくり出すことが教育と政治の課題ではありえない」(H・R・リッケルト「平和のための教育」J・シュレンマー編『平和か戦争か』所収、一九七○年)。つまり、攻撃性を人間の共同生活のなかに活性的力として取り入れ、不断に生ずる対立のなかで、それを結実させることが必要なのである。」

庶民の軋轢を認めてくれるのだろうか?

格差社会というものがあって、庶民は何もできない……。

選挙にしても、どちらを選んでも無駄な気がする……という人もいることだろう……。

抑圧されたままではないだろうか?

--そういう側面もやはりあるとボクは思う。

『原爆の子』や『長崎の鐘』は地元の小・中学生では、比較的読まれているという。

しかし、『原爆の子』は6%~7%。
『長崎の鐘』は12.3~20%。下「」引用。

「しかし、現にこれらの体験記や文学が子どもに与える影響には大きなものがある。とくに文学作品を通して子どもたちに被爆体験を伝え、また戦争をとらえさせる文学教育の意義を見逃してはならない。」

アメリカの良心的兵役拒否について書かれてありました。

日本では、そんなことはありませんね。








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