文藝春秋
アンネ・フランク・ハウスのことがよく理解できるビデオではないかと思われます……。
こんな時代に「アンネの日記」は生まれた
「アンネの日記」は、聖書の次に読まれた書物ともいわれていますね。
日色ともゑさんが、オランダの「アンネ・フランク・ハウス」に。
アンネの写真などが豊富に映し出されます。
ドイツ生まれのアンネ、ユダヤ系ドイツ人。
ドイツにヒトラーが登場し、ユダヤ人迫害。
幼いアンネも、ナチズムとは何かを知っていたという……。
逃れてオランダへ。
アンネが通っていた学校はいまでは「アンネ・フランク学校」と呼ばれているという。
ドイツ軍、オランダへ。
フランク一家は隠れ家に。
オランダの女王はロンドンへ亡命。
オランダ国内でもユダヤ人迫害がはじまる……。
オットー(アンネの父)は身を隠して暮せる隠れ家を準備した。
それはオットーの働いていた事務所の裏……。だいたんな発想。
本棚は隠し扉になっていた。
トイレは浴室としても使用されたという。
アンネの日記を読む日色さん。
オットーの会社の人たちが支援してくれた……。
支援者の名をかりて通信教育を受けていたという。
アンネの日記を読まれているとき、「神の摂理」という言葉がでてきました……。
index
アンネ・フランクの小説を書いたことがあるんで、だいたい手にできる本は全部よみました。
アンネ・フランクが隠れ家に住んでいる時、食料を運んだりしてくれたミープは、その特定された人は犯人ではないと話していたと思いますよ。今は、原爆で忙しいので、しばらくしてから確認します……。
アンネの父、オットーは戦後ドイツ国籍があるので、ドイツ人と差部されたんだよ。オットーは人の憎しみを嫌ったそうです。オットーは、第一次大戦では勲章をもらったヒーローだったから、アウシュビッツ送りはされないですむところ、家族とともに生きたいと願い、アウシュビッツに送られたそうです。
人の憎しみで戦争がはじめるとしたら、それを持ちたくないと思っているオットーは立派な平和主義者だったのかもしれない。
戦時中の日本では軍国少年以外の少年をさがすことは難しかったそうだよ。今、日本で軍国少年をさがすよりむずかしいそうです。
密告やスパイをする輩がいるということだ。