磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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朝永振一郎著作集3 物理学の周辺

2008年05月23日 | 読書日記など
『朝永振一郎著作集3 物理学の周辺』
   朝永振一郎・著/伏見康治・解説/みすず書房1983年

この著作集には講演や対談、新聞記事(著者の文)など、形式もいろいろです。対談で、武谷三男のことが書かれてありました。下「」引用。

「朝永 -略-本当のところはね、第一論文が出た後から湯川先生を励ましたのは武谷(三男)君だろう。僕なんかも武谷君にほめられると嬉しいですよ。悪口ばかりいっている奴がほめるとね(笑)。」

朝永さんは、すぐには湯川さんの理論はわからなかった可能性もあると思った……。

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「座談 理論物理学の課題-ハイゼンベルク博士を囲んで-」。下「」引用。

「--三十八年の日本の印象はいかがですか。
 ハイゼンベルク 戦後の日本の変り方は驚異的で、とくに同じ戦災を受けたドイツと比べてこの感じが深い。目につくのは建築物がモダンに国際的スタイルになったこと、もう一つは、科学の面でも組織的な研究体制が進んでいることです。三十八年前に私がアメリカや日本を回ったときは、物理学もまだ新しく、人の知らないことを教えることもできましたが、今日では一方的に話すことより、みなさんの質問や研究をきくというふうに、平等な立場での対話という形に変わって来ました。とくに日本の科学者はよく勉強して、急所をついた質問を出してきます。」

仁科が中堅だったころに、二十歳代のハイゼンベルクが、理研で講演しているという。
--天才ハイゼンベルクといわれるゆえんでもあろう……。

語学が苦手だったという。下「」引用。

「イギリス人やアメリカ人に接する機会は一度もなかった。先生のせいにしては申し訳ないんだけれども、そのために英語を話すのと書くのは今でも苦手ですね。書く方はまだ消したり直したり理屈でやれるんですが、話すのは直しがきかないから、ついものおじしちゃうんですよ。昔ドイツに留学した時にも「お前はこんなにきちんと間違いなく文章が書けるのに、どうしてしゃべれないんだ」といわれましたね。やっぱりこれは理づめでことばを教わったためだと思います。」

英語の教師が外国人でも、ボクはやはり苦手でしたが……。

博士の子供のころの逸話。下「」引用。

「田地 先生の子供時代についておもしろい話を聞いたんですが、遊んで穴へ落っこちた、ところが先生は、泣きわめいたとしても同じだという状況判断をして、人が探しにくるまで黙って待っていたというんです。ある人はこの話は先生らしい逸話であると喜んでいましたが……。
朝永 そんな話、僕が誰かにしたのかな(笑)。
福田 悠々としていたというんですよ。-略-」

ドイツ留学のころ……。下「」引用。

「当時ハイゼンベルクのところで最も優秀だったオイラー(Hans Euler)に、僕が湯川理論をどう思うってきいたことがある。そのとき、「あれも一つのゆき方だが、しかしあれが本当かどうかわからない」といったんです。それから一年たってオイラーと何か話したときに、「湯川理論はもう確かなものだと思う」というのです。その理由は中間子の寿命が実験と大体あう。もし湯川の理論が確実でないものならあんなに合うわけはないというのです。それからハイゼンベルクがイギリスに行きましたが、その前後から湯川理論が非常な進歩だと認められてきたのです。」

さらに、湯川理論について。下「」引用。

「朝永 -略-アメリカでの二中間子論のいきさつを聞いたんだが、なんでもオッペンハイマーやその他大勢でディスカッションしたんだそうです。その時、中間子ができる時と吸収される時と大変様子がちがうのはディテールド・バランスが成立しないと考えたらどうかといか、その他いろいろ二中間子論に反対の立場で議論がたくさん出て、そういう議論がすっかりデつくして、やっぱり二中間子論が一ばんよさそうだということになったんだそうです。つまりあらゆる可能性をすっかり当てってみて、それに何をやっても駄目だということにならなければ気がすまないんだ。」










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