磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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いじめの国際比較研究

2007年11月11日 | 読書日記など
『いじめの国際比較研究
   --日本・イギリス・オランダ・
       ノルウェーの調査分析』
         森田洋司・監修者/金子書房2001年

「いじめ」の問題をとりあげる前に、日本独自の問題があるとしたら教育界にも大きな問題があるようにボクには思えてしょうがない。



先日とりあげた本でこの本の表を引用させていただきました。

日本独自の問題であるとその本の筆者が書いていたのです。
日本独自の問題として「いじめ」というのは、ポジションが変わるというのです。
それだからこそ、教師には責任がないようにかかれてあるのです。

この国際比較では独自の問題ではないとしています。



上の説明。下「」引用。

「この3か国では、いじめの被害経験、加害経験の両方をもつ者は、いじめに関与した者全体の30%程度であり、被害者、加害者それぞれに固定化する度合いは比較的に小さい。」

その本で「ゼロ・トレランス」の反対の理由にしてありましたが、ボクも罰が教育の本流になること、情けないとしかいいようがありません。教育の本流は、「いじめ」をなくす。差別をなくすという教育こそが大切ですね。

--差別化などと、恥ずかしげもなく会社の社長たちが言い始めたとき、日本の経済も社会もさらにひどくなりました。差別はよくないことなので、差別化ではなく区別化というべきだという人もいましが、差別化はされましたね。
--そして格差社会へ。

ところが、日本の教育界は差別について手をつけない。むしろ、教師が差別の側にあるのです。もちろん、全ての教師ではありません……。
--戦後教育界についても、平和主義者の人たちは怒っている人たちもいます。
墨塗りをして、180度かわって、何の責任もとらない。

--教師は戦中にも特権階級であったと書く人もおられます。
そして、墨塗をして、それを禊(みそぎ)として、何の関係もなかったように振る舞い。
……平和の陣営などという妄想をはじめたと語る人さえいます。

ところが、積極的な平和。
--構造的暴力をなくしていこうという方はマスコミなので見られる教育界の人には少なかったように思えます。

この本の「はじめに」で「いじめ」は日本独自ではなかったと書かれています。
この本は2001年ですが、新しい本でもその内容はもっと古い場合があるようです。

オルヴェウスのことも研究されている著者。
--海外では他国であっても、成功させていますね。
しかし、その考えを取り入れている当地の学者は、独自の文化を考慮にもいれておられるようです。

日本独自の文化の病巣というのが、本も読まない学者や教師のような気がしてならない。



そして信用されてもいない校長、教頭。下「」引用。

「ところが日本では、「校長・教頭先生」はわずかに8.4%であり、被害者たちには、ほとんど期待されていない。」

そして、強引な一方的な力で信用させようとする政府……。
信用とはそんなもので得られないと思います。

「いじめ」の問題。
--幼い命を散らせているというのに、
それでも利権や保身のために動く人たち……。

--自殺した子や、「いじめ」という非生産的なことに加わっている子どもたちを、自分たちと同じ人間として考えておられるのでしょうか……。

これもおそらくいつものことと同じ構造だろうと思いますが、それについて書いておられる本はボクはまだ手にしていません……。

それに反して、この著者の本はノーマルだとボクは思います……。









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