『米中関係史-敵対と友好のイメージ-』
入江昭・著/サイマル出版会1978年
二分法ではない、米中関係史が書かれてある……。
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文化大革命とベトナム戦争……。下「」引用。
「一九六五年に『米中関係のイメージ』が刊行されて間もなく、文化大革命によって中国国内は混乱に陥り、一方、米国国内においても、ベトナム戦争に対する反戦運動が生じ、やがてそれが公民権運動や女性解放運動へと発展していく。このようにして、両国とも深刻な国内政治の危機に直面するのであるが、一方はこれと並行して、米中政府間の再接触が見られ、一九七二年のニクソン訪中、上海コミュニケの発表へとつながっていくわけである。-略-」
改訂版であるという……。下「」引用。
「すでに述べたように、本書は、一九七一年にサイマル出版会から『米中関係--その歴史的展開』という題で刊行されたものに、七八年一二月に米中国交樹立が声明されたのにともなって新たに書いたこの「まえがき」を加えた改題改装版で、『米中関係』は、六五年に国際問題研究所から出版した『米中関係のイメージ』の改定版であることを付記しておきたい。(一九七八年一二月、東京において)」
米中関係のイメージ 増補
植民地フィリピンを持っていたアメリカ……。下「」引用。
「フィリピンさえなければ、アメリカは中国から距離的に遠いため、中国になにが起こっても手出しはできなかったろうが、いまでも日を追ってアメリカの干渉が目立ってきている」とは、一九○○年六月、義和団事変の最中に、あるロシア外交官の書いたことがあるが、これは当時の情勢をよく表わしている。-略-」
反日論も中国贔屓からではないアメリカ。下「」引用。
「一九○七年からすでに日本を仮想敵国とした作戦を立て始めていたが、それだからといって別に、中国に対し友好的になったわけではなかった。また一方、満州や北支で日露戦争前から貿易や投資事業をやっていたアメリカ人は、戦中戦後の日本軍部の統制や、日本商人の進出に憤慨し、門戸開放原則の違反であるとして、アメリカの新聞雑誌を通じて、反日論を書きたてたが、これも、商売が根本であり、急に中国びいきになったわけでもなかった。-略-」
「姉妹共和国」 下「」引用。
「一九一一年に中国各地で動乱が勃発し、翌年帝政が廃止されるや、米中関係はいくぶん密接になった。まず第一に、多くのアメリカ人は、アジアにおける最初の「姉妹共和国」を歓迎した。「中国人はいまや世界でいちばん民主的な国民である」、「アジアにおいてもっとも西洋的な国は、もはや日本ではなく中国である」など、各新聞、雑誌はこぞって中国共和国の出現に熱意を示し、一九一二年二月、米国議会は早くも中国への理解と関心を表明する決議案を採択していた。」
--「中国の核実験とアメリカ」 下「」引用。
「アメリカの世論も、部分的には政府と同じように、中国の核実験は恐れるに足らないと見ていた。」
だが、そういう人ばかりでもなかった……。下「」引用。
「一方これとは正反対に、中国に核兵器を持たせるのは、狂人に武器を持たせておくようなもので、危険このうえない、という意見もあった。たとえば『ルック』誌の編集長ハリス(George Harris)は、「食に餓えた巨人が、近代兵器の知識と技術をつかみとった。いまや中国は世界にとって最大の脅威となった」と書いている。とくに長年にわたって中国人の排外意識が強かっただけに、これはたいへんなことになった、という気持ちを表わしていた。」
もくじ
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入江昭・著/サイマル出版会1978年
二分法ではない、米中関係史が書かれてある……。
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文化大革命とベトナム戦争……。下「」引用。
「一九六五年に『米中関係のイメージ』が刊行されて間もなく、文化大革命によって中国国内は混乱に陥り、一方、米国国内においても、ベトナム戦争に対する反戦運動が生じ、やがてそれが公民権運動や女性解放運動へと発展していく。このようにして、両国とも深刻な国内政治の危機に直面するのであるが、一方はこれと並行して、米中政府間の再接触が見られ、一九七二年のニクソン訪中、上海コミュニケの発表へとつながっていくわけである。-略-」
改訂版であるという……。下「」引用。
「すでに述べたように、本書は、一九七一年にサイマル出版会から『米中関係--その歴史的展開』という題で刊行されたものに、七八年一二月に米中国交樹立が声明されたのにともなって新たに書いたこの「まえがき」を加えた改題改装版で、『米中関係』は、六五年に国際問題研究所から出版した『米中関係のイメージ』の改定版であることを付記しておきたい。(一九七八年一二月、東京において)」
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植民地フィリピンを持っていたアメリカ……。下「」引用。
「フィリピンさえなければ、アメリカは中国から距離的に遠いため、中国になにが起こっても手出しはできなかったろうが、いまでも日を追ってアメリカの干渉が目立ってきている」とは、一九○○年六月、義和団事変の最中に、あるロシア外交官の書いたことがあるが、これは当時の情勢をよく表わしている。-略-」
反日論も中国贔屓からではないアメリカ。下「」引用。
「一九○七年からすでに日本を仮想敵国とした作戦を立て始めていたが、それだからといって別に、中国に対し友好的になったわけではなかった。また一方、満州や北支で日露戦争前から貿易や投資事業をやっていたアメリカ人は、戦中戦後の日本軍部の統制や、日本商人の進出に憤慨し、門戸開放原則の違反であるとして、アメリカの新聞雑誌を通じて、反日論を書きたてたが、これも、商売が根本であり、急に中国びいきになったわけでもなかった。-略-」
「姉妹共和国」 下「」引用。
「一九一一年に中国各地で動乱が勃発し、翌年帝政が廃止されるや、米中関係はいくぶん密接になった。まず第一に、多くのアメリカ人は、アジアにおける最初の「姉妹共和国」を歓迎した。「中国人はいまや世界でいちばん民主的な国民である」、「アジアにおいてもっとも西洋的な国は、もはや日本ではなく中国である」など、各新聞、雑誌はこぞって中国共和国の出現に熱意を示し、一九一二年二月、米国議会は早くも中国への理解と関心を表明する決議案を採択していた。」
--「中国の核実験とアメリカ」 下「」引用。
「アメリカの世論も、部分的には政府と同じように、中国の核実験は恐れるに足らないと見ていた。」
だが、そういう人ばかりでもなかった……。下「」引用。
「一方これとは正反対に、中国に核兵器を持たせるのは、狂人に武器を持たせておくようなもので、危険このうえない、という意見もあった。たとえば『ルック』誌の編集長ハリス(George Harris)は、「食に餓えた巨人が、近代兵器の知識と技術をつかみとった。いまや中国は世界にとって最大の脅威となった」と書いている。とくに長年にわたって中国人の排外意識が強かっただけに、これはたいへんなことになった、という気持ちを表わしていた。」
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