磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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復刻 原子爆弾 亡き夫に愛をこめて

2008年06月04日 | 読書日記など
『復刻 原子爆弾 亡き夫に愛をこめて』
   武井武夫、冨美子、共夫(著)/光陽出版社1995年

原爆投下から50年後、亡き夫が50年舞えに同盟通信社から出版『原子爆弾』を掲載。
--『原爆を読む』では、この冊子が第1号と書かれてあったという。
しかし、原爆文献1号というのは、新聞ではないでしょうか?



また、被爆直後を取材されたようには思えませんでした。
でも、一読の価値はあるかと思います……。
妻は政治家であり、息子はオウム事件での弁護士。
妻の文章もあり、息子の「あとがき」もありました。

当時の復刻であるというのに、企業のことが書かれてある。下「」引用。

「またカナダにもすでに研究所が一つ設立され、その物質の製造における先駆的工場もたてらつつある。この事業は米英両国からの援助ならびに両国との適切なる連絡のもとにカナダ政府によって遂行されつつある。
 計画の成功にとって重要な役割を果たした工業会社の若干をあげれば、デュ・ポン・ド・ネムール会社はワシントンのハンフォード施設を設計建設し、現在操業している。
 ニューヨークのM・W・ケロッグ会社の特別付属部門はクリントンの工場のなかの一つを設計し、その建設にはJ・A・ジョーンズ会社が、運営にはユニオン・カーバイド=カーボン会社が当たっている。
 クリントン第二工場はボストンのストーン・アンド・ウェブスター工業会社により設計建設され、テネシー・イーストマン会社によって運営されている。設備類はクライスラー、ゼネラル・エレクトリック・ウェスティングハウスなど、米国の重要会社のほとんどすべてから供給された。以上は計画に参与している文字どおり数千の大小諸会社の一部分にすぎないといわれる。」

デュポン社の名前がちがっていますね。

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--広島への原爆投下が伝えれたときには、武井は本社の編集室にいたという。
100坪以上もある大編集室がごった返したという。
広島へは連絡がつかない……。普通電話、警察電話、鉄道電話……全部ダメ!
--不思議に思いながらも、川越に帰ったという。

「してぃ・おぶ。かわごーえ」という文章に武井武夫は書いている。下「」引用。

「仕事はついこのあいだ本社からきた若い出版部員にたのまれた「原子爆弾」というパンフレットだった。表紙も共紙で、六十四頁ならちょうどいい。そのくらいの長さにしてくれということだった。」

掛井が書いたのなら、亡き夫が書いていないのでは? 下「」引用。

「この大隊長とはじめて知り合いになったのは、火薬庫跡の接収に出かけたときだった。ちょうど連盟叢書第一号の『原子爆弾』がとどいていたので、ジープに乗るとき一冊呈上して、これは原子爆弾について日本ではじめて公表された文書で、掛井(*武井では?)が大統領や米国政府の各種発表を基礎にして一週間ぐらいで書き上げたのだと説明すると、これがあの小さなリスニング・ポストで集めた資料で書かれたのかと、少しびっくりしたような口ぶりだった。」

「連盟」のローマ字を発音しづらいのか? 「レンマイ」と読む外国人が多いという。

妻の文章は武夫の介護。
--ボクが若いころ実習した先のことも書かれてありました。
もしかしたら、お見かけしたかもしれませんね……。

息子・武井共夫は書く。下「」引用。

「坂本弁護士一家事件を機にこの間オウム真理教被害対策弁護団の一員などとして活動してきて、少しは父に報告することもできたかと思いつつ、この『原子爆弾』再刊の日を迎えたしだいである。」







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