『ナショナリズム論の名著50』
大沢真幸・編/石沢武、他・執筆/平凡社2002年
帯に書かれてあります。下「」引用。
「「近代の病」ナショナリズムは、克復することができるのか?
グローバル化時代の難問に応える基本テキストを詳しく解析」

19世紀のほとんどの辞書にない「ナショナリズム」。下「」引用。
「「ナショナリズム」という語は、一九世紀のほとんどの辞書に載っておらず、この語が一般に定着するのは一九世紀末のことだと見なさざるをえない。」
民族自決権……。下「」引用。
「スターリンにのみならず、レーニンも、「文化的自治」に対抗して提示するのは、「民族の自決」である。彼自身のことばにしたがえば、自決権とは、「民族の運命をきめる権威をもつものは民族自身だけである」こと、そしてさらに「他の民族と連邦関係にはいる権利」「完全に分離する権利」であると表現さている。ここにいう分離とは、連邦、あるいは国家から分離し、独立するほかならない。」
レーニン。下「」引用。
「レーニンが「必要なのは民族の自決ではなくプロレタリアートの自決だ」と述べ、それをよりはっきりと「プロレタリアートの階級闘争の利益に、民族自決の要求を従属させなければならない」-略-」
郷土愛とはことなる愛国主義。下「」引用。
「もう一つは、単なる郷土愛とは区別される新しい愛国主義 patrism の発生である。それは個人の自由意志によって祖国の「公共善」へ貢献しようとする意識や主張であり、そこでは君主ではなく人民が政治の主体とされる。フランスの啓蒙思想家の系譜(ヴォルテール、重農主義、ルソーら)のなかで展開された愛国主義は、王権神授説に依拠する君主主権を「人民主権」へと転換さていく運動であった。この「人民思想」の観点がもっともラディカルに表現されているのがルソーの思想である。」
「ネオ・ナショナリズム」 下「」引用。
「おおくの国家論の勧めを説く「ネオ・ナショナリスト」たちが、異口同音に「心」や「魂」といった、ある意味で気恥ずかしくなるような言葉を国民的アイデンティティの中軸に据えようとしているとき、「きわめて優美で繊細な心の作用(たとえば「もののあわれ」)が、しばしばその反対の不気味で醜怪な政治行動と結びついて」(-略-)しまうと言う橋川の指摘は、アクチュアルな響きをもって甦ってくる。橋川のこのような批判は、丸山の耳朶に残っていただろうか。」
大企業と経済ナショナリズム。下「」引用。
「経済ナショナリズムとは、祖国に対する忠誠が国家勢力の経済的拡張に結びつくような、心情と制度の結合形態を意味する。一九世紀後半から、一九六○年代にかけて、アメリカにおける経済ナショナリズムは、次のような形態をとっていた。すなわち、国を代表する中核企業は、大量生産方式によって生産コストを削減しつつ、他方ではほかの中核企業と価格カルテルを結ぶことによって、商品を高く売る。これに対して労働者は、組合活動によって、企業経営を妨害しない見返りに高賃金と雇用の安定を確保してもらう。-略-」
経済ナショナリズムが崩壊したアメリカ。
アメリカの国益からのハンチントン? 下「」引用。
「「文明の衝突」論は文明論としては稚拙であるという見解が日本の論者のあいだでは大半を占めた。なぜならハンチントンの立論は杜撰で、あまりにも多く反証をあげることができるからであった。とりわけ、日本を孤立した「文明圏」としてあつかったことは、冷戦期には「西洋 the West」に属することを自明視していた日本人の知識人の反発を買った。また、ハンチントンは、日本と中国とをちがう「文明圏」に属させることで、両国の「文明の衝突」をアメリカの国益の立場から望んでいるのではないか、などという憶測さえ飛び交った。」
「ハンチントンの罠」 下「」引用。
「事実、ハンチントン教授のおかげで、日本は独特の文化をもつもっとも重要な孤立国で、日本文明の唯一の中核句にとして位置づけられた。「日本ナショナリスト」を自任する人びとには慶賀のいたりであるが、しかし、世界のなかでの日本を孤立させようというう「ハンチントンの罠」(山内昌之)に、われわれ自身がはまり込まない可能性はないとは言えない。」
目 次
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大沢真幸・編/石沢武、他・執筆/平凡社2002年
帯に書かれてあります。下「」引用。
「「近代の病」ナショナリズムは、克復することができるのか?
グローバル化時代の難問に応える基本テキストを詳しく解析」

19世紀のほとんどの辞書にない「ナショナリズム」。下「」引用。
「「ナショナリズム」という語は、一九世紀のほとんどの辞書に載っておらず、この語が一般に定着するのは一九世紀末のことだと見なさざるをえない。」
民族自決権……。下「」引用。
「スターリンにのみならず、レーニンも、「文化的自治」に対抗して提示するのは、「民族の自決」である。彼自身のことばにしたがえば、自決権とは、「民族の運命をきめる権威をもつものは民族自身だけである」こと、そしてさらに「他の民族と連邦関係にはいる権利」「完全に分離する権利」であると表現さている。ここにいう分離とは、連邦、あるいは国家から分離し、独立するほかならない。」
レーニン。下「」引用。
「レーニンが「必要なのは民族の自決ではなくプロレタリアートの自決だ」と述べ、それをよりはっきりと「プロレタリアートの階級闘争の利益に、民族自決の要求を従属させなければならない」-略-」
郷土愛とはことなる愛国主義。下「」引用。
「もう一つは、単なる郷土愛とは区別される新しい愛国主義 patrism の発生である。それは個人の自由意志によって祖国の「公共善」へ貢献しようとする意識や主張であり、そこでは君主ではなく人民が政治の主体とされる。フランスの啓蒙思想家の系譜(ヴォルテール、重農主義、ルソーら)のなかで展開された愛国主義は、王権神授説に依拠する君主主権を「人民主権」へと転換さていく運動であった。この「人民思想」の観点がもっともラディカルに表現されているのがルソーの思想である。」
「ネオ・ナショナリズム」 下「」引用。
「おおくの国家論の勧めを説く「ネオ・ナショナリスト」たちが、異口同音に「心」や「魂」といった、ある意味で気恥ずかしくなるような言葉を国民的アイデンティティの中軸に据えようとしているとき、「きわめて優美で繊細な心の作用(たとえば「もののあわれ」)が、しばしばその反対の不気味で醜怪な政治行動と結びついて」(-略-)しまうと言う橋川の指摘は、アクチュアルな響きをもって甦ってくる。橋川のこのような批判は、丸山の耳朶に残っていただろうか。」
大企業と経済ナショナリズム。下「」引用。
「経済ナショナリズムとは、祖国に対する忠誠が国家勢力の経済的拡張に結びつくような、心情と制度の結合形態を意味する。一九世紀後半から、一九六○年代にかけて、アメリカにおける経済ナショナリズムは、次のような形態をとっていた。すなわち、国を代表する中核企業は、大量生産方式によって生産コストを削減しつつ、他方ではほかの中核企業と価格カルテルを結ぶことによって、商品を高く売る。これに対して労働者は、組合活動によって、企業経営を妨害しない見返りに高賃金と雇用の安定を確保してもらう。-略-」
経済ナショナリズムが崩壊したアメリカ。
アメリカの国益からのハンチントン? 下「」引用。
「「文明の衝突」論は文明論としては稚拙であるという見解が日本の論者のあいだでは大半を占めた。なぜならハンチントンの立論は杜撰で、あまりにも多く反証をあげることができるからであった。とりわけ、日本を孤立した「文明圏」としてあつかったことは、冷戦期には「西洋 the West」に属することを自明視していた日本人の知識人の反発を買った。また、ハンチントンは、日本と中国とをちがう「文明圏」に属させることで、両国の「文明の衝突」をアメリカの国益の立場から望んでいるのではないか、などという憶測さえ飛び交った。」
「ハンチントンの罠」 下「」引用。
「事実、ハンチントン教授のおかげで、日本は独特の文化をもつもっとも重要な孤立国で、日本文明の唯一の中核句にとして位置づけられた。「日本ナショナリスト」を自任する人びとには慶賀のいたりであるが、しかし、世界のなかでの日本を孤立させようというう「ハンチントンの罠」(山内昌之)に、われわれ自身がはまり込まない可能性はないとは言えない。」
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