磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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平和・人権ヒロシマ・ナガサキ修学旅行

2007年12月14日 | 読書日記など
『平和・人権ヒロシマ・ナガサキ修学旅行
   -被爆を被差別のおもいに重ねながら-』
     平和・人権プロジェクト(編)/
        大阪府同和教育研究協議会1983年

差別を重んじるばかりに、逆差別にならないように願いたいものです。何が健全あるいは平等で公平かなども考えていただきたいと思います。



鈴木首相が語られたことにも、一利があるとボクは思う。下「」引用。

「当時の鈴木首相の「反核運動が、反米になっては困る」という発言に代表される権力側の反核運動を押さえこもうとする策動があるなかで、大きく展開されました。」

二元論や、「ゼロ・サム」ゲームにしてしまったら、そこに平和な思想があるわけがないとボクは思う。もちろん、鈴木首相を擁護するつもりはない。

アメリカにも平和主義者がいて、広島や長崎にも支援してくださいましたね。

教師の誓いは当たり前のことですが、素晴らしいです。下「」引用。

「「戦争犯罪!」その手を血で染めた教師の誓い」
-略-あの侵略戦争にかかわって犯してきた教職員の戦争犯罪を、苦痛なうめきとして贖罪し、再び繰り返されぬと誓ったものです。私たちはこのような苦汁をともなった体験をもとに30数年間「教え子を再び戦場に送るな」と叫び続けてきたのです。
 教え子を再び戦場に送ろうとする社会情勢がより強固に進行しているだけに、一層この誓いを新たにしていかねばなりません。」

今ではもう、イラクの地に送りましたね。

原爆でも破壊できなかったもの、それが差別……。下「」引用。

「「原爆もを差別した」ということの意味」
-略-1945年8月6日、広島は、原子爆弾によって被爆しました。生き残った人々は先を争って生き地獄から逃れようとしました。
 しかし県内で最大といわれる被差別には、硝煙のたちこめる中で、いち早く軍隊により縄張りがされました。
 被差別大衆がその地から離れることを禁じるためでした。治安上、不逞のやからがここに多いという、全くの予断と偏見からの暴挙でありました。
 つづいて8月9日に長崎が原子爆弾で被爆しました。
 被差別の人々は、長崎を追われなければなりませんでした。焼土は旧地主たちが縄を張って、再びそこに住むことを許さなかったのです。」

長崎や広島にいる人がすべて平和主義の人でもありませんね。

こういう人たちもいたのです。

「切支丹と民」というタイトルの文章もありました。
--そこで分裂支配の政策が書かれてありました。下「」引用。

「ここに分裂支配政策をとり、の存在を利用し、被差別者同士で争わせる「差別の存在意識」があったし「分裂させて支配する」徳川の分裂支配政策のワナがあったのである。」

つまり、よその者のの人たちが切支丹を差別したんです。

いい目にあいたいから……。
差別したのです……。

被差別であるかもしれないが、差別をもしたのです。

元総会屋がいい目にあわしてやるからというので、従った人たちもいましたね……。

必携 エセ行為にどう対応するか

総会屋と同じことをしたら、総会屋でしょうね……。









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