磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

原子野のうた声 被爆作曲家の手記

2007年03月07日 | 読書日記など
『原子野のうた声 被爆作曲家の手記』
   木野普見雄・著/山崎菊雄・編/
      長崎国際文化協会s37年

「あの子」などの歌詞を永井隆博士はかかれましたね。作曲はこの本の著者である木野普見雄のようです。



“しらゆりおとめ”も、このお二人の作品です。

永井隆博士は、この歌の作曲を手紙で依頼されたことがかかれてあります。

まさに、神にささげる燔祭と思っておられたようです。

燔祭といっても、潔いものとして“純心女学校の乙女たち”たちにこの歌を捧げられたようです。

この著者である作曲者は、その手紙に対しての感想。下「」引用。

「 読んでゆくうちに私は胸のうずべ感動を覚えだ。乙女たちが………苦しみもだえつつ、あえなく逝ったその悲惨な姿が目に浮んでくる。その痛ましいまでの感情を五線の上にどう表現したらよいのか。私の心音はただただ敬虔な祈りの声そのものであった。そして何のためらいもなく楽想の湧くままにペンを走らせた。悲しみとその悲しみを越え尭おおらかな讃美の旋律を……」


永井隆博士も、そして作曲者も基本は祈りですね。……

“あの子”という歌についても書かれてあります。下「」引用。

「“あの子らの碑”は昭和二十四年の十一月一日に完成した。その除幕式に初めてこの歌が発表されることになった。
 私も式に参列する光栄を得た。−略−学童たちにより“あの子”の歌が唱和された。静かに美しいメロデーが式場を流れる参列者のあちこちにすすり泣きの声がもれて、眼頭をおさえる婦人も数多く見受けられた。あどけない悲しみの音律のなかに胸をうつ何ものかが感じられたのだろうか、あるいは散華したあの子への尽きない追慕の情がまぶたを熱くさせたのであったろうか!
 あの子らも山の彼方のどこかで耳をすまして、この歌を聴いているような気がして、追憶の悲しみの中に私も静かに安ちいだ感情をじっと抱きしめて聴き入った。」

「平和おどり」というのは仏教徒のために書かれたようです。下「」引用。

「 “平和おどり”は原爆犠牲の供養踊の歌として作製したものである。毎年めぐって来る八月九日の行事として原爆犠牲者慰霊奉賛会の主催として原爆中心地に、昼は仏教の慰霊祭が執行され夜は供養踊りを催すならわしとなった。」


ボクの周辺では、供養踊りなどという風習がなかったです。

「盆踊り」の一種かと思っていました。なにか違和感がありましたが、供養踊りというものがあるんですね、知らなかったです。



あの子【動画】



Index

目 次





エンタメ@BlogRanking


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。