磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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原爆日記-----第I集-----

2007年07月26日 | 読書日記など
『原爆日記-第I集-』
    広島県医師会1970年

広島県医師会によってつくられた原爆についての冊子です。教養が高い人たちが書かれたといっていいかと思います。



何時空襲があっても、直に救護活動ができるように整備されていた病院。
しかし、混乱の極みであったという。
蜂谷院長が白鳥小学校で倒れているという情報。
救助の人たちが裏口から一歩でると、幽鬼のような院長。
おびただしい傷をおっておられたという。

小泉八雲のことが書かれてありました。下「」引用。

「古くから天変地異に頻々襲われる日本では、その災害の大きさに比べ復興は早い、又精神的立直りが速かである。熊本の大火を目撃したラフカーヂオ・ハーン(小泉八雲)がその驚く可きバイタリティについて文を綴っている。」

どんな文章なのかは掲載されていませんでした。

「ノーモア・広島についても書かれています。下「」引用。

「「ノーモアー・ヒロシマ」はアピールする力が弱い。「ノーモアー」は欧米流に云うと広島、長崎の人間が「もう原爆はいやです」とうったえるのであって、子供がぶたれ頭をかかえこんで「カンニンして」位にしかうけとられぬ場合があることをしってもらいたい。まして「あやまちは二度とくりかえしませぬから」では益々弱くなり、インドのパール判事が怒るのも無理がない。」

解説がついて理解するのでは、広まりにくいといえるかもしれませんね。

しかし、時代は移り、「ノーモア」も弱々しいものではないとも思います。

力強い! 被爆された方たちの運動をボクは知っているからかもしれませんが……。

当時、学生で京都にいたという方が京都の事情を書かれています。下「」引用。

「私自身被爆者ではない、学生として京都に居た。--思い出せば八月五日夜、京都の上賀茂の地、植物園のほとりに防空壕を掘って、警報の度に入っていた。満天の雲もなく、降る様な星空に、遠く尼崎、西宮の工場目掛けて落とすB29の一トン爆弾の音と光りが、十何里はなれた京都にも聞こえていた。」

一トン爆弾のことを、原爆の模擬弾。

そして、投下を原爆投下の訓練と書いている方もおられます。

それにしても、西宮でのことがわかるとは、大きな爆弾ですね。

また、東大教授実験中の死亡も書かれてありました。下「」引用。

「当時、東大の大段助教授が、実験の最中に爆死したと云う情報を秘密裏に聞かされ、日本はやがて恐るべき爆弾を作り、それで、アメリカをやっつけりることが出来るのだ、と云われていた。」


検索してみれば。
『東大助教授の大段政春理学博士が、交通事故でなくなったとき、原子爆弾の研究中、貴い犠牲になった……と伝えられた』と書かれてもあります。


原爆日記-第II集-






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