磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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原爆、忘れまじ-ヒロシマ・ナガサキ被爆体験手記集-

2008年07月14日 | 読書日記など
『原爆、忘れまじ-ヒロシマ・ナガサキ被爆体験手記集-』
   愛知県原水爆被災者の会婦人部・編/
     愛知県原水爆被災者の会1985年

小説家である亀沢深雪が参加されている会です。



写真原爆ドーム 亀沢深雪 題字 杉戸縫子


被爆された人も、それぞれの状況があるものです。下「」引用。

「考えて見ると、被爆を受けたのはその頃でした。昭和二十年国民小学校二年生、あの時分、夏休みもなかった。
 父は、召集令状が来て、戦争に行き、母と私は、父の兄である伯父の家に身を寄せて暮らしていました。」

そして、おにぎりを配ったという記録は読んでいたけれど……。下「」引用。

「いつだったかトラックに、おにぎりを積んでやって来た。私達にも割り当てがあり、やっともらった。白くて大きいおにぎり、半分にすると中までごはんでした。
 けども、そのおにぎりは、幾筋も糸が引き、現在の人だったら腐っているといって捨てる事でしょう。
 でも私達は、中までごはんのおにぎりがうれしくて、がつがつ食べた。よくおなかも、こわさなかったと思います。」

そして、学校に行くとつらい思いをされたようです。下「」引用。

「学校では、一番ひどかった首の火傷の後のケロイドを見て、皆に「ニワトリだ。ニワトリだ。」と言われ、勉強は遅れてわからない。」


ほかの人も、食糧事情が悪いことを、きちんと表現されています。下「」引用。

「なるべくガラスのないような所を飛ぶようにして歩く。少し幾と道端で男の子が、きゅうりを丸のままかじっている。半分でもよいから欲しいと思うのだが、代りに上げるものもないのであきらめる。」

もしかしたら、被爆ピアノでしょうか? 下「」引用。

「終戦後、学校の講堂にグランドピアノがありました。蓋も取れ、少々痛んでいましたが、叩くと音が出るのです。ハッと胸がときめきあんな嬉しい事はありませんでした。今まで「君が代」と、「海ゆかば」しか弾いてはいけないピアノに向って、思いつきり軽いタッチの曲を弾き続けました。
 学校に収容されていた人達がみんな寄って来て、じいっと聴いてくれました。アー、音楽をやっていてよかった……。敗戦への不安も、平和と自由の喜びに代わり、こんなすばらしい演奏会はないと最高の気分を味わった事を忘れられません。」









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