磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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明石ライブラリー53 生物多様性の危機-精神のモノカルチャー

2009年06月29日 | 読書日記など
『明石ライブラリー53
  生物多様性の危機-精神のモノカルチャー
     Monocultures of the mind』
       ヴァンダナ・シヴァ(著)/
         戸田清、鶴田由紀(訳)/明石書店2003年

いんちきな農業、林業があるようだ……。
--これも、生命軽視の人たちから生まれたようだ……。



「序文」 下「」引用。

「本書に収められた五つの論文は、これまでの一○年間の私の著述から、多様性の消滅と原因と、それを保全するための試みについて書いたものを選んで編集したものである。われわれが多様性の中で生きることに対する主要な脅威は、モノカルチャーを基準とした思考様式、すなわち、私が「精神のモノカルチャー」と呼んだものに由来する。精神のモノカルチャーは「多様性」を認識の世界から追放し、その結果として現実世界からも多様性を消滅させる。多様性の焼失はまた、代替的な選択肢の焼失でもある。そこから「TINA(there is no alternative. 他に方法=代替案はない)症候群」が生じるのだ。近代においては、いかにしばしば、自然、技術、地域社会、文明全体の根こそぎの破壊が、「他に方法はない」という口実で正当化されてきたことだろうか。代替案は存在するのだが、排除されているのである。代替案を含めて考えるためには、多様性といしう文脈が必要になる。思考様式、行為の脈略としての多様性に移行することは、多数の選択肢の出現を可能にしてくれる。」

ベトナムでの枯葉剤をつくった原爆製造企業のモンサント社を思い起こす……。下「」引用。

「農業と林業におけるバイオテクノロジーと「遺伝子革命」は、「緑の革命」とともに始まった多様性の侵食と中央集権化へ向かう傾向をいっそう激化させる恐れがある。」

これもまた闇教育による成果だったようだ……。下「」引用。

「モノカルチャー化した精神は、農業においても農作物をモノカルチャー化する。新しい種子の奇跡は、「多収品種(HYV : high-yielding varieties)という用語によって何度となく伝えられてきた。HYVカテゴリーは、「緑の改革」パラダイムの中心的カテゴリーである。その用語が与える印象とは異なり、「奇跡」の種子を基盤とした収穫システムが従来の収穫システムより高い収量を達成できることを示す、「収量」に関する中立的・客観的な測定結果は何もない。物理学のようなきわめて厳密な科学的専門分野においてさえ、実測に基づく中立的な用語が存在しないことは周知の事実である。すべての用語は、理論負荷的である。」

「第六節 モノカルチャーの持続不可能性」 下「」引用。

「モノカルチャーの決定的な特徴は、オルタナティブなものを排除するだけでなく、自らの存在基盤すら破壊するということである。モノカルチャーは、他のシステムを容認することもなく、自らを持続的に再生産することもできない。「科学的」林業が創造しようとする「正常な」森林の画一性は、持続不可能性への処方箋となる。
「科学的」林業によるローカルな森林知識の排除は、同時に森林の多様性の排除であり、画一的モノカルチャーによる乗っ取りでもあった。-略-」

「緑の革命」は、不自然なものである……。下「」引用。

「「緑の改革」は、土壌の養分が科学工場で製造され、農産物収穫量が市場向けの商品のみによって評価されるという認識を作りだした。したがって、豆類のような窒素固定能力のある作物は排除された。土壌に有機物を返還するという観点から高収量と言えるミレットは、「周縁的」作物として排除された。市場取り引きはされないが、土壌の養分維持のための内部的インプットとして用いられる生物的生産物は、緑の改革における費用便益方程式において完全に無視された。それらは売買されないためにインプットのリストには登場せず、アウトプットとしてもカウントされないからだ。」

「製薬会社が第三世界の薬用植物を強奪する」という文章もありました。

やはり、多品種の自然農法がまともにボクには思えますが……。





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