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教科書に書かれなかった戦争Part 47 アメリカの化学戦争犯罪-ベトナム戦争枯れ葉剤被害者の証言-

2009年03月16日 | 読書日記など
『教科書に書かれなかった戦争Part 47 アメリカの化学戦争犯罪-ベトナム戦争枯れ葉剤被害者の証言-』
   北村元・著/梨の木舎2005年

「1961年8月10日、アメリカ軍は枯れ葉作戦を開始。猛毒・ダイオキシンは、ベトナムの人と自然を破壊しつづけた。それから30年、被害家族の苦しみは絶えることはない。」



ニクソンは原爆使用を考えていた。下「」引用。

「ベトナム戦争とは、アメリカが原水爆を除く当時の最新鋭の武器や技術を惜しげもなくつぎ込んだ戦争であった。枯れ葉剤もその最新鋭の武器の一つであったことは言うまでもない。否、ニクソン大統領は、原爆の使用まで口にして、キッシンジャー国家安全保障問題担当補佐官に打診していたことが、二○○二年に解禁されたアメリカ政府の録音テープでわかった。
 ニクソン「私はどちらかというと核爆弾を使いたいんだがね」
 キッシンジャー「それは、やりすぎになると思いますが……」
 ニクソン「核爆弾だよ、君にはそれが気になるというかね……。君には、大きな視野で考えてもらたいんだ」
 その翌月、ニクソン大統領は一九六八年以来最大の戦争拡大を命じた。キッシンジャー補佐官が民間人の死傷者が出ていることはあまりに心配していることに対して、それをたしなめるようにこう言った。
 ニクソン「われわれの意見が唯一合わないところは爆撃に関してだ。君は、一般市民のことを心配しているのか、私はかまわないよ、気にしてないよ」
 キッシンジャー「私は、一般市民のことを心配していますよ。それは、あなたが虐殺者であるという狼煙が世界中からあがるのをみたくないからです」-略-」

枯れ葉剤はケネディ決定。下「」引用。

「歴代のアメリカ政権がためらってきたその化学兵器の使用を、当時のアメリカ政府は決定したのである。限定的とは言え、一九六一年11月30日に枯れ葉剤散布を許可したのはJ・F・ケネディ大統領だった。-略-」

製造会社モンサント……。下「」引用。

「枯れ葉剤を製造した2社の談話がある。
「アメリカ政府の要請で軍事用にエージェント・オレンジを製造したのは、当時7社ありました。製造は30年前に終了しています。ベトナム政府は、戦争を終結し、アメリカとの関係を正常化する協定でその要は解決済みです。われわれは負傷された方々の同情を禁じ得ません。しかし、信頼すべき科学的証拠は、エージェント・オレンジが深刻な長期の健康問題の原因ではないことを示しています」(モンサント社広報の談話引用 : ballaciap紙 : トム・フォースロップ記者 二○○四年11月19日)
「戦時の活動に関連するいかなる問題の解決もアメリカ政府とベトナム政府の役割と信じます』(ダウ・ケミカル社の声明)」

裁判……。下「」引用。

「医療従事者からみて、こんどの裁判はどこが一番大変なのですか?
「それは証拠です。アメリカか枯れ葉剤を散布した時、私たちは、証拠を取っておくことまで考えませんでした。証拠を探すのは大変なことです。これからのたたかいのキー・ポイントは証拠です。アメリカにも良心かあれば、証拠のたたかいは楽になります。-略-」

「勝利すれば世界の紛争に好影響を与えます」ダエン・カイ・フン(著)。下「」引用。

「-略-枯れ葉剤メーカーを被告に提訴しましたが、ベトナム側の考え方は、本当の被告はアメリカ政府とアメリカ軍です。しかし、アメリカの法律ではアメリカ政府や軍を訴えることはできません。民事では企業しか訴えることはできません。国際民主弁護士協会が、ベトナム弁護士協会に、応援するから訴状を出しなさいと連絡してきました。その時点で、ベトナム政府は、枯れ葉剤被害者協会の設立を許可しました。ベトナム側が訴訟に出たことはアイディアとしてはいいのですが、難事業です。-略-」

「患者無視の歴史を重ねる米越科学者会議」下「」引用。

「米越を中心とした国際科学者会議は、患者不在の結論を重ねてきた。一九八三年1月に開かれた「戦争における除草剤、枯れ葉剤の人間および自然に及ぼす長期的影響」を討議する国際科学者シンポジウム(ホーチミン市)には、ベトナム側55人、アメリカ側17人など日本も含めた計21カ国一二八人の科学者、医学者が参加した。
 シンポジウムの結論は、○枯れ葉剤が、ベトナムの生物、植物に対して大量に使用され、土壌の劣化を招いた、○人間を含む生物に影響を与えたと思われるが、この解明にはより長期的な研究が必要である、というものであった。
 このように、戦争終結から8年後の一九八三年のシンポジウムの結論ですら、患者の調査・救済に心を痛める科学者の姿勢も、また研究の早期進展を促す積極姿勢もなんら反映されない、患者不在の姿勢の濃いものであった。-略-」

ヒトラーのあこがれの国アメリカ……。下「」引用。

「ロナルド・レーガン大統領(当時)は、かつてこう言った。
「われわれは長年あそこで何をしていたのかと、皆が尋ねる。一体何事だったのか、と。私はあくまでこう答えよう。高潔な目的があったのだ、と」」

平和村(ハノイ)のことも書かれてありました……。










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