『核時代における科学と政治』
豊田利幸・著/れんが書房1972年
科学者にも平和的な人たちと、そうでない人たちもいる。アインシュタインは第一次世界大戦のころにはもう平和活動をしていたようだが、彼にしても間違いを犯す……。それが人間だろうとも思う……。しかし、間違いを犯したなら、それにすぐに対応したアインシュタインは素晴らしいとやはり思う。イデオロギーの手品師どもとは大きく違うところだろう……。
--1958年秋、ジュネーヴで「第二回原子力平和会議」開催。
アメリカの水爆の父、エドワード・テラー博士とカリフォルニア大学放射線研究所できれいな水爆を研究していたジョンソン博士と激しく論争した著者。
--「地下核爆発の平和利用の欺瞞性」を訴えたという。
「実験アカデミイ」、ガリレオ時代のことが書かれてあります。下「」引用。
「ガリレオは不幸な生涯を閉じたが、彼の熱心な弟子たちは、ガリレオの事業を、新しいアカデミイの設立という形で継承、発展させた。すなわち、一六五一年、ガリレオの弟子、ヴィンチェンソ・ヴィヴァニは、同じくガリレオの門弟、エヴァンジェリス・トリチェリとともに、フィレンツェに「実験アカデミイ」(Accademia del Cimento)をつくった。これは一六五七年に、公式にメディチ家の保護をうけるようになったが、教権政治の圧力は次第に強まり、一六六七年にはローマ法王庁の要求によってついに解散させられた。」
地球がまわっていることを否定した権威ある人々。
--これ以上の狂気が「原爆神話」であり、原発の「安全神話」であろう。
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ガリレオの時代よりも野蛮な人たちが権威を握っているといっていいかとボクは思う……。
--第一次世界大戦中の平和主義を訴えた人。
アルバート・アインシュタイン、文学者ロマン・ロランおよび哲学者バートランド・ラッセルムなど少数の人々。
--これらの人々はあるいはスイスに逃れ、あるいは投獄されたという。
1921年から翌年のこと。下「」引用。
「ロシアを襲った大飢饉を救援するための知識人の運動の先頭に、アインシュタインやロランが立ち上がったことを記しておきたい。」
1927年、「第一回反ファシズム大会」
アインシュタイン、バルビュス、ロランを名誉議長。
1932年、「アムステルダム反戦委員会」がつくられ、ロラン、バルビュスを議長として、反戦・反ファシズム国際大会がアムステルダムで開かれた。
--1945年、四つの大学の科学者たち。下「」引用。
「原子兵器の仕事にたずさわっていた科学者たちは、四つの研究機関--コロムビア大学、シカゴ大学、ロス・アラモス、およびオークリッジにおいて、組合を結成した。一九四五年十一月、こけれらのグループは原子科学物連盟に結集し、ついで次の月には、ロケット、レーダー、その他の戦時研究所の科学者の組織と合流して、アメリカ科学者連盟(Federation of American Scientists, FASと略称)を結成した」。
FASはアメリカ各地に支部をおき、メイ・ジョンソン法、忠誠宣言、核兵器実験禁止、アメリカ入国査証、さらに全面完全軍縮などの問題について、支部での討議、ニューズ・レターの発行などを通じ勇敢に闘ってきたが、そこには限界があった。この組織はさらに強められ、議論はいっそう深められなくてはならないと考える。」
しかし、その科学者たちが権力を握っていたわけではない。
--国家とテクノロジー。下「」引用。
「また原爆のヒロシマ・ナガサキ投下前に行われた、物理学者フランク、シラード、ラビノヴィッチらの切々たる反対の訴えもほとんど無視された事実は、あらためて、国家と結びついたテクノロジーの恐るべき力を感じさせる。」
パワー・オブ・バランスのウソ。下「」引用。
「核兵器を持っている国々は「恐怖(テラー)の均衡」をしきりに言うが、このような考え方がどのような径路を辿るかは、一九四五年広島への初の原爆投下に反対して出されたフランク報告に余すところなく予言されていた。すなわち、恐怖の均衡では、どちらの側も相手より先へ進んでいてはいけないことが必要であるが、とりうる手段が限定されていない以上、どらちの側も均衡に達してしまったと考えることは実際上ありえない。また恐怖を相手に与えるには、できるだけこちらの軍備と、いつでもやるぞという意志を、迫真性をもって示さねばならない。軍機保持を極度に尊ぶ軍の立場と本質的に矛盾することは明白である。」
米ソは似ている。下「」引用。
「ソ連は軍事的な考え方が、一見アメリカのそれと大きく異なっていると一般に受けとられているようであるが、現象面で見る限り、両者の核戦略は驚くほど似ている。ソ連の核兵器体系の開発およびその配備は、最近次第に米国のそれに近づきつつあり、ものによってはねたとえば軌道核兵器など宇宙開発に直結した兵器体系ではアメリカを凌駕したとはいえ、全般的には量、質とも遅れている。」
極端な左右のイデオロギーの人たちも似ているという人はボクだけではない……。
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豊田利幸・著/れんが書房1972年
科学者にも平和的な人たちと、そうでない人たちもいる。アインシュタインは第一次世界大戦のころにはもう平和活動をしていたようだが、彼にしても間違いを犯す……。それが人間だろうとも思う……。しかし、間違いを犯したなら、それにすぐに対応したアインシュタインは素晴らしいとやはり思う。イデオロギーの手品師どもとは大きく違うところだろう……。
--1958年秋、ジュネーヴで「第二回原子力平和会議」開催。
アメリカの水爆の父、エドワード・テラー博士とカリフォルニア大学放射線研究所できれいな水爆を研究していたジョンソン博士と激しく論争した著者。
--「地下核爆発の平和利用の欺瞞性」を訴えたという。
「実験アカデミイ」、ガリレオ時代のことが書かれてあります。下「」引用。
「ガリレオは不幸な生涯を閉じたが、彼の熱心な弟子たちは、ガリレオの事業を、新しいアカデミイの設立という形で継承、発展させた。すなわち、一六五一年、ガリレオの弟子、ヴィンチェンソ・ヴィヴァニは、同じくガリレオの門弟、エヴァンジェリス・トリチェリとともに、フィレンツェに「実験アカデミイ」(Accademia del Cimento)をつくった。これは一六五七年に、公式にメディチ家の保護をうけるようになったが、教権政治の圧力は次第に強まり、一六六七年にはローマ法王庁の要求によってついに解散させられた。」
地球がまわっていることを否定した権威ある人々。
--これ以上の狂気が「原爆神話」であり、原発の「安全神話」であろう。
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ガリレオの時代よりも野蛮な人たちが権威を握っているといっていいかとボクは思う……。
--第一次世界大戦中の平和主義を訴えた人。
アルバート・アインシュタイン、文学者ロマン・ロランおよび哲学者バートランド・ラッセルムなど少数の人々。
--これらの人々はあるいはスイスに逃れ、あるいは投獄されたという。
1921年から翌年のこと。下「」引用。
「ロシアを襲った大飢饉を救援するための知識人の運動の先頭に、アインシュタインやロランが立ち上がったことを記しておきたい。」
1927年、「第一回反ファシズム大会」
アインシュタイン、バルビュス、ロランを名誉議長。
1932年、「アムステルダム反戦委員会」がつくられ、ロラン、バルビュスを議長として、反戦・反ファシズム国際大会がアムステルダムで開かれた。
--1945年、四つの大学の科学者たち。下「」引用。
「原子兵器の仕事にたずさわっていた科学者たちは、四つの研究機関--コロムビア大学、シカゴ大学、ロス・アラモス、およびオークリッジにおいて、組合を結成した。一九四五年十一月、こけれらのグループは原子科学物連盟に結集し、ついで次の月には、ロケット、レーダー、その他の戦時研究所の科学者の組織と合流して、アメリカ科学者連盟(Federation of American Scientists, FASと略称)を結成した」。
FASはアメリカ各地に支部をおき、メイ・ジョンソン法、忠誠宣言、核兵器実験禁止、アメリカ入国査証、さらに全面完全軍縮などの問題について、支部での討議、ニューズ・レターの発行などを通じ勇敢に闘ってきたが、そこには限界があった。この組織はさらに強められ、議論はいっそう深められなくてはならないと考える。」
しかし、その科学者たちが権力を握っていたわけではない。
--国家とテクノロジー。下「」引用。
「また原爆のヒロシマ・ナガサキ投下前に行われた、物理学者フランク、シラード、ラビノヴィッチらの切々たる反対の訴えもほとんど無視された事実は、あらためて、国家と結びついたテクノロジーの恐るべき力を感じさせる。」
パワー・オブ・バランスのウソ。下「」引用。
「核兵器を持っている国々は「恐怖(テラー)の均衡」をしきりに言うが、このような考え方がどのような径路を辿るかは、一九四五年広島への初の原爆投下に反対して出されたフランク報告に余すところなく予言されていた。すなわち、恐怖の均衡では、どちらの側も相手より先へ進んでいてはいけないことが必要であるが、とりうる手段が限定されていない以上、どらちの側も均衡に達してしまったと考えることは実際上ありえない。また恐怖を相手に与えるには、できるだけこちらの軍備と、いつでもやるぞという意志を、迫真性をもって示さねばならない。軍機保持を極度に尊ぶ軍の立場と本質的に矛盾することは明白である。」
米ソは似ている。下「」引用。
「ソ連は軍事的な考え方が、一見アメリカのそれと大きく異なっていると一般に受けとられているようであるが、現象面で見る限り、両者の核戦略は驚くほど似ている。ソ連の核兵器体系の開発およびその配備は、最近次第に米国のそれに近づきつつあり、ものによってはねたとえば軌道核兵器など宇宙開発に直結した兵器体系ではアメリカを凌駕したとはいえ、全般的には量、質とも遅れている。」
極端な左右のイデオロギーの人たちも似ているという人はボクだけではない……。
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