磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

原爆搭載機「射程内ニ在リ」

2007年11月19日 | 読書日記など
『原爆搭載機「射程内ニ在リ」』
  NHK広島放送局原爆取材班
    久保安夫、中村政人、岩堀政則/立風書房1990年

この本は、NHKのローカル番組が基本になっているそうです。下「」引用。

「平成元年八月三日『広島が消えた日 昭和二十年八月六日』がローカル放送として制作されました。この本は、『広島が消えた日』を下敷きにしています。」



帯に書かれてあります。下「」引用。

「原爆投下は阻止できた!?
昭和20年(1945年)8月6日、原爆を搭載して広島へ向かう爆撃機“B29エノラ・ゲイ”を、呉海軍高角砲部隊は射程内に捉えていた。照準を定めた砲身は、B29を手中にしてゆっくり動く。しかし、なぜか“テ”の命令は下らなかった。数分後、広島上空に閃光が走った。砲台はなぜ沈黙していたのか……。」

当たらずとも、もし撃っていたならば、小倉のように進路を変えた可能性があるという……。

この証言をしている人。
--練習生・小田善三郎氏。
昭和20年初め、呉海軍高角砲部隊には普通科砲術練習生が千人近くおり、各砲台で実地の訓練を受けていた。
小田氏の記憶では、「昭和19年製」と書かれた二連装の高角砲が、所属の陣地に8基そなえつけらてれいたという。

高角砲とは、海軍用語であり、陸軍の高射砲と同じものを指す。
--弾もいっぱいあったという。

撃たなかった理由の推測。
1 偵察機だと思った。
2 部隊の役割は広島市を守ることではなかった。


また、エノラ・ゲイ号の搭乗員のことを追っています。
--平成元年12月、B29爆撃機「エノラ・ゲイ」の新米通信士・リチャード、ネルソン来広。
英国のドキュメンタリー番組スタッフたちと隠密行動をとり、広島の人は気がつかなったという。
だが、NHKは一行の動きを察知し、取材したという。
元「ボックスカー」(長崎原爆投下機)の機長であり広島原爆を記録するための「グレート・アーティスト」の機長でもあったチャールズ・スウィーニ氏「原爆投下は必要だった。今でも間違ったことをしたとは思っていない。なぜなら、連合軍兵士の命を救うことが、我々に課せられた使命だったからだ」

島病院の屋上でスウィーニたちは行くが、名乗らず。
著者が知らせると、島病院の島忍夫人は非常に驚かれたという。

エノラ号はスクラップになりそうな時もあったようだ。
スミソニアン博物館に展示することも問題になっていたようだ。

--復元させたのは「エノラ・ゲイ復元協会」という団体。
協会のメンバーは、原爆投下作戦のため編成された、「第五○九混成部隊」の生き残り。

被爆者平山郁夫画伯は、復元されたエノラ・ゲイを絵にして広島市に寄贈。
平山は平成元年のNHK「証言ビデオ」で当時の体験を語っているという。
平山画伯は、安倍総理の「美しい日本」にも協力。


ティベッツ機長は取材拒否。
エノラ・ゲイの元乗組員たちの事情に詳しい精神分析学者、グレン・ヴァン・ウォレビー博士。下「」引用。

「拒否のひとつの原因は、人種的なものだ。取材する人々がアメリカ人ならば、彼はインタビューに応じるはずだ。ティベッツは日本人に対して、ある種の“偏見”を持っていることは確実だ。以前彼と話した時、そんなことをいっていた覚えがある。彼の精神のなかには“反ジャップ、反日本”という思想が、戦後もずっと行き続けているんだ。」

副機関士であると同時に副射手のロバート・シュマード氏、1967年4月白血病で死去。

--ニューヨーク・パブリック・ライブラリー(NYPL)という図書館の蔵書は2千5百万冊。
「ヒロシマ」関係の図書はわずか三冊。図書館員「ヒロシマ」関係の本はアメリカでは人気がないという。

東京都杉並区高井戸の「浴風会」当時の養老院。
350人いた老人が、数年間で150人になったという。
建物の一部が軍隊のものになったそうです。
戦後、米軍のMPが強力な無線機があるとやってきたという。

傍受は東京都田無の陸軍傍受通信所の一部転用によって始ったという。


【追加 2008年6月11日】

この本を批判している本があります。

原爆機反転す

【追加 2008年6月21日】

B29を高射砲で撃墜したという本があります。

横から見た原爆投下作戦







INDEX

INDEX





エンタメ@BlogRanking





最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。