磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

聞き書き ヒロシマ・メモリー 千葉県我孫子に生きる被爆者

2008年03月30日 | 読書日記など
『聞き書き ヒロシマ・メモリー
  千葉県我孫子に生きる被爆者』
    自治労我孫子職員組合・編/崙書房1982年2刷

こんなことが「あとがき」に書かれてありました。下「」引用。

「本に、幾度とななく放射能に敏感なムラサキツユクサを使った。この本は、たとえていえば、ひとつのムラサキツユクサに過ぎないが、この草は群生する習性がある。
 被爆体験の聞き取りが各地ですすめられ、各地各様のヒロシマ・ナガサキ・メモリーが群生することを信じている。」



核や原発は地球に住む者たちに関係することですね。下「」引用。

「核の問題を、広島・長崎の三十数年前の出来事ばかりでなく、特定地域の原子力発電所のことだけでもなく、被爆者やその家族の皆さんが生活されているあらゆる地域、それぞれの地に関かわるものとしてとらえてみようと、私たちは考えました。これは、私たちが地域の中で、いかに生きるかという、最も重い今日的テーマでもあると思います。」

そして、やはり忘れない人たち。下「」引用。

「しかし、被爆して三十七年が過ぎた今でも、あの日の事を忘れることできません。体に受けた傷、肉親を失った悲しみ、廃墟の街に立った衝撃等を、私達は語り合い、励まし合って生きてきました。
 我孫子市原爆被爆者の会は発足して四年目を迎えます。被爆者の健康とくらしを守るために、また、再び被爆者をつくらないために平和運動に努力してまいりました。」

目が飛び出したことが書かれてありました。下「」引用。

「それから今度、綜合病院へ入院してね、精密検査やったんだよ。頭の中の左側の動脈と、静脈に異常がある、奇型だって言われたんだよね。
「私はね、広島にいた時に原爆で強打しているんだ。左の眼が飛び出したことがあるんだ。先生そういうことは関係ないか」
と聞いてみたんだけどねえ。
「三十年たった今、そういうことはそうだとも、そうでないとも言えない」
と言う返事だった。」

アルコール中毒の原因は原爆症だったという。下「」引用。

「原爆は怖いですよ。隣のご主人が原爆病で調子悪くて、仕事につけなくていらいらしていて、お酒を飲みすぎてアルコール中毒になっちゃったんです。恐ろしかったですよ。そのアルコール中毒って。うちなんか隣りだから、包丁持ってどなり込まれたりしてね。今でも錯乱して殺人なんて話しを聞くと、怖くなってその時を思い出します。
 直接はアルコール中毒なんだけれど、原因は原爆病で体が動かなくて、仕事が思うようにいかなかったからでしょう。その人は結局、原爆病院で亡くなりました。」

伝染病院になった学校もあったようです。下「」引用。

「学校はしばらく行けなかったです。たまたま私の学校は伝染病院になったから、再開が遅れたんじゃないですか。他の学校はもっと早く始まったと思います。」

それどころではないでしょうね……、たしかに。下「」引用。

「兵隊はよく「天皇陛下万歳」と言って死ぬなんていいますが、とんでもない話です。それどころではないんですよ。」









目 次






エンタメ@BlogRanking


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。