『これが核兵器競争だ!!-最新米ソ軍事力の比較と戦略-』
ハンソン・ボールドウィン(著)/
中野五郎(訳)/実業之日本社1958年
この本は古い本で、250円です。
--核兵器もかなり改悪したものです。
しかし、原発の安全などはほとんど進んでいませんね。
守ることは簡単ではなくも、大量虐殺はより容易になりました……。
この本の記事の説明……。元は新聞記事だった。下「」引用。
「この「「これが核兵器競争だ!(*ママ)」(日本語題名)と題する本は、筆者が「ニューヨーク・タイムズ」のために執筆した九篇の評論記事を編集し、手入れし、さらに書き足したものである。それは今年--一九五八年(昭和三十三年)二月二日から七日まで「ニューヨーク・タイムズ」紙上に発表された六篇の記事、三月十一日と十二日に掲載された二篇の記事と、三月十六日付の同紙日曜付録の評論の抜粋とである。-略-」
ソ連がアメリカの先を走っていたという……。下「」引用。
「ソ連の進歩の速度はわが米国のそれよりも早かったのである。ことにソ連が一九四九年(昭和二十四年)にその最初の原子爆弾を爆発させて以来、軍事力の世界的均衡には徐々に変化が起っている。これを戦略的な用語で言うならば、われわれの過去の核兵器の圧倒的優位はほとんど、不安な確信のない行き詰りである恐怖の均衡(バランス)へ移行してしまった。」
そして危機感をもったアメリカが憎悪させ、さらにそれに負けてはならないとソ連が憎悪させ、愚かな軍拡路線をひいてきました。核抑止論という脅しの論理も、そういうものだろう……。
「米国の兵器廠にある主要誘導弾、弾道弾(総称ミサイル)一覧表」などもありました。
危機も煽るものではなく、きちんと事実を把握して、政治力で解決してもらいたいものです。下「」引用。
「想えば、去る一九四八年(昭和二十三年)にジェームス・フォレスタル氏(一八九二年-一九四九年、第二次大戦末期に米海軍長官、戦後に初代国防長官となる、過労病弱のため辞職後、自殺す)は、筆者(ボールドウィン氏を指す)に宛てた手紙の中で次のように記していた。彼は米国の最初の国防長官としてわが祖国の安全保障のために多大の努力を尽した人物であった。
「--これは私が長年、強く抱いていた信念の一つでありますが、いわゆる『安全保障(セキュリティ)』トいう言葉は英語よりたたき出して、その代りに『危険(リスク)』という言葉に取り替えるべきであります。どんな国でも、大きな危険というものは、その国民が国家の安全保障についてなにか絶対的なものがあるように信じ込むことです。航空兵力であろうと、原子爆弾であろうと、財富であろうと、それはいずれもそれ自体が、決していかなる保証も与えるものではありません。」
マスコミが戦争をつくりだしてきた歴史も忘れてはならないことですね……。
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ハンソン・ボールドウィン(著)/
中野五郎(訳)/実業之日本社1958年
この本は古い本で、250円です。
--核兵器もかなり改悪したものです。
しかし、原発の安全などはほとんど進んでいませんね。
守ることは簡単ではなくも、大量虐殺はより容易になりました……。
この本の記事の説明……。元は新聞記事だった。下「」引用。
「この「「これが核兵器競争だ!(*ママ)」(日本語題名)と題する本は、筆者が「ニューヨーク・タイムズ」のために執筆した九篇の評論記事を編集し、手入れし、さらに書き足したものである。それは今年--一九五八年(昭和三十三年)二月二日から七日まで「ニューヨーク・タイムズ」紙上に発表された六篇の記事、三月十一日と十二日に掲載された二篇の記事と、三月十六日付の同紙日曜付録の評論の抜粋とである。-略-」
ソ連がアメリカの先を走っていたという……。下「」引用。
「ソ連の進歩の速度はわが米国のそれよりも早かったのである。ことにソ連が一九四九年(昭和二十四年)にその最初の原子爆弾を爆発させて以来、軍事力の世界的均衡には徐々に変化が起っている。これを戦略的な用語で言うならば、われわれの過去の核兵器の圧倒的優位はほとんど、不安な確信のない行き詰りである恐怖の均衡(バランス)へ移行してしまった。」
そして危機感をもったアメリカが憎悪させ、さらにそれに負けてはならないとソ連が憎悪させ、愚かな軍拡路線をひいてきました。核抑止論という脅しの論理も、そういうものだろう……。
「米国の兵器廠にある主要誘導弾、弾道弾(総称ミサイル)一覧表」などもありました。
危機も煽るものではなく、きちんと事実を把握して、政治力で解決してもらいたいものです。下「」引用。
「想えば、去る一九四八年(昭和二十三年)にジェームス・フォレスタル氏(一八九二年-一九四九年、第二次大戦末期に米海軍長官、戦後に初代国防長官となる、過労病弱のため辞職後、自殺す)は、筆者(ボールドウィン氏を指す)に宛てた手紙の中で次のように記していた。彼は米国の最初の国防長官としてわが祖国の安全保障のために多大の努力を尽した人物であった。
「--これは私が長年、強く抱いていた信念の一つでありますが、いわゆる『安全保障(セキュリティ)』トいう言葉は英語よりたたき出して、その代りに『危険(リスク)』という言葉に取り替えるべきであります。どんな国でも、大きな危険というものは、その国民が国家の安全保障についてなにか絶対的なものがあるように信じ込むことです。航空兵力であろうと、原子爆弾であろうと、財富であろうと、それはいずれもそれ自体が、決していかなる保証も与えるものではありません。」
マスコミが戦争をつくりだしてきた歴史も忘れてはならないことですね……。
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