磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

核時代に生きる-ヒロシマ・死の中の生-

2008年07月28日 | 読書日記など
『核時代に生きる-ヒロシマ・死の中の生-』
   栗原貞子・著/三一書房1982年

大田洋子のことが多く書かれてあるが、これでは大田洋子が誤解されているのではないか?
--作品を読んだだけでしかないボクだけど、そんな気もした……。



いろいろなことが雑多に書かれてあった。

バーバラ・レイノルズ夫人や松原さんのことも書かれてあった。

ゼノ神父は愛称であって、ゼノ修道士が正しいが……。
ゼノさんは神父よりも素晴らしかったという神父さんたち……。
地位で人を決めつけない人たちに、ゼノさんは囲まれておられたようだ……。下「」引用。

「ゼノ神父は、「神様に召されて結構です。きばってお祈りしなさい」と言い原爆を神の摂理として受容することを説いた。信徒たちは教会から人間疎外の教理を教えられ、非浦上の人たちから「クロシュウ」(キリシタン)「浦上もん」として差別された。
 信者のMさんは「原子前までは隣近所がみんな信者で、お互いの心にぬくかもんがあった。信者さんはみんな死んでしまって、いまは関係のない他所ものがきてわが者顔をしている」という。何かぬくかもんがあったという共同体は原爆によって破壊されてしまったのである。」

永井隆は、ゼノさんとも知り合いであり、福祉関連の仕事を医師として手伝う。

その永井隆に対しての、著者・栗原貞子の評。下「」引用。

「永井隆は原爆受容、わるく言えばアメリカに迎合、卑屈であった。」

平和な願いは、平和な心から、闘争心では平和は来ないという人たちが正しいようにボクには思える……。

ところで、原爆受容なんて、誰にも出来ないでしょう……。
--永井は信仰の教えをいったけれど、イデオロギーを説いたわけではない。
原爆受容なんてできるとしたら、それは神や仏の力があってこそ、成立するのではないだろうか?

index

まあ、カトリックでもないボクがいっても仕方がないが……。

「2 非運の作家大田洋子への傷み」というタイトルがある。
大田洋子が原民喜におくった言葉で評価してあげるべきだとボクは思う。
--作家は作品で評価されるべきであり、大田洋子はいい仕事ができ、幸福だったボクは思う。

--原爆文学が受入れられなかったのは、イデオロギー闘争に悪用する人たちがいたという見方はできないのだろうか?

感情は激しい人だけど、大田洋子がイデオロギー闘争したようにはボクには思えない。

index

--この著者・栗原貞子の言葉は大田洋子を言い当てていると思う。下「」引用。

「私は洋子が亡くなったとき、地元の『中国新聞』に追悼を書いた。
 ……大田さんは核時代は人間が完全に生きることのできない時代であり、ひたすら生きようとする魂まで失わせてしまう絶望の時代だと早くから断定していた。
 死こそが半人間的な生の完結であるとするならば、原爆にさいなまれ、人間疎外に苦しみ続けた大田さんの死に対して私は静かに合掌するのみである(一九六三・一二・一三)」

僕ら核時代の……。
--核時代しか知らない人間も半人間なのかもしれない……。







index

もくじ

Index





エンタメ@BlogRanking




最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。