磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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ピカドンの青春 母から子へのバラード

2008年01月03日 | 読書日記など
『ピカドンの青春 母から子へのバラード』
   小井出佳子・著/三修社1985年

どこがバラードなのか、母から子へというのも理解できませんでした……。普通の自分史という感じにボクには思えました。



卒業してから30年目の卒業式の予告案内。出席される著者。下「」引用。

「住所確定者の申込み率はじつに七二%という高率だったが、本番の出席は六一名になった。私たちの卒業式への郷愁の強さと、職業と主婦業の板挟みを改めて感じさせられた。私たちは、不本意ながら欠席した人の分まで感激を味わった。」

専門学校=最高教育機関だったと書かれてあります。下「」引用。

「当時、広島女子専門学校は国文科・家事裁縫科甲類・家事裁縫科乙類の三科と、別科に分かれていた。それぞれの科の生徒は、それぞれの専門教科に誇りをもって勉強していた。
 男女共学が認められていない時代であったから、女子の最高教育機関として私たちへの社会的期待は大きかった。期待にこたえるべく、私たちはよく遊びよく学んだ。」

繰り上げ卒業で卒業式はなく、卒業証書だけが送られてきたという。
--卒業証書がポツンと11月ごろ送られてきた。
卒業年月日は昭和20年9月30日。

将校はこの本でも、その他の本でもこんな表現ばかりです。下「」引用。

「ここでも将校たちは、役得を利用してうまい汁を吸っているらしかった。」

平和にたいすることで、よく批判されている中曽根元総理も当時は将校。
--愛国美談は口にし国民には強いるけれど、彼らが自らの行動で示したわけではないと思う……。

--捕虜の地図には京都と広島に○がついていたとう。
著者はそれをいいように解釈。下「」引用。

「京都と広島ねえ……。これまで京都には焼夷弾(しょういだん)は落ちてないでしょう。名所旧跡っていうか、いろんなものがあるじゃあない。アメリカさんも心得てるんだわ。だから落とさないための印なのよ、きっと」

当時、広島からの伝令の兵隊がいうことは半信半疑だったという。
著者は暁部隊にいたから、直接被爆することはなかったという。

--北日本文学賞入賞作品「軍医大尉」
入賞者小島喜久は友人であり、その小説も掲載されていました。









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