磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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私が原爆計画を指揮した マンハッタン計画の内幕

2008年01月17日 | 読書日記など
『私が原爆計画を指揮した
   マンハッタン計画の内幕』
    マンハッタン計画総指揮官
      レスリー・R・グローブス(著)/
        富永謙吾、実松譲(共訳)/恒文社1964年

都合の悪いことは一切かかない! それは国策・国益のため……。はたして、そんなことで現実をきちんと把握することができるわけがないとボクは思います。それは古今東西かわらぬものです。



「著者はしがき」で独裁者とペンタゴンというのが書かれてありました。下「」引用。

「ところでここにもう一人、好むと好まざるとにかかわらず、戦後の歴史の方向を変えてしまった原爆計画の総指揮官グローブスという人物はどうなるのか。
 じっさい、彼は陸軍少将でありながらそのじつアイゼンハワ元帥を上まわるほどの権限を持っていたといわれる。彼はつくろうとしている原爆以上に論議の的となった存在である。その強烈な個性は、ナポレオン以上だとほめる者もあったが、専断でまるで独裁者そこのけだ、という非難の集中攻撃を受けたこともある。」

ルーズベルト大統領もまた、ヒトラーやスターリンにのまさるとも劣らぬ独裁者だったと書かれてあります。


1944年12月、チャーチルが英国政府の閣僚に説明するために英国に来いとグローブスはいわれる。
スチムソン長官に相談するグローブス。
「飛行機で行ったからとて別に問題はないでしょう」
「君には交替者がないのだ」
「長官もマーシャル将軍も飛行機を利用されるのに、どうして私がそれを利用してはいけないのですか」
「私がまえにいったとおり、君の交替者はいないのだ、われわれの交替者はあるが」と繰返した。

レントゲン学者が工場にいたという。下「」引用。

「安全の観点から、設計を適切にするためには、シカゴ研究所を大いに信頼したが、デュポン社は安全に関する責任は負わされていなかった。デュポン社は教育と訓練のため会社の医療と保健を担当する社員をシカゴ研究所に派遣するとともに、シカゴ大学から経験のあるレントゲン学者と保健物理学者の援助を求めた。こうして、原子炉の運転と安全の必要条件の間の適当なパランスをとることができた。」

ハンフォードではカトリックの礼拝もあったという。

特別防諜隊の設置もあったという。

サンタフェの市民の訴えもあったという。下「」引用。

「作業がはじまると、いろいろな流言が三十マイルほど離れたサンタフェから伝えられた。その代表的なものはわれわれが妊娠している陸軍婦人部隊員の宿舎を建設中であるというのであった。時がたつにつれて、憶測とうわさはますますひどいものになった。サンタフェからロスアラモスへの道路わきに住んでいたある婦人は、そこで起こっている不可解で明らかに不都合な行為について地方新聞の不平欄に定期的に投書し、市民がこの問題を調査するよう主張した。彼女はこう訴えた。「荷物を満載した多数のトラックが毎日ロスアラモスに向かっているが、帰り道はみんな空になっている。これは明らかに国民の税金のむだ使いであり、くだらないニュー・ディール政策のむし返しである」。」

長崎に原爆投下したスウィーニーの報告。下「」引用。

「緊急不時着水命令が出されたのは沖縄に向かう途中でのことだった。攻撃機はほとんどガソリンが切れるところで着陸をやった。スィーニーの報告によれば、滑走路から格納庫にはいるだけの燃料もほとんど残っていなかった。」

詭弁がたくさん書いてあるとボクには思えました。








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